2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

July 23, 2012

卒業後の仕事

日本に帰り、仕事を始めています。今日はその選択について。

卒業後どんな仕事をするか、まず大レベルでのアスピレーションとしては、「真に世界で戦える日本企業を作りたい」と思っていました。イメージ的には、グローバル企業の日本法人と戦う日本企業ではなく、グローバル企業のヘッドクォーターと競争し勝っていけるようにしたいということです。そのためには、日本企業のグローバルスタンダードへのシフト、とりわけ言語・価格・テクノロジー面での変化を起こしたいと思いました。

そして、具体的な卒業後のキャリアの作り方として、派遣元企業のグローバル化を推進することで会社に貢献したいと考えました。復帰後直近はグローバル部署にてインテグレーションに携わり、当社がグローバルレベルで競争していく際に、自分としてその全体像と大きな方向性を捉えておきたいと考えています。そして中期では、事業部門にて実ビジネスで海外に赴任し、現場で力を発揮したいと思っています。

直近でインテグレーション、中期で海外実ビジネスを目標に置いたのは、それがグローバルワンカンパニーを作るのに、こちらでの経験から自分ができる最善のことだと考えたためです。米国子会社で1ヶ月ほどインターンをした際に、彼らはもちろん自社で業務を完結していますが、足りていないところもたくさん見えましたし、逆に東京が学ばねばならないこともいくつもありました。実際に現地業務をかじった人間として、その時は職務範囲には入らなかったものの正直やりたいことはたくさんあります。学校でもグローバルビジネス・組織関連の授業を取りました。インターン後にも、ボストンという地の利上、事業の繋ぎみたいなことをしたのも自分なりに貢献できる姿をイメージするきっかけとなりました。そこでまずはインテグレーション業務にて当社のグローバルでの全体像を捉え、中期では今よりも強化された当社グローバルネットワークを活かし現場でビジネス拡大を担うとしたら自分としては役立てると思いました。

今回の件では、いろいろと関係者に話を聞きました。その結果としての自分なりの判断です。実業に近いところで、ということも考えました。自分なりに中期のキャリア形成を考えた際には、しかし、現時点ですぐに個別プロジェクトに従事するよりも、先に大きなゴールイメージと方向性を掴んでおくことが、その後自分が事業部門に所属して一人称で実業をやる際に強いエンジンになると考えました。NYのスタートアップで事業開発のインターンをした際にも、商品のことだけでなく会社の目指すところを知らないと、事業開発はできない、と社長に言われたことが心に残っています。

M&A急推進後の統合フェーズにおいて、結局自分の派遣元企業はどんな会社で、何を大切にしているか、それを明らかにし、共有していくプロセスに興味があります。そうした日々の業務が、日本の産業がグローバル競争力をつけていくのに何が必要かを生々しいレベルで体感し、自分自身も成長できると考えています。しっかりと道筋を定め、一歩ずつ前進して行けたらよいと考えています。

June 10, 2012

2年目を迎える方々へ


今日はこれからMBA2年生になる方々へ。

1年目、超多忙な中新しいことを貪欲に追いかけ、あっという間に長い夏休み。インターン前後で学校と少し距離を置いて立ち止まり、残り一年のフォーカスを考える、そういう時期だと思います。昨年同じような気持ちになった身として、いくつかアドバイス的なものを。

1)原点に戻る。私が1年前にC11の方が卒業する際にお話を聞いたところ、「卒業後に次の仕事が待っているとして、どんなことができるようになっていたいか、そういう観点で授業を選び、活動するとよい。そして、もう一回原点に戻ることが大切」とアドバイスされました。入学前にエッセイで書いた夢想と、1年実際に過ごした実態の差分を、将来に向けて埋めに行く、その視点はとても役立ちました。

2)もう一度コンフォートゾーンから出る。2年目が始まってしばらくすると、すべてが2周目なので慣れて来て、快適になってきます。そこが注意で、2年間のうち半分を挑戦しないで終わってしまうのはとてももったいない。私の場合はケネディスクールに行ったのはけっこう役に立って、全くのアウェイで再度クラスで人間関係を構築して行かなければならない。その経験がよかったです。別に新しい人に会うことだけがコンフォートゾーンから出ることではないので、それにこだわる必要はないですが、易きに流されない環境づくりは大切と思います。苦しいことを、やる。

3)目標は具体的に。私の場合は、例えばBHP(というバーでの毎週のクラスメイトの集まり)に「なるべく」行くではなく「毎週」行くとか。なるべくだと課題とかが入った時にすぐそちらを優先してしまう。それが毎週だと、木曜提出の課題は水曜22時までに終わらせていなければならない、でも水曜日は20時まで授業があるということで、なんなら火曜の夜に死ぬ気で終わらせるとか。もう会社のKPI設定と同じで、具体的にし切らないとふわっとして終わってしまうというのがわかりました。

残りの1年、今度は地固めができた後だからこそやれることがあります。みなさんが更に健康で充実した日を過ごし、MBAを満喫しきることを祈っています。

June 9, 2012

2年間の振り返り


MBA2年間の振り返り。

この2年で、自分は何を学んだだろうか。知識レベルのことはもちろんだが、リーダーシップというわけのわからないものの理解がちょっと深まっただけでも、この2年間は学費を払っておつりが来る期間だった。リーダーがいるわけではなく、リーダーシップという行動がある。それは自分を危険にさらす。そしてあなたの行動は人に行動を強いる。その踏み出したらもう戻れない行動を他人にさせることに、あなたは責任を持たなければならない。それが正しい方向に向かっていることを信じれば、できる。そんなことを学んだ。いくつかの活動を通じ、体で感じた。そしてリーダーシップを発揮しなければいけない局面に鼻が利くようになったので、今後それが来たら逃げずに立ち向かおうと思う。

そして社交に精を出した成果として、有形のネットワークと、同時にコミュニケーションの体の動かし方というソフトスキルが身に付いた気がする。つまり、会話の型(イントロ、トピック選定、膨らませ方、ジョーク、去り方)みたいなものを徹底的に繰り返すことによって、将来知らない人に会っても関係構築できるという自信が少しながらついてきた。何度も失敗し、へこみ、体で覚えたものは、将来きっと役に立つと信じる。テクニックとしては学んだことは細かく言い出すといろいろあるのだけれど、でも究極のところは好かれたかったら好きになれ、ということなのかな。もしも何人かの友人が私のことを好いていてくれたのなら、それは私が彼らに興味を持ち、好意を示し続けたからだと思います。なんか恋愛みたいだけど、そういうことだと思う。

あとはこの2年間における自分の中の変化としては、ちょっとのことでは驚かなくなった。半年かけて作り上げたイベントの開始数日前にいきなり震災が来て実行是非を判断することになっても、異国到着3時間で貴重品すべて盗難に遭っても、インド人の英語がわからなすぎても、まあ次起きたら想定の範囲内、と言える。焦って自分を見失わなければ、打ち手も見えてくる。

で、最後に一つ、グローバルで(少なくともアメリカで)生活する耐性がついた。これは自分ではあまり気づかなかったのだけど、2年経ってみると一日ずっと英語環境でもいつの間にか疲れなくなっている。日本食も特になくても大丈夫。なにかにつけて交渉しなきゃならないのも、あきらめも含めてだけど慣れてきた。これは、MBAというよりはアメリカ生活の成果なのかもしれないけど、例えば駐在でこちらに来ていたら、ここまで英語漬けになることもなかったかもしれないし、一人でいろいろ調べたりやらなきゃいけなかったり、というような環境が、結果的に自分を強くしたような気がする。

MIT全体の卒業式でDeanが、これから世界に散らばるみなさん、と呼びかけていました。なんというか、それがこの学校というか、アメリカの現時点での強さだと感じました。日本の大学の卒業式ではなかなかそんな言葉は出てこない気がします。幸運にもそこで2年間を過ごし努力した人間として、得たものを活かし、ぜひ世界で働き、世界レベルの幸せな人生を築いていかねばならないと思わされました。

June 8, 2012

Good-bye Sloan

6/8、卒業しました。まずは健康に、成し遂げたことに胸を張って卒業の日を迎えられたことをうれしく思います。

コアセメスターの終わりに、Econの教授が、"You will miss this environment"と言ってました。今それが現実に訪れました。毎日があまりに当たり前すぎて時に退屈に感じてしまうこともあったけど、いざ終わりを迎え、すべてがあり得ないくらいに貴重な日々だったと感じます。

あっという間の2年間、この2年間はたぶん人生で一番意識的にわがままにアホに生きたし、他人と接点を持ちました。周りには迷惑もたくさんかけたけれど、いつでも100%の信頼で頼れる仲間がいる、それが外で戦う時に力をくれました。迷ったり落ち込んだりする際に、ふっと支え、はげまし、インスパイアしてくれる最高の同士でした。どうもありがとう。

そんな仲間とC-Function、Japan Trek、Stand with Japanなど、本当にコミュニティにインパクトを与える活動ができたことをうれしく思います。Convocationのスピーチで言及された時はうれしかった。間違いなく学校を代表する活動をした、それは誇りに思っていいことだ。

ハーバードのリーダーシップの授業の最後に、教授がGood-byeの語源について話しました。"God be with you"ということらしいです。神のご加護があらんことを。こんなところにもアメリカという国は別の国だなと感じるわけだけど、宗教は別としていい言葉だなと思いました。別に今生のお別れではないけれど、Sloanでの2年間を終えこれから世界中で次の舞台へ飛び立つ、その同級生みんなに、そのまま同じ言葉を贈ります。God be with you, may the Force be with you.

April 2, 2012

This is what I learned about America

本日は、アメリカで生活し、自分なりにアメリカについて学んだことを。

まずは、これまで日本で生活してきた自分が感じた、アメリカの好きな点。

1. 敬語がない
まずは何と言っても敬語がないこと。これは人間関係の作り方にとても大きく影響する。私のコアチーム7名の中には、学部卒ですぐにMBAプログラムに来た23歳のメンバーがいた。その彼も含め、われわれのチームはフラットな会話を普通にしていた。2人で話している時には、お互いにまっすぐにフィードバックをした。もちろん彼としては社会人経験がなかったり、年齢が若かったりすることからのプレッシャーはあったのだろうけど(事実そうしたことを後に聞いた)、それでも彼は自信を持って振る舞ったし、そのフラットな関係を日本から来た私も含め当然のものとしてコミュニケーションをした。これが日本だったらどうだろう、と考える。敬語というシステムはどうしても序列を生成する。当人たちがどれほど意識しようとも、そのシステム下においては、英語に比べるとフラットな関係を築くことは難しいように思う。他にもわれわれも例えばプロジェクトでCEOに会っても(当然のことだが)敬語なしで話すし、それが人との距離を近づけるのに効いているように感じた。英語の水平のコミュニケーションは、従って人をつなぐのに向いている気がします。

2. 多様性を受容するシステムが成立している
次に、さすがに移民の国だけあって、いろいろな文化の人たちが共存している。そのことが、システム的にも多様性を受容する社会を作り上げることにつながっていると感じる。本当に毎日の学校生活でも、それに触れる機会がある。たとえば学校からランチやディナーが出されてイベントをする際には、必ずベジタリアン用のメニューが用意される。ユダヤ教の学生は宗教上の祝日で学校を休むことを許可される。チームメイトの中に日曜は安息日で作業ができないメンバーがいるので、そのようにスケジュールを組む。ひとつのやり方を強制したり、ワンサイズ・フィッツ・オールの方法を出したりということが難しいので、違いを尊重しながら共存する道を見つける。人と違っていてもいい、とかそういうレベルでなく、そもそも違うことが当然で、(もちろん差別もあるのだが、ある程度の層では)マジョリティもマイノリティもいいも悪いもない。これは人口の90%以上が日本人で、小さな違いに目が行き気になる日本とは違う点だし、住ごしやすい環境だと思います。

3. 家族を大切にする
そして、アメリカ人は本当に家族を大切にする。ワークライフバランスというけれど、それが深く浸透していると感じる。Sloanに来るスピーカーの話を聞いても、彼らが家族の話をすることが多い。そして、そういえば日本でエグゼクティブが講演する際に、あまり家族の話を聞いたことがないなと気づく。また友人に仕事をしていた時の時間の過ごし方を聞いても、日本人や他のアジア人のように仕事漬けで更に同僚と飲みに行ったりということはあまりしないと言う。仕事が終わったら、後はプライベートの時間を家族と過ごす。もちろんMBAに来る奴らだから中には1日18時間働いてたとか、そういうのもいるのだけれど、それでも仕事とプライベートの区切りを付け、その双方を持とうとしていることは同じだった。仕事がすべてではない、もちろん日本でもここ数年で大きく変わってきているとは思いますが、われわれは人生を生きているという意味では、この感覚はとても大切だと思います。

一方で、アメリカが弱いと感じる点。

1. 歴史がない
アメリカが究極的にヨーロッパにかなわず、コンプレックスを持っている点は、歴史のなさだと言われる。こればかりはどうしようもない。それに対抗するという意味もあるのだろうが、アメリカではとにかく新しいものが賞賛される。Museum of Modern Art (MOMA)は、アメリカには歴史的な芸術作品がないため、「新しい」ものに価値を置くことで存在を主張している。どんどん新しいものが作り出され、人々がそれを消費する国。これがイノベーションを生み出す素地になっているという見解もある。それはそのとおりかもしれない。しかし、やはりそのコンプレックスは社会にあると感じる。 新しいものに過剰な価値を置いているために、時を経て醸成される良さというものが生まれにくい国だと思います。

2. プラグマティックすぎる
ビジネススクールにいるからよけいそうなのかもしれないけど、この国の人たちは、とにかく実生活に役立たないものに価値は置かないと感じる。知性とは究極のところ問題解決の道具であり、真理というのは全て「PLAN-DO-SEE 」サイクルに埋め込まれた形でしかありえない 、という姿勢。「いやなんとなく、」とかが言いにくく、「理由があるはずだ、証明せよ。それがわかれば改善できる」と日常生活でも迫られる感じ。そして、この国ではすべてのことは定量化される。それこそ他者に対する感謝だってチップという形で定量化される。ウォーホルがやったように、感性の側に属するアートだって定量的にお金を生むための道具として成立する。役に立たないものを評価しないということは、文化が生まれにくく精神的な豊かさが育まれにくい風土を醸成すると感じる。もちろんアメリカに文化がないということは全然ないけれど、それでも日本やヨーロッパに比べるとそのあまりのプラグマティクさが時に脆さになっていることはあると思います。

3. 社会が硬直的、弱者に冷たい
社会の硬直性、特に弱者に冷たいという点では、この国に課題は多い。私もそれを垣間見た。スーパーに買い物に行った際に、レジ係の人が買い物袋を他のお客さんに渡し、そのまま気づかずに持っていかれてしまったことがあった。それを店員に言ったら、そこに常駐している警察が出てきて、それはお前がそのお客さんとグルなんだ、お前を逮捕する、と言われる。もうめちゃくちゃ。でよく考えてみると、もしもここで警察が店側のミスを認めると、自分の監督不行き届きになってしまうからだと気づく。もうこれは戦っても仕方ない、ということで引き下がった。他にも、医療もめちゃくちゃお金がかかる。高額の保険に自分で入らないと行けないし、それがなかったらまともな医療なんて受けられない。教育だって同じ。この国には、教育機会が与えられないために英語すらろくに話せず、構造的に低所得層にとどまっている人たちがいる。これはアメリアがものすごい富裕層を作り出す一方で、陰になっている最大の弱点だと思います。

日本とアメリカのどちらがいいということではなく、違いがあるということ。いいところもあり、弱いところもある。そうした違いがわかったのは短い期間ながらアメリカで生活したからに他ならない。海外に出ることで、自分の国についてよりよくわかったというのは海外生活者が異口同音に話すことだが、それは自分の場合も例外ではなかった。この国でアメリカについて学び、日本について学んだ。

March 5, 2012

あめりか

最近友達と飲んでいて、酔っぱらって語ったところ、好評だった自分の話。


小学生の時に初めて映画館でグーニーズを見て、コーラを飲んだ記憶が未だに残っている。思えばそれがアメリカ的なものの原体験だった気がする。ロマンと冒険の国、あめりか。

中学生になりジーンズはリーバイス。Tシャツはヘインズかフルーツ。ジーンズショップはアメリカの臭いがした。テニスのスターはラスベガス出身のアンドレ・アガシ。

高校で帰国子女と外国人学生に遭遇する。ナイキのスニーカーを履き、タワーレコードで洋楽を買い、クラスメイトに英語のスラングを教わる。スメルライクティーンスピリット。

大学に入り文学部でアートをかじる。一番好きだったのはウォーホルで、80年代のニューヨークに思いを馳せる。ターンテーブルを手に入れレコードをいろんな州から個人輸入する。ロサンゼルスの友達を訪れ、本物のスケーターを見る。

その後就職。 日本の取引先と仕事をする日本の会社。高校時点で海外経験がある奴らは、その後も留学とか海外で働くとかしてるのもいたけど、それらは自分とは関係ないところで起こっていた。

たぶんどこかでうらやましいと思っていた。海外で、というよりアメリカで生活できたら素敵だ、と漠然と思っていた。

休みにニューヨークに旅行し、ブルックリンラガーというビールを飲む。この国は、ビール一つ取ったって日本と違うんだなと友達と話す。でも、もちろんすぐに日本に帰って毎日は続く。

それで、なんとかしてアメリカに来る道はないものか、と無意識で考えてるうちにふと思いついたのが留学というアイディア。これならいい歳して世間に言い訳も立つ。ニューヨークの寿司屋でバイトするというよりは筋がいい。で、受験勉強をしてみる。思いのほか大変でくじけそうになるが、乗り掛かった船は降りられない。

いろいろ受けた結果、たまたまMITとご縁があり、2年間学ぶ資格を得る。思いつきが、現実になってしまった。

ということで憧れの地アメリカに来た。英語のシャワーを浴び、山ほど課題を出され、たくさんの機会があり、睡眠時間を削ってしがみつく。それはつらかったけど、せっかくここに来れたのだから、思い切りやろうと思った。

1年半経ち、だいぶこの環境にも慣れた。クラスメイトとたくさんの時間を過ごし、いろんな話をした。思い知らされたのは、自分はとにかく日本人であるということ。そりゃ当然だ。どれだけアメリカ好きだって、本物のアメリカ人にはかなわない。食べてきた肉の量が違う。歌ってきた国歌が違う。彼らは肉と国を愛している。

だから、自分もアメリカ人のようになろうとするのではなく、日本人として、世界に出て行くことが必要なのだと学んだ。この国は差別はあるけれど、でも多様性を尊重する。「ここの国民は、結局はみんな移民なんだ」と友人が言った。「エミネムという白人がラップスターで、オバマという黒人が大統領なんだ、それがアメリカの素晴らしいところなんだよ」と別の友人が言った。

そんな国で、残された留学期間を過ごしている。みんなのおかげで自分が何者かよりよく知り、その芯に誇りを持てるようになった。アメリカに来てよかった。

February 16, 2012

進路の話

進路の話。

夏に複数インターンをし、結果派遣元に帰ることにした。それは、自分が、この歳で、長期でどう育っていきたいか、何を成し遂げたいか考えた結果。自分の経験からも、たとえばコンサル等のプロフェッショナルファームはどれだけ言っても第三者の立場でしかビジネスを見れない。しかも、理論的に正しいことを追求することを求められる。きれいな世界。一方実業は、きれいだろうが下手くそだろうが、とにかく時間内に結果を出し続けていかなければならない。そして、多くの人を実際に動機付け動かしていかなければならない。汗をかき、切ったら血が出るリアルな世界。現段階では、その世界で結果主義を追求するとともに、リーダーシップを増したいと思った。

冬に一時帰国し、当社グローバルインテグレーションの統括責任者と会った。実はその人からは他社時代にメールをもらっていて、それが縁になった。話をしてみて、会社のグローバル化は本当にすごいスピードで、本気だと感じた。

日本企業は、これから市場を国外に求め、価格競争力をつけるために自らの組織も急速にグローバル化していく。海外で作り、別の海外に売る。当社もグループで見るといまや約半分が外国人社員。そのうち社内では外国人という言葉すらなくなるんじゃないかと思う。そうした環境で働くのにレディな状態を個人として作る、またレディな雰囲気を組織内に醸成する、そしてひいては日本企業の国際競争力強化にドライブをかける、それがいま海外に出てMBAを学んでいる目的のひとつであり、成し遂げたいこと。

その責任者の方と話をして、国内市場とは、求めているものも価格も違うグローバルIT市場というものに正面から向かい、そこで戦っていくために組織を劇的に変えていこうとしている現場の話を聞いた。日本企業が外でどう戦っていくか、ではなく、グローバル市場で本気でリーダーとなるためにどう組織を作っていくか、という姿勢。このタイミングで、そんな大きなチャレンジに取り組めるのはチャンスだと思った。また1月にインドネシアでプロジェクトをやった時に、途上国のITはものすごいオポチュニティだと思った。そこにリーチできる力を持った企業で、自分が吸収したものを試してみたいと思った。

ということで、とりあえずの自分の結論としては、日本人の誇りを持ちグローバルに自分を拓いていくのに、いま派遣元の会社でできることがあるということだった。(もちろん人事の交渉はありますが、基本的には)M&Aを急ピッチで進め、つぎはぎ組織になった当社のグローバルグループ戦略のインプリメンテーションをやります。これについては、自分の中でしっくりきています。

January 15, 2012

ジャカルタにて雑記

学校プロジェクトでジャカルタより。1/3、到着3時間で車上荒らしに遭い、PCもI-20も貴重品全て盗まれた。まあ、それでも人生は続くということで、本日に至ります。

こちらではアメリカ人、イギリス人、チリ人、私の4人でプロジェクトをやっています。それこそ毎日ずっと一緒にいるわけで、アメリカを離れそうした深い友達と仕事もフリータイムも共に過ごしながらふと頭に浮かんできたことを書こうと思います。

以前も書いたと思いますが、アメリカで学んだことの一つは、とにかくハッタリでも何でもいいから、confidentであれということ。去年の春学期に、友人に何も得ている気がしないと言ったら、自信を持てと言われた。宿題を忘れたら、自信を持てと言われた。英語が聴こえなくたって言葉が出てこなくたって、自信を持てと言われる。かの国では自信を持って振舞わないと生きていけない。

今時点でよくつるむ友人はアメリカ人の白人が大多数になった。入り込みにくいところに切り込んできたという自負はあるけれど、一方でそれはなんか自分が戦後日本のコンプレックスをそのままなぞっているのではないかと思うこともある。アメリカに媚を売り経済成長を達成し、自分の意見を出せない。世界はもっと広い。僕らはもっと自己として立たなくてはいけない。そして、各人のルーツを抜きにしては人は立てない。自分はどこで何をしてきた人か、その歴史の上に人は立っている。MBAでいろんな奴に会って、自分がどこの何者かよりよく知った。

そして、トモダチって何だろう。アメリカで浅い話をたくさんと、運の良い時に少しばかりの深い話をして、自分は心の底から信じられる仲間を何人見つけられただろうか。ある友人は、どんなに取り繕っても、逆にどんなにたどたどしくとも、そいつが信頼できるかは自ずとsmellすると言った。別の友人は、人を見分けるsixth senseを持っていて、それが彼のこれまでの人生を導いてきたと言った。networkingではなくrelationship building、損得勘定なんて一切抜きに、直感が導くとおりに、何があっても信じ助けようと思う仲間に何人か出会えたことを幸運に思い、それを大切にしようと思う。こいつは俺のこと裏切らないし、俺もこいつのこと生涯絶対に裏切れねえ、という感覚。軍出身の友人は、生死がかかったレベルでそれを知っている。表面的な肩書きやメリットベースの付き合いでなく、Smellするかどうか、その肌感覚と判断力は磨くことができたと思う。

去年も今年も、合格者の希望に満ちた姿を見るにつけ、この素晴らしい環境の中で、入学前に想像したのとはかけ離れた遅々とした変化しか遂げられていない自分に恥ずかしくなる。自分が正しい道を、自分に負けずに進んでいるか不安になる。でも、それでも、悩み立ち止まり怠惰に流される瞬間を含め、正しい回り道をしているのだと信じて、今この地点に立っている。

そして残りの半年、もう一度初心に立ち返り、getting out of comfort zoneで行こうと決めた。軽々しく語れるようなMBAのtakeawayよりも、言葉にしにくい、なんだかよくわからない違和感のほうが、それを将来消化できた時、本当の成長になるのだと信じています。