2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

April 2, 2012

This is what I learned about America

本日は、アメリカで生活し、自分なりにアメリカについて学んだことを。

まずは、これまで日本で生活してきた自分が感じた、アメリカの好きな点。

1. 敬語がない
まずは何と言っても敬語がないこと。これは人間関係の作り方にとても大きく影響する。私のコアチーム7名の中には、学部卒ですぐにMBAプログラムに来た23歳のメンバーがいた。その彼も含め、われわれのチームはフラットな会話を普通にしていた。2人で話している時には、お互いにまっすぐにフィードバックをした。もちろん彼としては社会人経験がなかったり、年齢が若かったりすることからのプレッシャーはあったのだろうけど(事実そうしたことを後に聞いた)、それでも彼は自信を持って振る舞ったし、そのフラットな関係を日本から来た私も含め当然のものとしてコミュニケーションをした。これが日本だったらどうだろう、と考える。敬語というシステムはどうしても序列を生成する。当人たちがどれほど意識しようとも、そのシステム下においては、英語に比べるとフラットな関係を築くことは難しいように思う。他にもわれわれも例えばプロジェクトでCEOに会っても(当然のことだが)敬語なしで話すし、それが人との距離を近づけるのに効いているように感じた。英語の水平のコミュニケーションは、従って人をつなぐのに向いている気がします。

2. 多様性を受容するシステムが成立している
次に、さすがに移民の国だけあって、いろいろな文化の人たちが共存している。そのことが、システム的にも多様性を受容する社会を作り上げることにつながっていると感じる。本当に毎日の学校生活でも、それに触れる機会がある。たとえば学校からランチやディナーが出されてイベントをする際には、必ずベジタリアン用のメニューが用意される。ユダヤ教の学生は宗教上の祝日で学校を休むことを許可される。チームメイトの中に日曜は安息日で作業ができないメンバーがいるので、そのようにスケジュールを組む。ひとつのやり方を強制したり、ワンサイズ・フィッツ・オールの方法を出したりということが難しいので、違いを尊重しながら共存する道を見つける。人と違っていてもいい、とかそういうレベルでなく、そもそも違うことが当然で、(もちろん差別もあるのだが、ある程度の層では)マジョリティもマイノリティもいいも悪いもない。これは人口の90%以上が日本人で、小さな違いに目が行き気になる日本とは違う点だし、住ごしやすい環境だと思います。

3. 家族を大切にする
そして、アメリカ人は本当に家族を大切にする。ワークライフバランスというけれど、それが深く浸透していると感じる。Sloanに来るスピーカーの話を聞いても、彼らが家族の話をすることが多い。そして、そういえば日本でエグゼクティブが講演する際に、あまり家族の話を聞いたことがないなと気づく。また友人に仕事をしていた時の時間の過ごし方を聞いても、日本人や他のアジア人のように仕事漬けで更に同僚と飲みに行ったりということはあまりしないと言う。仕事が終わったら、後はプライベートの時間を家族と過ごす。もちろんMBAに来る奴らだから中には1日18時間働いてたとか、そういうのもいるのだけれど、それでも仕事とプライベートの区切りを付け、その双方を持とうとしていることは同じだった。仕事がすべてではない、もちろん日本でもここ数年で大きく変わってきているとは思いますが、われわれは人生を生きているという意味では、この感覚はとても大切だと思います。

一方で、アメリカが弱いと感じる点。

1. 歴史がない
アメリカが究極的にヨーロッパにかなわず、コンプレックスを持っている点は、歴史のなさだと言われる。こればかりはどうしようもない。それに対抗するという意味もあるのだろうが、アメリカではとにかく新しいものが賞賛される。Museum of Modern Art (MOMA)は、アメリカには歴史的な芸術作品がないため、「新しい」ものに価値を置くことで存在を主張している。どんどん新しいものが作り出され、人々がそれを消費する国。これがイノベーションを生み出す素地になっているという見解もある。それはそのとおりかもしれない。しかし、やはりそのコンプレックスは社会にあると感じる。 新しいものに過剰な価値を置いているために、時を経て醸成される良さというものが生まれにくい国だと思います。

2. プラグマティックすぎる
ビジネススクールにいるからよけいそうなのかもしれないけど、この国の人たちは、とにかく実生活に役立たないものに価値は置かないと感じる。知性とは究極のところ問題解決の道具であり、真理というのは全て「PLAN-DO-SEE 」サイクルに埋め込まれた形でしかありえない 、という姿勢。「いやなんとなく、」とかが言いにくく、「理由があるはずだ、証明せよ。それがわかれば改善できる」と日常生活でも迫られる感じ。そして、この国ではすべてのことは定量化される。それこそ他者に対する感謝だってチップという形で定量化される。ウォーホルがやったように、感性の側に属するアートだって定量的にお金を生むための道具として成立する。役に立たないものを評価しないということは、文化が生まれにくく精神的な豊かさが育まれにくい風土を醸成すると感じる。もちろんアメリカに文化がないということは全然ないけれど、それでも日本やヨーロッパに比べるとそのあまりのプラグマティクさが時に脆さになっていることはあると思います。

3. 社会が硬直的、弱者に冷たい
社会の硬直性、特に弱者に冷たいという点では、この国に課題は多い。私もそれを垣間見た。スーパーに買い物に行った際に、レジ係の人が買い物袋を他のお客さんに渡し、そのまま気づかずに持っていかれてしまったことがあった。それを店員に言ったら、そこに常駐している警察が出てきて、それはお前がそのお客さんとグルなんだ、お前を逮捕する、と言われる。もうめちゃくちゃ。でよく考えてみると、もしもここで警察が店側のミスを認めると、自分の監督不行き届きになってしまうからだと気づく。もうこれは戦っても仕方ない、ということで引き下がった。他にも、医療もめちゃくちゃお金がかかる。高額の保険に自分で入らないと行けないし、それがなかったらまともな医療なんて受けられない。教育だって同じ。この国には、教育機会が与えられないために英語すらろくに話せず、構造的に低所得層にとどまっている人たちがいる。これはアメリアがものすごい富裕層を作り出す一方で、陰になっている最大の弱点だと思います。

日本とアメリカのどちらがいいということではなく、違いがあるということ。いいところもあり、弱いところもある。そうした違いがわかったのは短い期間ながらアメリカで生活したからに他ならない。海外に出ることで、自分の国についてよりよくわかったというのは海外生活者が異口同音に話すことだが、それは自分の場合も例外ではなかった。この国でアメリカについて学び、日本について学んだ。