2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

March 5, 2012

あめりか

最近友達と飲んでいて、酔っぱらって語ったところ、好評だった自分の話。


小学生の時に初めて映画館でグーニーズを見て、コーラを飲んだ記憶が未だに残っている。思えばそれがアメリカ的なものの原体験だった気がする。ロマンと冒険の国、あめりか。

中学生になりジーンズはリーバイス。Tシャツはヘインズかフルーツ。ジーンズショップはアメリカの臭いがした。テニスのスターはラスベガス出身のアンドレ・アガシ。

高校で帰国子女と外国人学生に遭遇する。ナイキのスニーカーを履き、タワーレコードで洋楽を買い、クラスメイトに英語のスラングを教わる。スメルライクティーンスピリット。

大学に入り文学部でアートをかじる。一番好きだったのはウォーホルで、80年代のニューヨークに思いを馳せる。ターンテーブルを手に入れレコードをいろんな州から個人輸入する。ロサンゼルスの友達を訪れ、本物のスケーターを見る。

その後就職。 日本の取引先と仕事をする日本の会社。高校時点で海外経験がある奴らは、その後も留学とか海外で働くとかしてるのもいたけど、それらは自分とは関係ないところで起こっていた。

たぶんどこかでうらやましいと思っていた。海外で、というよりアメリカで生活できたら素敵だ、と漠然と思っていた。

休みにニューヨークに旅行し、ブルックリンラガーというビールを飲む。この国は、ビール一つ取ったって日本と違うんだなと友達と話す。でも、もちろんすぐに日本に帰って毎日は続く。

それで、なんとかしてアメリカに来る道はないものか、と無意識で考えてるうちにふと思いついたのが留学というアイディア。これならいい歳して世間に言い訳も立つ。ニューヨークの寿司屋でバイトするというよりは筋がいい。で、受験勉強をしてみる。思いのほか大変でくじけそうになるが、乗り掛かった船は降りられない。

いろいろ受けた結果、たまたまMITとご縁があり、2年間学ぶ資格を得る。思いつきが、現実になってしまった。

ということで憧れの地アメリカに来た。英語のシャワーを浴び、山ほど課題を出され、たくさんの機会があり、睡眠時間を削ってしがみつく。それはつらかったけど、せっかくここに来れたのだから、思い切りやろうと思った。

1年半経ち、だいぶこの環境にも慣れた。クラスメイトとたくさんの時間を過ごし、いろんな話をした。思い知らされたのは、自分はとにかく日本人であるということ。そりゃ当然だ。どれだけアメリカ好きだって、本物のアメリカ人にはかなわない。食べてきた肉の量が違う。歌ってきた国歌が違う。彼らは肉と国を愛している。

だから、自分もアメリカ人のようになろうとするのではなく、日本人として、世界に出て行くことが必要なのだと学んだ。この国は差別はあるけれど、でも多様性を尊重する。「ここの国民は、結局はみんな移民なんだ」と友人が言った。「エミネムという白人がラップスターで、オバマという黒人が大統領なんだ、それがアメリカの素晴らしいところなんだよ」と別の友人が言った。

そんな国で、残された留学期間を過ごしている。みんなのおかげで自分が何者かよりよく知り、その芯に誇りを持てるようになった。アメリカに来てよかった。