tag:blogger.com,1999:blog-69419947882992635182024-02-20T05:41:17.098-05:00Days at MIT Sloan2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.comBlogger72125tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-83424653291556726092013-08-26T01:19:00.000-04:002013-08-26T01:19:37.599-04:00訓練場としてのMBA<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
MBAとは何をするところか。前回のポストでは、本では学べない要素として、主に日本人的な側面からの効果について書いたが、今回は、恐らく全ての人種にとって当てはまる、プログラムが参加者に提供する機会という観点で書いてみる。<br />
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1. 意思決定の訓練場<br />
MBAのクラスでは、とにかくたくさんの意思決定をさせられる。時間と情報が限られている中で、何か答えを出す。その訓練をひたすらさせられる。レクチャー型の授業も、結局は意思決定のサポートのために行われる。つまり、セオリーを学ぶのは、正解があるものには早くたどりつく力を得るためである。そして、ケースディスカッションや、ケースを使ったプレゼンテーションでは、実際に自分の意思決定を披露し、教授やクラスメイトからのフィードバックで議論を積み上げていく。MBAは、そうした意思決定の訓練機会を提供する。<br />
<br />
2. リーダーシップの訓練場<br />
MBAは、特に授業外でリーダーシップポジションを山ほど提供する、そこでヒエラルキーなしで物事を動かしていく経験をする。クラブのリーダーとか、カンファレンスやスタディツアーの企画とか、生徒会とか、寄付金のファンドレイズとか。たとえば、アメリカの全寮制の中学や高校で、アメリカ人と共に生活して、アメリカ人を仕切った経験がないと、アメリカの組織を中枢レベルで引っ張るのは難しい、とも言われる。別にアメリカに限らず、それを身に着ける恐らく最後のチャンス。これも学校という形態が提供する機会のひとつ。<br />
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3. 視野と価値観を広げる訓練場<br />
MBAでの生活は、国籍・キャリアバックグラウンド・文化が異なる仲間との協働の日々。学校がダイバーシティを重視する意味は、いろんな奴を同じ箱に入れといたら、それだけで何か起きるだろう、という考え。そこで、ストレスをかけて、ぶつかりながら、異なるものをそのまま受け入れる力、人間の度量を増す訓練を自然と繰り返す。その経験が、そこで学ぶ人たちの将来のフィールドをグローブにする。<br />
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改めて自分の経験を振り返ると、MBAプログラムでは、グローバルリーダーを本気で作ろうと思っているんだなと感じる。決して就職予備校ではないし、ましてや語学学校ではない。これは特に卒業して1年経って、ああ自分はあの時訓練をしていたのだなと感じる。これからMBAを志す人でも、そうした視点を持つと目的がクリアになりやすいと思う。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-5411104720704777372013-08-19T05:06:00.000-04:002013-08-19T05:09:09.054-04:00MBAは本で学べるか<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
MBAの知識はすべて本で学べるという人に。<br />
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たしかにMBAの知識は本で学べるかもしれない。Sloanでは、例えばノーベル賞学者の講義を聞くと、やはりただ本を読むのとは違うと感じたが、これって野球はスタジアムに行かずともテレビで見れる、とか、音楽はライブに行かなくともCDで聴けるとか、まあそんな議論と一緒です。スタジアムでの野球観戦経験を本気でテレビ中継の視聴経験と並べる人はそんなにいないと思うけど、MBAに対しては厳しい目を向ける人もいる。全部本で学べるから行く意味ない、その知識も実業じゃ役に立たない、という具合。<br />
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しかし、知識を得るための環境がリッチであるのもさることながら、自分の経験では、MBAで学ぶことは実は知識ではない。それではいったい何を得るのか。このへんはあまり一般化されている訳ではないので、場合によってはすべての人(特にアメリカ人)に当てはまるものではないが、いわゆる私のような日本人には少なからず言えることだと思う。<br />
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1. ハートの強さ<br />
非アメリカ人にとって、米国MBAでの2年間はアウェイで戦う時間になる。この経験は、とても人を成長させると思う。一言でいうと、サバイブする力。まず第一に、とても恥をかく機会が多い。なんならコミュニケーションの授業で即興でプレゼンテーションをしろと言われただけでも、全身から汗が吹き出し、もちろんたどたどしい言葉で散々なプレゼンになる。プロジェクトでコールドコールで地元企業を訪問してこい、と言って突き出されても、「We are MIT students and...」なんて言っているうちにお呼びじゃないと言われて帰されてしまう。そしてこれも何度か書いていることだが、バーに行ってもなかなか相手にされず、うまく輪に入れない。言葉は本当に習得が難しいが、それにめげず、少なくとも自信を持った振る舞いをしていないとやっていけない。これを乗り越えて大勢の前でプレゼンをし、バーでも逃げられず、また学校のプロジェクトでもふつうに声がかかるようになったのは、大きな自信になった。そしてこの先どんなところに行っても、何とかしてやろう、何とかなるだろう、という気持ちができる。ということで、ハートが強くなる。<br />
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2. スタンスを取る力<br />
授業では、ケースを使ったディスカッションを多く行う。そこでは、自分がケースの主人公(社長や事業責任者)になったとして、あるビジネス上の決断を迫られる。どんなに情報が足りなくとも、どんなに前提知識がなくとも、「俺はこっちにする」とスタンスを取って、そこに理由をつけなくてはならない。どちらにも決めない評論家的な発言は評価されない。言ったら教授やクラスメイトから叩かれるかもしれないが、それでもYesかNoかを自分で決め、説明することが重要。人は、組織は、論理によって成功の確率が最も高いものを選択し、何を選ぶのか目に見える形で、意思決定しなければならない。そこに妥協はない。で、それだけ真剣に選んだオプションだが、実際には絶対的に正しい選択なんてない。どちらでも成功する場合もあるだろうし、どちらを選んでも結局ダメということもあるだろう。肝心なのは、正しい選択をすることもさることながら、その選択を成功にするためのその後の努力も同じくらい大切ということも実は同時に学んだ。これは疑似とはいえ自分で決断を繰り返したからこそ腹落ちしてきた感覚かもしれない。ということで、周囲にスタンスを取り自分で意思決定する力が増す。<br />
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3. 夢の大きさ<br />
スタートアップや、はやりのソーシャルアントレプレナーシップなど、名前は何でもいいが、世界はこんなに広いんだ、世の中には社会にインパクトを与えるためにこんなやり方があるんだ、という感覚を腹に落とすことができる。学校には文字どおり業界の第一線で活躍しているリーダーが多数訪れる。で、トップを見せつけられてリミッターが振り切れて思考の枠がストレッチする。突き抜けてるアントレからP&Gの社長まで、その範囲は広い。CEO Perspectivesという授業では、文字通り毎週どこかのCEOが来てスピーチをする。P&Gの目標は地球上の全ての人に自社商品を届けることだとか、NY Timesがいかに紙からインターネットに舵を切って世界をターゲット市場にしたとか、いまや中国からも巨大な売上を上げるNBAがどう世界戦略を立てているかとか。そしてそれをどう夢として伝えているか、リーダーのコミュニケーションスタイルも勉強になった。そして、海外での実プロジェクトにより、異業種、異言語、異文化でも、自分にも「もしかしたら」できるのではないか、という可能性を感じることができる。この実体験に基づいた自信が夢に現実味を与えてくれる。ということで、夢のサイズが大きくなる。<br />
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知識だけならば本でよい、が、それでも毎年日本国外のフルタイムMBAに行く人はいる。やはり百聞は一見にしかずだし、更にただ見るのと実際にやるのでは全然違う。MBAに知識を取得しに来ようと思うと費用対効果がよくないかもしれないが、体を使って得られる知識以外のソフトスキルに、実は大きな価値があると思う。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-31262828043712976832013-08-11T05:45:00.000-04:002013-08-11T10:23:52.866-04:00うまい棒の味の違い<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
ドイツの日曜は教会の鐘が鳴り、のんびりした一日。法律で決められていて店が営業できないので(飲食店は営業可)、何もすることがない。やっぱり生活と宗教が不可分なんだろうな。<br />
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さて、仕事の話。やりたいことをやるのか、向いてることをやるのか、それはこれまでの社会人人生でも何度も考えたことで、今日も考えることです。マリア・カラスは、自分は自分の才能という主人のために絶対奉仕しなくてはならない、と言って歌に人生を捧げました。だから自分も人よりできること(向いてること)を、と言ったら後輩に「やりたいことより向いてることやるなんてナンセンス」とダメ出しされました。そういえば新庄は、小さい頃スポーツ万能で、何やっても一番だったけど、野球は例外で、一番思い通りいかなかったから野球を選んだと言ってた。<br />
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つまり何が言いたいかと言うと、何を選ぶかはその人の自由で、正しい答えはない、ということです。でも、とにかく、自分のことは自分で決める権利がある。最近特に思うけど、それってなかなか素敵なことです。しかもどっち選んだって大して変わらないことも多いし。なんだ、自分はうまい棒のサラダ味か明太味かの選択で悩んでたのか、世の中にはアイスもチョコレートもあるし、なんなら貯金とか、お賽銭とか、募金とか、そのオプションの幅に比べれば、所詮うまい棒なんてどっちでも同じだよ、とかそんな話。更に、その選択肢の幅に気づくのは案外しばらく経って振り返ったころだったりするし。まあでも、目の前の決断は、なんにせよ自分の腹に訊くしかない。<br />
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ということで、今自分にも、さっそくこれからの仕事の小さな決断が来ているのですが、それをいろいろこねくり回した挙句、あと数日で納得のいく決断をしようと思います。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-26417135994723944572013-08-01T21:21:00.000-04:002013-08-11T00:49:49.576-04:00ドイツへ赴任<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
このたび、勤務先の海外子会社に数年出向することになりました。その会社自体が各国に拠点を持っていて、グローバルに事業を行っていますが、ひとまずはドイツに行きます。役割はCFOの直下に就いて、戦略、財務、および各種インテグレーションをする模様です。とはいえいまいち仕事内容も多岐にわたりすぎるので、最初は新興市場にちらばっている孫会社の整理と、新規M&Aで成長戦略をつくって、案件を進めるところを任される予定。<br />
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卒業後一年働いて、だいぶ環境にも慣れてきたところで、良いタイミングなのかもしれない。現状の延長では得られない経験とは何か、今の自分に欠けているものは何か、という観点で考えてみると、自分としては、東京HQでの戦略検討・管理業務よりは、実業で汗をかく部分が欠けており、それは現場に行って得られる種類のものだろうと思っていました。もう一つは、やはり伝統的日系企業の性質として、責任権限がこの年齢では限定的であり、それが成長を遅らせていることは大きなリスクと感じていました。<br />
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なので、現時点である程度の裁量を持ち、グローバルに実業経験を積めることは大きな利点と感じています。日常的に日本以外のマネジメント層とコミュニケーションを取り、プロジェクトベースで物事を回していく経験を重ねられる環境は、恵まれたものだと思います。ここで成功体験を積み重ねておくことは、将来の機会を広げてくれるものだろうと期待しています。先日新しいアサインメントの先行業務として、地域CEOたちと会議をする中でも、まさに活きた経営課題を扱い、その中で成長する可能性を見いだすことができました。<br />
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出張で見たところ、ボストンよりは少し小さいけれど、思ったよりもなんでも揃っていて普通に生活できそうです。その後は別の国のオフィスに二重出向する可能性があり、なんだかまだ足場が定まりませんが、新しい仕事になることだけは間違いなく、何が起きるか楽しみです。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-83724781682106253612013-03-22T04:04:00.001-04:002013-03-22T06:37:06.960-04:00The world is flat or not<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
世界はフラットか?<br />
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漠然とグローバルと思い、ここまでやってきて、ようやく見えてきたことがある。英語でビジネスをするというファンダメンタルな部分はグローバルビジネス全般に思い描いていたことと変わらないのだが、その中身は、当たり前ながら一言にグローバルでは括れないのだなということ。これまで実際に経験してきた日本式のやり方と、MBAで学んだアメリカ式のやり方と、それを相対化することで見えてくるものは多くあったが、それだけでは世界中でカバーできる範囲はまだまだ限られているのだなということ。グローバル、アメリカの外は広かった。<br />
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例えば実際にイタリアとインドで働いてみて腹に落ちてくるのは、キャリアをヨーロッパで積むというのと、アジアで積むというのだけでも全く違うということ。乱暴な一般化であることは承知した上で、自分なりの理解を書きたい。これはもちろん消費財を売るのか、自分の業界のようにITをBtoBで売るのかによっても大きく変わるのだろうが、とりあえず自分の経験範囲ということでITの話を。<br />
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ヨーロッパは成熟市場であり、もちろん国により違いはあるものの、まだまだローカル市場の色彩が強い。効率化の余地はそこかしこにあるが、規制慣習文化によりなかなかそれが進まない。外からは入り込めていないし、逆に言えばヨーロッパは業界のベストプラクティスについていけていない。オフショアひとつとっても、ちっとも進まない。それは雇用に関する規制であったり、心理的な国内志向だったり、なんとなく自国で完結しようという雰囲気がある。市場統合も、濃淡はあるが全体としてはまだまだ進んでおらず、国によっては半分鎖国のように見えるところすらある。ローカル企業がまだまだ幅を利かせている。<br />
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伝統を重んじ変化に対して必ずしも迅速に反応しない、時には抵抗する人たちに、よそ者として人種の壁を越えて入り込み、一人称で能力を認められて初めて仕事ができる。仕事だけでなく歴史・文化理解も必要だし、根気強く物事を動かしていく辛抱強さも必要。地に足をつけ、じっくりと仕事をしていかねばならない。<br />
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一方で、アジアの専門家になるというのは、どちらかというと起業家的なスタイルが求められる。リスクを取ってビジネスを成長させていく。失敗する案件もたくさんあるだろうが、いくつかディスプロポーショナルな利益をもたらすものを得られれば成功。いろいろなことが整備されておらず、ビジネスの成熟度も低い中で、それを受容し、泳いでいくこと。不確実性を許容しどんどんドライブしていくことが求められる。<br />
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また、特にパブリックビジネスでは、清濁併せ飲み、潜り抜けていく根性が必要。国家主導型の大型プロジェクトは多いが、それにどう関わるか。ビジネス倫理を保ちつつ、現地ビジネスのやり方に倣わねばならない。Corruptionに巻き込まれる恐れは常にあるし、単純にナイーブになっても仕事はできない。明確な答えはない。新興国マーケット戦略は学校のケースでも多く学び、G-labでも体験したが、卒業後も実務で経験を重ねる中で、よりイメージがクリアになってきた。<br />
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どちらにも共通すること。言語の壁は大きい。イタリアではイタリア語、スペインではスペイン語、英語が公用語のインドだって、ヒンズー語ができないとビジネスは成り立たないというのを実際に体験した。もちろん通常のコミュニケーションは英語で行われるのだけれど、細かいところを調整、隙間を埋めていく作業は現地語で行われる。したがって、ふつうの日本人が日本の外でビジネスをやろうと思ったら、ローカル人材との協働が必須。英語だけでは完結しない、ローカル人材なしには成立しないビジネスの世界は、アメリカの外に広大に広がっていた。<br />
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情報通信技術に後押しされ、世界はもちろん急速にフラットになってきているのだろうが、虫眼鏡で見ればでこぼこだらけ。自分自身も一絡げにグローバル、ではなく、少なくともどの地域で、というのを選んでいかなけらばならない。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-19742141789138753422013-02-25T10:34:00.000-05:002013-02-27T02:05:44.687-05:00MBAの価値再考(その2)MBAで得られたものとメリットの再考。後半は、人に伝えるメリット編。<br />
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「MBA」のメリットとして、ここでは自分の経験に基づき、1) 職務経験のある人が、2) 米国MBAに、3) 2年制フルタイムで、行くことを想定して書いている。もちろんそれ以外の場合にもあてはまることは多くあるだろうが、MBAに関するあらゆるオプションを想定しているわけではないことをあらかじめお断りしておく。<br />
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1. キャリアチェンジの機会設定<br />
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MBAをオプションとして検討する人は、基本的に自分のキャリアの現状を変えようとしている人だと思う。それが転職であるか、それとももう少しソフトなレベルかは人によって異なるだろうが、少なくとも現状に完全に満足している人ではないはずだ。現状の延長に行き詰まりを感じていたり、成長のスピードが落ちていると感じたり、今後のキャリアに漠とした不安を覚えたり、明確に転職したい業界があったり、そんなことはキャリアの節目節目で多くの人に訪れると思う。MBAは、そうした人々に対して、明確な機会を与えてくれる。これは間違いない。そもそも合格した瞬間から壮行会と称してコンサルや投資銀行などがアプローチしてくるし、人材エージェントもコンタクトを取ってくる。1年生と2年生の間にはインターンシップの機会があるし、2年後には次の働き口を決定しなければならない。私費社費で制約要因が異なるためその濃淡は変わるだろうが、いずれにせよキャリアに変化をもたらしたい人に、MBAという装置は十分な機会を提供してくれる。<br />
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2. インプット機会の最大化<br />
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ある程度職務経験を重ねてきて、スキルセットの棚卸と強化をしたいという人は多いだろう。MBAは、そうしたニーズに応える格好の装置だ。というのも、アカデミアは(学生にとっては)究極的には学ぶところであって、成果を出すところではない。組織にいると、とにかく短期間のうちにアウトプットを出すこと、成果を上げることを求められる。全ての自分へのインプットは、あくまで短期のアウトプットのための燃料であって、長期的に役立つかもしれない、というようなことは興味がない(あるいはあっても余裕がない)。ましてや実施したこと得たものの定着化などやってる暇はまったくない。一つが終わったら、慌ただしく次に移っていく。しかし、職業人として継続的に成長していくには、On-the-jobとOff-the-jobの両方のトレーニングが必要である。そのまとまったOff-JTの機会をMBAは提供してくれる。2年間を使って、次に飛ぶための在庫づくりができる。社会人としてキャリアを重ねてきた人には、そこで学ぶことは必ずしも新しいことばかりではないかもしれない。しかし全て知っていて、実行できるという人はいないだろうから、新しい学びは必ずある。異なる業界、異なる地域のクラスメイトからの学びも大きい。そして自分の得意分野についても、クラスやチームで人に伝えるというプロセスを経て、真の意味で定着化させることができる。MBAというプログラムで、現場を離れて集団で学ぶことの意義はここにある。<br />
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3. 仕事を離れる時間<br />
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最後に、MBAは、社会人にとって、これまで仕事によってやれなかった他のことをやる時間をくれる。それはプレッシャーから解放されてリラックスする時間だったり、家族と過ごす時間だったり、体を鍛えなおす時間だったり、趣味に没頭する時間だったり、新規事業を始めるための時間づくりだったり。いずれにしても、目の前の仕事という、自分が多くの時間を費やし重要だと思ってきたものを一歩引いて外から眺め、価値を相対化する。あれほど重要な役割を担っていると勘違いしていたが、自分がいなくとも会社は問題なく回っている。私一人が生産活動を止めたところで、世界経済は意にも介せず今日も淡々と回っている。そして個人にとっても、仕事は、当たり前だが人生のすべてではない。MBAを人生の夏休み、と称した友人がいたが、恐らくは人生最後の、そうしたChange of paceの機会をMBAは与えてくれる。<br />
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もちろんこれらのMBAの与えてくれるメリットと同時に、機会費用は考える必要がある。MBAの2年間によって失うのは実務経験であったり、アプリケーション準備にかかる費用、学費生活費(生活費はどこでもかかるが)、その間に働いていたら得られたであろう給与の合計額であったり、準備期間のプライベートライフであったり、やはりいろんなものを捨てなければいけない。何かを得るためには別のものを捨てなければいけないというのは当然のことだが、それが自分にとって受け入れられるものか。それでも行きたいと思えるか。だいたいキャリア上の短期の費用対効果で言うとMBAはペイしないので、その観点ではNo goなのかもしれないが、自分としては、人生でいくらお金を払っても、他では手に入れられない時間をくれると2年間を過ごしてみて思った。MBAという商品を、お金を払って買ったのだ。楽しんだのだから、バランスはマイナスになって当然だ。なお、仕事上のキャッシュフローで見ても、それが長期でペイするかどうか(しなくとも全く問題ないが)、それは自分のこれからのキャリアの積み方にかかっているのだろう。<br />
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ということで、これが「大金使ってMBA行くことのメリットってなんですか?」と真剣に尋ねられた場合の、現状における私なりの答えである。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-7897256253527648292013-02-24T06:42:00.000-05:002013-08-11T05:13:55.372-04:00MBAの価値再考(その1)<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
まだ1年は経っていないけれど、少し離れて感じるMBAの価値、自分が得られたものと人に伝えるメリットの再考。2回に分けて書く。<br />
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まず今回はMBAで得たもの、個人的な学びというよりは、武器という観点で。Bスクール使用前使用後で、何ができるようになったか、周りからは何が変わったように見えるか。<br />
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1. グローバルチームで働く力<br />
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まずこれを一番に挙げたい。留学前は機会もなかったし、能力としてもできなかったこと、それがMBAの2年間を通じ死ぬほどチームワークを繰り返したせいで、地力が上がってきていると感じる。思えば留学直後のチームワークなんて悲劇だったわけで、チームに対して何のバリューも出せなかった。そこから考えると、確実な進歩が見られる。コミュニケーションのベースとなる英語力。チームとしてのゴール設定と共有、期限の明確化。明文化するか否かはケースバイケースだが、チームチャーターの設定、すなわちチームとして何を大切にするか、働き方や大切にすることの確認。日々の議論のファシリテーション。チームのモチベーションの維持とコンフリクトの解決、予期せぬ出来事への対処とそれに伴う計画の修正。息抜き、無駄話。<br />
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こう書いてみると、ほとんどは当たり前のことで、グローバルチームうんぬんに限らないユニバーサルなチームスキルのようにも思える。しかし、実際に経験してみて、学校でこれをグローバルチームでやることは本当に難しかったし、だいぶ苦労してコツを体に叩き込んできた気がする。例えば在学中、Japan Clubの活動で日本人が集まり物事を進めるときは、共有しているものが多いから本当に効率が高かった。アメリカのスポーツカンファレンス企画で、アングロサクソンがほとんどのチーム運営も、我々が1年生の秋学期にコアチームとして割り当てられたグローバルチームに比べるとはるかに効率的だったと聞いた。つまり、グローバルチーム運営は日本人だけの課題ではなく、ほかの人種にとっても、英語が苦にならなくとも、ついて回る課題なのだ。そもそもの常識が違う中で、立場上の権力を行使せず、お互いに納得できる点を見つけ前に進めていくこと。これは本当に難しく、もちろん授業ではそうした際のセオリーを学んだりするのだが、それを得たうえで体を使って、時間をかけて学ぶしかないと感じる。</div>
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その意味で、G-labはそれだけでもMBAの価値があったというほどに有意義な経験だった。今のイタリアでの仕事も、結局全く同じ。多国籍チームでの期限切りプロジェクト。いかにコアチームの経験があると言っても、今振り返ればまだそれは入り口に過ぎなかった。もしG-labやってなかったら、どれだけアメリカで学んでも日本に戻ったらただの日本人のままで、今はなかったなと心から思う。チームメイトと24時間一緒にいて、さんざんプロジェクトのことを考え、毎夜街に繰り出し、週末は旅行する。たくさん飲み、キャリアのこともプライベートのこともたくさん話し、たくさん喧嘩し、たくさん分かり合う。それだけ濃い経験だったし、それぞれの強みを活かすべく、メンバーを尊敬し支えあう、ということの意味とやり方を体に覚え込ませられたと思う。<br />
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2. 経営に関する広く浅い机上の知識<br />
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これはどちらかと言うと自分の実感というよりは周りの目ということなのかもしれないが、MBAは経営一般について学ぶわけで、それを得てきたものとみなされる。例えコーポレートファイナンスにフォーカスを定めてオペレーションやHRの授業をまったく取らなかったとしても、周囲の人は、「えむびーえー」なら経営に関すること一渡りのことは全部わかっていて当然、という目で見て、接してくる。もちろん実務レベルには及ばなくとも、教科書上の基本は押さえているはず、と。一方、業界のことは網羅していることは求められない。鉄鋼業界もエネルギー業界もIT業界も全部わかっているはず、とは思われない。だから基本的には、MBA出てきたならコンジョイント分析なんて説明しなくてもわかるよな、とは言われても、新薬開発の最前線のことわかるだろ、とは言われない(はず)。<br />
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そして現場業務でもそうした前提に基づいた期待がある。私の場合も「MBAならこういうの得意でしょ」と海外グループ会社の財務資料一式渡されて、フリーハンドで分析をさせられる。世界でどの地域が魅力的かのマーケット調査を命じられる。M&Aの案件に横から突っ込まれる。インド人連れてイタリア行ってよろずよろしくやってきて、ということを当然のように期待される。その分野は門外漢、とは言えないから、はったりでやる。</div>
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ちなみに経営知識というのは、視点も含む。経営者がどのように考えるか、ということだ。何をしたら会社の利益が上がる、とか、何をしなかったら会社が傾く、とか、そういうこと。自分がやっていることは、会社の利益につながっているか。そうでなければ給料泥棒だし、泥棒の額が稼ぐ人の額を超えたら会社はつぶれる。例えばスタッフ部署にいたとして、周りの人は皆そのことを意識しているか。幸いなことに、MBAでは、お前は社長として何をする?と問われ続けたり、一流経営者が山ほど来て話を聞く機会があったり、というのがボディブローのように効いている。ただ、MBAで経営視点が身に付きました、というと感じが悪いのでそうは言わないほうがいい。あくまで、経営に関する広く浅い机上の知識。<br />
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3. ソーシャルアセット<br />
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○○大学のMBAです、ということの社会的意味は大きい。その効果は社会に戻って実感している。肩書から、アクセスできるネットワーク、世界中にいる直接の友人まで。周りに対して発するサインというか、属するコミュニティが増えたということと言ってもいいかもしれない。お前○○中か、から始まり、え、あのアーティストライブ行くほど好きなんだけど、とか、あなたもゴルフやられるんですか、でもなんでもいい。それと同じようなものが、留学とかMITとかMBAとかそういう括りで増える。その共通項を得ること、コミュニティに属するようになったことは、単純だが留学前と後の明確な違いだ。<br />
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まず肩書だが、特にアメリカで仕事をすることになると、大学名や学位が有効になってくる局面がある。WASPのエスタブリッシュトなサークルに玄関を開いてもらうために、アメリカの高等教育機関の共通点を出せることは大きい。そもそもアメリカのマネジメント層はMBAを持っていることが多いから、肩書の恩恵を受ける場面はミーティングやカクテルパーティなど、想像以上に多いだろう。そしてこの肩書は、背が低く胸板が薄く言葉が完璧でない日本人がアメリカ人一般になめられないためにも役に立つ。アメリカ外でも、MBAは効果を発揮する。例えばインドでは、大学卒は日本のように十分な学位としては認められないらしい。卒業後アドバンストエデュケーション(必ずしもMBAである必要はない)を受けることで初めてまともな職に就けるようになるとのこと。Master Degreeを保有していることは、十分に教育されたビジネスパーソンであることの証左になる。その他、いまヨーロッパで仕事していても、お前どこで勉強したとか、大学名は何だとか、ことあるごとに聞かれる。自分がすごいわけでもなんでもなくて大学がすごいというだけのことなのだが、その時に簡単に信用を得られる肩書は便利だ。<br />
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ネットワークも、直接間接で役に立つ。在学中、アメリカでインターンシップをさせてもらったのははるか昔のSloan MBAの卒業生だし、インドネシアで車上荒らしにあった際も、在インドネシアアメリカ大使館のSloan卒業生がいろいろと助けてくれた。日常的にも、何か助けを得たいと思ったら、MITの卒業生データベースInfinite Connectionにアクセスしてふさわしそうな人にアプローチすればよい。技術や理論のことで知りたいことがあれば、お世話になった教授でも知らない教授でもなんでもメールなり電話なりすればよい。例えばSloan外でも、Media Labに行けばどんどん人をつないでくれる。この世界レベルのコミュニティは、関係者の特権だ。<br />
<br />
直接の友人。これは日本人外国人を問わず、また自校他校を問わず、MBAを通じて知り合い仲良くなった友人たち全て。何かあった時に連絡をくれ、こちらからも気軽に連絡ができる仲間。自分の晴れの日にわざわざ海外から駆けつけてくれた盟友。悩んだりした時にもすぐに相談でき、支え合える同志。損得勘定で付き合うのではなく、単純に一緒にいて居心地のいい、心の許せる友人たち。自分にはそういう仲間が世界中にいるんだということは、例え頻繁に連絡を取り合わなくとも、日々の心の支えになる。これは武器という性質のものではないかもしれないが、それ以上に大切な資産だ。<br />
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最後に、「えむびーえー」という肩書への周りの目に対し、恥ずかしくないよう日々精進していくこと。これはもうその学位を取ってしまった以上生涯逃げられないことで、自信を持ち、謙虚さを忘れずに、手を抜かずやっていかねばならない。そうした心構えは、使用前使用後の変化。<br />
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<br />
留学前と比べて別人になれているか、というと全然そんなことはないけれど、やはりMBAのおかげで内にも外にも変化は起きている。日本に戻った際はそこまでは感じなかったけれど、イタリアで働いてみて、変化を再認識した。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-56222403312293314092013-02-20T06:29:00.000-05:002013-02-20T06:29:22.972-05:0010年後の人材価値今日時点で、日本の外で、日本語を使わなくともビジネスの世界で何かできる、というのは徐々に自信になってきてる。本当に日々のことで言えば足らないところは痛感するし、日本語に比べて全てにおいて効率が悪いからもっともっとできなければいけないのだけれど、それでも一言でいうと、まあなんとかなってる。<br />
<br />
一方で、「一生メシ食っていけるか」ということは手ごたえ半分、不安半分。<br />
<br />
こちらヨーロッパで働いても実感するけれど、英語は本当に武器になる。特に日本のジョブマーケットではまだまだいける。企業がグローバルに市場展開しようと思ったら、どんなに内部オペレーションを英語で統一しても、ローカルのGo-to-market部分でインタープレターとしての役割は残る。それは外資が日本マーケットを統括するケースでも、日系企業が海外現地オフィスを統括するケースでも、いずれの場合でも当てはまる。したがって、英語ができる日本人の需要は(面白い仕事かどうかを置けば)10年経っても引き続きある。上意を伝達し、確実に遂行する。その意味では、まあ極端な話、ある程度の英語さえできればどこかでは食っていける気がする。需要と供給のバランスが悪いというだけのことだが、そうした高級通訳人材は求め続けられる。今の自分の役割もそんなもの。<br />
<br />
一方で、英語が当たり前に使えることが前提の仕事環境では、真の意味でのビジネス能力だけが差異化要因になる。本当にグローバルでの人材競争。国籍肌の色なんか関係なく、要は1円でも多く持ってこれるのは誰かという競争。天下一武道会。そこで生き抜き、スタンドアウトするための能力とは何か。前回も書いたように、飛び抜けた何か、例えば市場の臭いをかげるトレーダー、クロスボーダーディールに長けたFA、国際連結決算ができる会計士、グローバルでのインダストリーエキスパート、あるいは現地マーケットで太い人脈を持った人。そうした国を超えて評価される専門性か、あるいはCOO・CFOパスに乗る組織運営能力か。それはまだ何も持てていない。<br />
<br />
かなり乱暴に言うと、企業から見たMBA卒業生のセールスポイントは、1)若くて(Juniorレベル)、2)アスピレーションが高く(よく働く)、3)英語ができて、4)モビリティが高い(中途採用できる)、の4点だと思う。そのうち、早晩1は失われ、2もただ単体で長時間労働すれば価値が出るものでもなくなってくる。その時残るのは3と4だけ。それでも雇ってくれる会社はあるのか。例えば卒業後10年たっても、引き続き引く手がある人材になるためには、どのようにキャリアを積んでいけばよいのか。<br />
<br />
使い減りしない優秀な人材、から、財務的なインパクトを生み出せるマネジメントに変容していかねばならない。しかもその能力をポータブルにする必要がある。特定組織内の政治に長けているとかでなく、この人は、どの会社でもマネジメントとして成果を上げることができる、という中身のある(したがってジョブマーケットでも評価されるような)人材になるために、今日何をすべきか。自分は正しい道を行っているか。成長のスピードは十分か。そんなことを自分に問う。正直自信がないけれど、それでも夢想せずないものねだりせず、目の前のことに向かうしかない。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-46076411502875642532013-01-25T23:35:00.000-05:002013-02-05T23:37:58.234-05:00お前の役割は何だ<br />
イタリアでの仕事が進行中。<br />
<br />
卒業半年。仕事は、少しずつ世界中どこでも一人で素手で戦える自信がついてきた。いや、それも今はグループ会社に行って、本社の人って思われてるから英語のたどたどしいアジア人でもやれてるだけかもしれないが、少なくとも2年前よりは進歩していると感じる。<br />
<br />
もちろん、何ができるというわけでもないから難しい。ロケットでも洗剤でも売れる営業マンとか、プログラミングの鬼とか、とにかく労働法のプロとか。今後本気でグローバルで一人称で戦っていくためには、言葉以上に、世界に討って出れる武器を持つことは大切なのだろう。今回は経理のプロのインド人と一緒に駐在しているが、インド人はわかるけどお前の役割はなんだと真顔で訊かれた。<br />
<br />
でもじっとしているわけにいかないから、とにかく前に出て、はったりで自信ありげにふるまう。できるかどうかわからないけど、これをやると宣言し、ものごとを前に進めていく。人を巻き込んでいく。自分ひとりで働く分には恐らく能力はあまり変わっていないのだろうけど、人と働く力が少しながら進歩しているかもしれない。人と力を合わせて何かを成し遂げよう、そのために自分がKey roleを担おうと意識し、行動すること。<br />
<br />
結局この歳になると人にどう働いてもらうかが鍵になってきて、それをリーダーシップと呼ぶかポジションに甘えた怠惰と呼ぶかは別として、そういうのは大事なのだろう。自分が今回の業務のプロじゃないから、インド人に働いてもらうしかないとか、イタリア人にも仕事してもらわなきゃいけないとか、それを国境を越えて、少なくとも形だけはできるようになったのは、MBAでチームワークを1000本ノックした成果のように思う。<br />
<br />
なんにしても、直近3年では半年しか日本にいないわけで、海外旅行感も薄れ、世界どこでも同じだなとか、良くも悪くも新しさがなくなってきている。それがあまり浮わつかずに仕事ができるようになってきたことのベースにあるかもしれない。とはいえ生活の不自由さは全く解消されないけれど。ルッコラってアルファベット発見したからサラダを期待して注文した品が、メインエビでサブがルッコラだったりとか、今はそのレベルでイタリア語が暗号。もし中学校から英語でなくイタリア語を習ってたら、イタリア語環境のほうが快適だっただろうか。<br />
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-64541646057579308112013-01-19T22:57:00.000-05:002013-02-25T15:34:15.254-05:00スターバックスがない国<br />
仕事でイタリア滞在が開始。<br />
<br />
スターバックスがないこの国で思うこと。いかにアメリカに無意識に影響を受けていたか。この国では英語が通じない。標識が英語でないので読めない。仕事はまだみんな英語だから何とかなるけれど、街に出たら全然。イタリア語しか書いてないメニューでイタリア語しかしゃべれないウェイターに注文するのがこんなに難しいこととは。しかも、イタリアンしかない。週7でイタリアン。<br />
<br />
大都市ミラノにあっても店もみんな個人商店みたいなところばかりで、チェーン店もコンビニもないって、やはり相当に不便。無意識に大規模小売の恩恵を預かってたんだなと思う。<br />
<br />
あとこの国は蛇口ひねったらコーヒーなんじゃないかってくらいコーヒーが出てくる。一つのミーティング中に二回エスプレッソが運ばれてきた時に、イタリア人とコーヒーは不可分だと確信した。<br />
<br />
男も全員ジローラモなわけではないのだね。割にタイトな服を着るのは皆そうみたいだけど、思ったよりギラギラじゃない。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-88422071200837016412012-07-23T08:58:00.000-04:002012-07-23T09:02:43.921-04:00卒業後の仕事日本に帰り、仕事を始めています。今日はその選択について。<br />
<br />
卒業後どんな仕事をするか、まず大レベルでのアスピレーションとしては、「真に世界で戦える日本企業を作りたい」と思っていました。イメージ的には、グローバル企業の日本法人と戦う日本企業ではなく、グローバル企業のヘッドクォーターと競争し勝っていけるようにしたいということです。そのためには、日本企業のグローバルスタンダードへのシフト、とりわけ言語・価格・テクノロジー面での変化を起こしたいと思いました。<br />
<div>
<br /></div>
そして、具体的な卒業後のキャリアの作り方として、派遣元企業のグローバル化を推進することで会社に貢献したいと考えました。復帰後直近はグローバル部署にてインテグレーションに携わり、当社がグローバルレベルで競争していく際に、自分としてその全体像と大きな方向性を捉えておきたいと考えています。そして中期では、事業部門にて実ビジネスで海外に赴任し、現場で力を発揮したいと思っています。<br />
<br />
直近でインテグレーション、中期で海外実ビジネスを目標に置いたのは、それがグローバルワンカンパニーを作るのに、こちらでの経験から自分ができる最善のことだと考えたためです。米国子会社で1ヶ月ほどインターンをした際に、彼らはもちろん自社で業務を完結していますが、足りていないところもたくさん見えましたし、逆に東京が学ばねばならないこともいくつもありました。実際に現地業務をかじった人間として、その時は職務範囲には入らなかったものの正直やりたいことはたくさんあります。学校でもグローバルビジネス・組織関連の授業を取りました。インターン後にも、ボストンという地の利上、事業の繋ぎみたいなことをしたのも自分なりに貢献できる姿をイメージするきっかけとなりました。そこでまずはインテグレーション業務にて当社のグローバルでの全体像を捉え、中期では今よりも強化された当社グローバルネットワークを活かし現場でビジネス拡大を担うとしたら自分としては役立てると思いました。<br />
<br />
今回の件では、いろいろと関係者に話を聞きました。その結果としての自分なりの判断です。実業に近いところで、ということも考えました。自分なりに中期のキャリア形成を考えた際には、しかし、現時点ですぐに個別プロジェクトに従事するよりも、先に大きなゴールイメージと方向性を掴んでおくことが、その後自分が事業部門に所属して一人称で実業をやる際に強いエンジンになると考えました。NYのスタートアップで事業開発のインターンをした際にも、商品のことだけでなく会社の目指すところを知らないと、事業開発はできない、と社長に言われたことが心に残っています。<br />
<br />
M&A急推進後の統合フェーズにおいて、結局自分の派遣元企業はどんな会社で、何を大切にしているか、それを明らかにし、共有していくプロセスに興味があります。そうした日々の業務が、日本の産業がグローバル競争力をつけていくのに何が必要かを生々しいレベルで体感し、自分自身も成長できると考えています。しっかりと道筋を定め、一歩ずつ前進して行けたらよいと考えています。<br />
<br />rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-65865408351267552812012-06-10T00:05:00.001-04:002018-08-21T04:08:32.132-04:002年目を迎える方々へ<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<br />
今日はこれからMBA2年生になる方々へ。<br />
<br />
1年目、超多忙な中新しいことを貪欲に追いかけ、あっという間に長い夏休み。インターン前後で学校と少し距離を置いて立ち止まり、残り一年のフォーカスを考える、そういう時期だと思います。昨年同じような気持ちになった身として、いくつかアドバイス的なものを。<br />
<br />
1)原点に戻る。私が1年前にC11の方が卒業する際にお話を聞いたところ、「卒業後に次の仕事が待っているとして、どんなことができるようになっていたいか、そういう観点で授業を選び、活動するとよい。そして、もう一回原点に戻ることが大切」とアドバイスされました。入学前にエッセイで書いた夢想と、1年実際に過ごした実態の差分を、将来に向けて埋めに行く、その視点はとても役立ちました。<br />
<br />
2)もう一度コンフォートゾーンから出る。2年目が始まってしばらくすると、すべてが2周目なので慣れて来て、快適になってきます。そこが注意で、2年間のうち半分を挑戦しないで終わってしまうのはとてももったいない。私の場合はケネディスクールに行ったのはけっこう役に立って、全くのアウェイで再度クラスで人間関係を構築して行かなければならない。その経験がよかったです。別に新しい人に会うことだけがコンフォートゾーンから出ることではないので、それにこだわる必要はないですが、易きに流されない環境づくりは大切と思います。苦しいことを、やる。<br />
<br />
3)目標は具体的に。私の場合は、例えばBHP(というバーでの毎週のクラスメイトの集まり)に「なるべく」行くではなく「毎週」行くとか。なるべくだと課題とかが入った時にすぐそちらを優先してしまう。それが毎週だと、木曜提出の課題は水曜22時までに終わらせていなければならない、でも水曜日は20時まで授業があるということで、なんなら火曜の夜に死ぬ気で終わらせるとか。もう会社のKPI設定と同じで、具体的にし切らないとふわっとして終わってしまうというのがわかりました。<br />
<br />
残りの1年、今度は地固めができた後だからこそやれることがあります。みなさんが更に健康で充実した日を過ごし、MBAを満喫しきることを祈っています。<br />
<br /></div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-7495729853919808932012-06-09T23:33:00.000-04:002014-05-06T03:20:21.999-04:002年間の振り返り<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
<br />
MBA2年間の振り返り。<br />
<br />
この2年で、自分は何を学んだだろうか。知識レベルのことはもちろんだが、リーダーシップというわけのわからないものの理解がちょっと深まっただけでも、この2年間は学費を払っておつりが来る期間だった。リーダーがいるわけではなく、リーダーシップという行動がある。それは自分を危険にさらす。そしてあなたの行動は人に行動を強いる。その踏み出したらもう戻れない行動を他人にさせることに、あなたは責任を持たなければならない。それが正しい方向に向かっていることを信じれば、できる。そんなことを学んだ。いくつかの活動を通じ、体で感じた。そしてリーダーシップを発揮しなければいけない局面に鼻が利くようになったので、今後それが来たら逃げずに立ち向かおうと思う。<br />
<br />
そして社交に精を出した成果として、有形のネットワークと、同時にコミュニケーションの体の動かし方というソフトスキルが身に付いた気がする。つまり、会話の型(イントロ、トピック選定、膨らませ方、ジョーク、去り方)みたいなものを徹底的に繰り返すことによって、将来知らない人に会っても関係構築できるという自信が少しながらついてきた。何度も失敗し、へこみ、体で覚えたものは、将来きっと役に立つと信じる。テクニックとしては学んだことは細かく言い出すといろいろあるのだけれど、でも究極のところは好かれたかったら好きになれ、ということなのかな。もしも何人かの友人が私のことを好いていてくれたのなら、それは私が彼らに興味を持ち、好意を示し続けたからだと思います。なんか恋愛みたいだけど、そういうことだと思う。<br />
<br />
あとはこの2年間における自分の中の変化としては、ちょっとのことでは驚かなくなった。半年かけて作り上げたイベントの開始数日前にいきなり震災が来て実行是非を判断することになっても、異国到着3時間で貴重品すべて盗難に遭っても、インド人の英語がわからなすぎても、まあ次起きたら想定の範囲内、と言える。焦って自分を見失わなければ、打ち手も見えてくる。<br />
<br />
で、最後に一つ、グローバルで(少なくともアメリカで)生活する耐性がついた。これは自分ではあまり気づかなかったのだけど、2年経ってみると一日ずっと英語環境でもいつの間にか疲れなくなっている。日本食も特になくても大丈夫。なにかにつけて交渉しなきゃならないのも、あきらめも含めてだけど慣れてきた。これは、MBAというよりはアメリカ生活の成果なのかもしれないけど、例えば駐在でこちらに来ていたら、ここまで英語漬けになることもなかったかもしれないし、一人でいろいろ調べたりやらなきゃいけなかったり、というような環境が、結果的に自分を強くしたような気がする。<br />
<br />
MIT全体の卒業式でDeanが、これから世界に散らばるみなさん、と呼びかけていました。なんというか、それがこの学校というか、アメリカの現時点での強さだと感じました。日本の大学の卒業式ではなかなかそんな言葉は出てこない気がします。幸運にもそこで2年間を過ごし努力した人間として、得たものを活かし、ぜひ世界で働き、世界レベルの幸せな人生を築いていかねばならないと思わされました。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-20116226662618577962012-06-08T23:12:00.000-04:002012-06-10T00:37:09.358-04:00Good-bye Sloan6/8、卒業しました。まずは健康に、成し遂げたことに胸を張って卒業の日を迎えられたことをうれしく思います。<br />
<br />
コアセメスターの終わりに、Econの教授が、"You will miss this environment"と言ってました。今それが現実に訪れました。毎日があまりに当たり前すぎて時に退屈に感じてしまうこともあったけど、いざ終わりを迎え、すべてがあり得ないくらいに貴重な日々だったと感じます。<br />
<br />
あっという間の2年間、この2年間はたぶん人生で一番意識的にわがままにアホに生きたし、他人と接点を持ちました。周りには迷惑もたくさんかけたけれど、いつでも100%の信頼で頼れる仲間がいる、それが外で戦う時に力をくれました。迷ったり落ち込んだりする際に、ふっと支え、はげまし、インスパイアしてくれる最高の同士でした。どうもありがとう。<br />
<br />
そんな仲間とC-Function、Japan Trek、Stand with Japanなど、本当にコミュニティにインパクトを与える活動ができたことをうれしく思います。Convocationのスピーチで言及された時はうれしかった。間違いなく学校を代表する活動をした、それは誇りに思っていいことだ。<br />
<br />
ハーバードのリーダーシップの授業の最後に、教授がGood-byeの語源について話しました。"God be with you"ということらしいです。神のご加護があらんことを。こんなところにもアメリカという国は別の国だなと感じるわけだけど、宗教は別としていい言葉だなと思いました。別に今生のお別れではないけれど、Sloanでの2年間を終えこれから世界中で次の舞台へ飛び立つ、その同級生みんなに、そのまま同じ言葉を贈ります。God be with you, may the Force be with you.rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-15044268134759485302012-04-02T18:52:00.001-04:002012-04-02T18:53:08.757-04:00This is what I learned about America本日は、アメリカで生活し、自分なりにアメリカについて学んだことを。<br />
<br />
まずは、これまで日本で生活してきた自分が感じた、アメリカの好きな点。<br />
<br />
1. 敬語がない<br />
まずは何と言っても敬語がないこと。これは人間関係の作り方にとても大きく影響する。私のコアチーム7名の中には、学部卒ですぐにMBAプログラムに来た23歳のメンバーがいた。その彼も含め、われわれのチームはフラットな会話を普通にしていた。2人で話している時には、お互いにまっすぐにフィードバックをした。もちろん彼としては社会人経験がなかったり、年齢が若かったりすることからのプレッシャーはあったのだろうけど(事実そうしたことを後に聞いた)、それでも彼は自信を持って振る舞ったし、そのフラットな関係を日本から来た私も含め当然のものとしてコミュニケーションをした。これが日本だったらどうだろう、と考える。敬語というシステムはどうしても序列を生成する。当人たちがどれほど意識しようとも、そのシステム下においては、英語に比べるとフラットな関係を築くことは難しいように思う。他にもわれわれも例えばプロジェクトでCEOに会っても(当然のことだが)敬語なしで話すし、それが人との距離を近づけるのに効いているように感じた。英語の水平のコミュニケーションは、従って人をつなぐのに向いている気がします。<br />
<br />
2. 多様性を受容するシステムが成立している<br />
次に、さすがに移民の国だけあって、いろいろな文化の人たちが共存している。そのことが、システム的にも多様性を受容する社会を作り上げることにつながっていると感じる。本当に毎日の学校生活でも、それに触れる機会がある。たとえば学校からランチやディナーが出されてイベントをする際には、必ずベジタリアン用のメニューが用意される。ユダヤ教の学生は宗教上の祝日で学校を休むことを許可される。チームメイトの中に日曜は安息日で作業ができないメンバーがいるので、そのようにスケジュールを組む。ひとつのやり方を強制したり、ワンサイズ・フィッツ・オールの方法を出したりということが難しいので、違いを尊重しながら共存する道を見つける。人と違っていてもいい、とかそういうレベルでなく、そもそも違うことが当然で、(もちろん差別もあるのだが、ある程度の層では)マジョリティもマイノリティもいいも悪いもない。これは人口の90%以上が日本人で、小さな違いに目が行き気になる日本とは違う点だし、住ごしやすい環境だと思います。<br />
<br />
3. 家族を大切にする<br />
そして、アメリカ人は本当に家族を大切にする。ワークライフバランスというけれど、それが深く浸透していると感じる。Sloanに来るスピーカーの話を聞いても、彼らが家族の話をすることが多い。そして、そういえば日本でエグゼクティブが講演する際に、あまり家族の話を聞いたことがないなと気づく。また友人に仕事をしていた時の時間の過ごし方を聞いても、日本人や他のアジア人のように仕事漬けで更に同僚と飲みに行ったりということはあまりしないと言う。仕事が終わったら、後はプライベートの時間を家族と過ごす。もちろんMBAに来る奴らだから中には1日18時間働いてたとか、そういうのもいるのだけれど、それでも仕事とプライベートの区切りを付け、その双方を持とうとしていることは同じだった。仕事がすべてではない、もちろん日本でもここ数年で大きく変わってきているとは思いますが、われわれは人生を生きているという意味では、この感覚はとても大切だと思います。<br />
<br />
一方で、アメリカが弱いと感じる点。<br />
<br />
1. 歴史がない<br />
アメリカが究極的にヨーロッパにかなわず、コンプレックスを持っている点は、歴史のなさだと言われる。こればかりはどうしようもない。それに対抗するという意味もあるのだろうが、アメリカではとにかく新しいものが賞賛される。Museum of Modern Art (MOMA)は、アメリカには歴史的な芸術作品がないため、「新しい」ものに価値を置くことで存在を主張している。どんどん新しいものが作り出され、人々がそれを消費する国。これがイノベーションを生み出す素地になっているという見解もある。それはそのとおりかもしれない。しかし、やはりそのコンプレックスは社会にあると感じる。 新しいものに過剰な価値を置いているために、時を経て醸成される良さというものが生まれにくい国だと思います。<br />
<br />
2. プラグマティックすぎる<br />
ビジネススクールにいるからよけいそうなのかもしれないけど、この国の人たちは、とにかく実生活に役立たないものに価値は置かないと感じる。知性とは究極のところ問題解決の道具であり、真理というのは全て「PLAN-DO-SEE 」サイクルに埋め込まれた形でしかありえない 、という姿勢。「いやなんとなく、」とかが言いにくく、「理由があるはずだ、証明せよ。それがわかれば改善できる」と日常生活でも迫られる感じ。そして、この国ではすべてのことは定量化される。それこそ他者に対する感謝だってチップという形で定量化される。ウォーホルがやったように、感性の側に属するアートだって定量的にお金を生むための道具として成立する。役に立たないものを評価しないということは、文化が生まれにくく精神的な豊かさが育まれにくい風土を醸成すると感じる。もちろんアメリカに文化がないということは全然ないけれど、それでも日本やヨーロッパに比べるとそのあまりのプラグマティクさが時に脆さになっていることはあると思います。<br />
<br />
3. 社会が硬直的、弱者に冷たい<br />
社会の硬直性、特に弱者に冷たいという点では、この国に課題は多い。私もそれを垣間見た。スーパーに買い物に行った際に、レジ係の人が買い物袋を他のお客さんに渡し、そのまま気づかずに持っていかれてしまったことがあった。それを店員に言ったら、そこに常駐している警察が出てきて、それはお前がそのお客さんとグルなんだ、お前を逮捕する、と言われる。もうめちゃくちゃ。でよく考えてみると、もしもここで警察が店側のミスを認めると、自分の監督不行き届きになってしまうからだと気づく。もうこれは戦っても仕方ない、ということで引き下がった。他にも、医療もめちゃくちゃお金がかかる。高額の保険に自分で入らないと行けないし、それがなかったらまともな医療なんて受けられない。教育だって同じ。この国には、教育機会が与えられないために英語すらろくに話せず、構造的に低所得層にとどまっている人たちがいる。これはアメリアがものすごい富裕層を作り出す一方で、陰になっている最大の弱点だと思います。<br />
<br />
日本とアメリカのどちらがいいということではなく、違いがあるということ。いいところもあり、弱いところもある。そうした違いがわかったのは短い期間ながらアメリカで生活したからに他ならない。海外に出ることで、自分の国についてよりよくわかったというのは海外生活者が異口同音に話すことだが、それは自分の場合も例外ではなかった。この国でアメリカについて学び、日本について学んだ。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-3290719917636560192012-03-05T16:58:00.005-05:002013-09-07T03:31:32.387-04:00あめりか<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
最近友達と飲んでいて、酔っぱらって語ったところ、好評だった自分の話。<br />
<br />
<br />
小学生の時に初めて映画館でグーニーズを見て、コーラを飲んだ記憶が未だに残っている。思えばそれがアメリカ的なものの原体験だった気がする。ロマンと冒険の国、あめりか。<br />
<br />
中学生になりジーンズはリーバイス。Tシャツはヘインズかフルーツ。ジーンズショップはアメリカの臭いがした。テニスのスターはラスベガス出身のアンドレ・アガシ。<br />
<br />
高校で帰国子女と外国人学生に遭遇する。ナイキのスニーカーを履き、タワーレコードで洋楽を買い、クラスメイトに英語のスラングを教わる。スメルライクティーンスピリット。<br />
<br />
大学に入り文学部でアートをかじる。一番好きだったのはウォーホルで、80年代のニューヨークに思いを馳せる。ターンテーブルを手に入れレコードをいろんな州から個人輸入する。ロサンゼルスの友達を訪れ、本物のスケーターを見る。<br />
<br />
その後就職。 日本の取引先と仕事をする日本の会社。高校時点で海外経験がある奴らは、その後も留学とか海外で働くとかしてるのもいたけど、それらは自分とは関係ないところで起こっていた。<br />
<br />
たぶんどこかでうらやましいと思っていた。海外で、というよりアメリカで生活できたら素敵だ、と漠然と思っていた。<br />
<br />
休みにニューヨークに旅行し、ブルックリンラガーというビールを飲む。この国は、ビール一つ取ったって日本と違うんだなと友達と話す。でも、もちろんすぐに日本に帰って毎日は続く。<br />
<br />
それで、なんとかしてアメリカに来る道はないものか、と無意識で考えてるうちにふと思いついたのが留学というアイディア。これならいい歳して世間に言い訳も立つ。ニューヨークの寿司屋でバイトするというよりは筋がいい。で、受験勉強をしてみる。思いのほか大変でくじけそうになるが、乗り掛かった船は降りられない。<br />
<br />
いろいろ受けた結果、たまたまMITとご縁があり、2年間学ぶ資格を得る。思いつきが、現実になってしまった。<br />
<br />
ということで憧れの地アメリカに来た。英語のシャワーを浴び、山ほど課題を出され、たくさんの機会があり、睡眠時間を削ってしがみつく。それはつらかったけど、せっかくここに来れたのだから、思い切りやろうと思った。<br />
<br />
1年半経ち、だいぶこの環境にも慣れた。クラスメイトとたくさんの時間を過ごし、いろんな話をした。思い知らされたのは、自分はとにかく日本人であるということ。そりゃ当然だ。どれだけアメリカ好きだって、本物のアメリカ人にはかなわない。食べてきた肉の量が違う。歌ってきた国歌が違う。彼らは肉と国を愛している。<br />
<br />
だから、自分もアメリカ人のようになろうとするのではなく、日本人として、世界に出て行くことが必要なのだと学んだ。この国は差別はあるけれど、でも多様性を尊重する。「ここの国民は、結局はみんな移民なんだ」と友人が言った。「エミネムという白人がラップスターで、オバマという黒人が大統領なんだ、それがアメリカの素晴らしいところなんだよ」と別の友人が言った。<br />
<br />
そんな国で、残された留学期間を過ごしている。みんなのおかげで自分が何者かよりよく知り、その芯に誇りを持てるようになった。アメリカに来てよかった。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-29518734594326979272012-02-16T18:09:00.007-05:002014-05-06T03:14:52.305-04:00進路の話<div dir="ltr" style="text-align: left;" trbidi="on">
進路の話。<br />
<br />
夏に複数インターンをし、結果派遣元に帰ることにした。それは、自分が、この歳で、長期でどう育っていきたいか、何を成し遂げたいか考えた結果。自分の経験からも、たとえばコンサル等のプロフェッショナルファームはどれだけ言っても第三者の立場でしかビジネスを見れない。しかも、理論的に正しいことを追求することを求められる。きれいな世界。一方実業は、きれいだろうが下手くそだろうが、とにかく時間内に結果を出し続けていかなければならない。そして、多くの人を実際に動機付け動かしていかなければならない。汗をかき、切ったら血が出るリアルな世界。現段階では、その世界で結果主義を追求するとともに、リーダーシップを増したいと思った。<br />
<br />
冬に一時帰国し、当社グローバルインテグレーションの統括責任者と会った。実はその人からは他社時代にメールをもらっていて、それが縁になった。話をしてみて、会社のグローバル化は本当にすごいスピードで、本気だと感じた。<br />
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日本企業は、これから市場を国外に求め、価格競争力をつけるために自らの組織も急速にグローバル化していく。海外で作り、別の海外に売る。当社もグループで見るといまや約半分が外国人社員。そのうち社内では外国人という言葉すらなくなるんじゃないかと思う。そうした環境で働くのにレディな状態を個人として作る、またレディな雰囲気を組織内に醸成する、そしてひいては日本企業の国際競争力強化にドライブをかける、それがいま海外に出てMBAを学んでいる目的のひとつであり、成し遂げたいこと。<br />
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その責任者の方と話をして、国内市場とは、求めているものも価格も違うグローバルIT市場というものに正面から向かい、そこで戦っていくために組織を劇的に変えていこうとしている現場の話を聞いた。日本企業が外でどう戦っていくか、ではなく、グローバル市場で本気でリーダーとなるためにどう組織を作っていくか、という姿勢。このタイミングで、そんな大きなチャレンジに取り組めるのはチャンスだと思った。また1月にインドネシアでプロジェクトをやった時に、途上国のITはものすごいオポチュニティだと思った。そこにリーチできる力を持った企業で、自分が吸収したものを試してみたいと思った。<br />
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ということで、とりあえずの自分の結論としては、日本人の誇りを持ちグローバルに自分を拓いていくのに、いま派遣元の会社でできることがあるということだった。(もちろん人事の交渉はありますが、基本的には)M&Aを急ピッチで進め、つぎはぎ組織になった当社のグローバルグループ戦略のインプリメンテーションをやります。これについては、自分の中でしっくりきています。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-62389539446025624422012-01-15T18:24:00.005-05:002012-02-16T18:54:47.590-05:00ジャカルタにて雑記学校プロジェクトでジャカルタより。1/3、到着3時間で車上荒らしに遭い、PCもI-20も貴重品全て盗まれた。まあ、それでも人生は続くということで、本日に至ります。<br />
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こちらではアメリカ人、イギリス人、チリ人、私の4人でプロジェクトをやっています。それこそ毎日ずっと一緒にいるわけで、アメリカを離れそうした深い友達と仕事もフリータイムも共に過ごしながらふと頭に浮かんできたことを書こうと思います。<br />
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以前も書いたと思いますが、アメリカで学んだことの一つは、とにかくハッタリでも何でもいいから、confidentであれということ。去年の春学期に、友人に何も得ている気がしないと言ったら、自信を持てと言われた。宿題を忘れたら、自信を持てと言われた。英語が聴こえなくたって言葉が出てこなくたって、自信を持てと言われる。かの国では自信を持って振舞わないと生きていけない。<br />
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今時点でよくつるむ友人はアメリカ人の白人が大多数になった。入り込みにくいところに切り込んできたという自負はあるけれど、一方でそれはなんか自分が戦後日本のコンプレックスをそのままなぞっているのではないかと思うこともある。アメリカに媚を売り経済成長を達成し、自分の意見を出せない。世界はもっと広い。僕らはもっと自己として立たなくてはいけない。そして、各人のルーツを抜きにしては人は立てない。自分はどこで何をしてきた人か、その歴史の上に人は立っている。MBAでいろんな奴に会って、自分がどこの何者かよりよく知った。<br />
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そして、トモダチって何だろう。アメリカで浅い話をたくさんと、運の良い時に少しばかりの深い話をして、自分は心の底から信じられる仲間を何人見つけられただろうか。ある友人は、どんなに取り繕っても、逆にどんなにたどたどしくとも、そいつが信頼できるかは自ずとsmellすると言った。別の友人は、人を見分けるsixth senseを持っていて、それが彼のこれまでの人生を導いてきたと言った。networkingではなくrelationship building、損得勘定なんて一切抜きに、直感が導くとおりに、何があっても信じ助けようと思う仲間に何人か出会えたことを幸運に思い、それを大切にしようと思う。こいつは俺のこと裏切らないし、俺もこいつのこと生涯絶対に裏切れねえ、という感覚。軍出身の友人は、生死がかかったレベルでそれを知っている。表面的な肩書きやメリットベースの付き合いでなく、Smellするかどうか、その肌感覚と判断力は磨くことができたと思う。<br />
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去年も今年も、合格者の希望に満ちた姿を見るにつけ、この素晴らしい環境の中で、入学前に想像したのとはかけ離れた遅々とした変化しか遂げられていない自分に恥ずかしくなる。自分が正しい道を、自分に負けずに進んでいるか不安になる。でも、それでも、悩み立ち止まり怠惰に流される瞬間を含め、正しい回り道をしているのだと信じて、今この地点に立っている。<br />
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そして残りの半年、もう一度初心に立ち返り、getting out of comfort zoneで行こうと決めた。軽々しく語れるようなMBAのtakeawayよりも、言葉にしにくい、なんだかよくわからない違和感のほうが、それを将来消化できた時、本当の成長になるのだと信じています。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-43068309574708348312011-12-29T20:46:00.001-05:002012-02-03T02:22:38.736-05:00意思決定の際の胆力 (Essay 3)特にEssay 3については悩まれる方が多いようで、今日はそれについて私の考えを書きます。<br />
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Essay 3: Please describe a time when you had to make a decision without having all the information you needed.<br />
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これは基本的には、差し迫った状況があって、やるかやらないか、あるいはどちらに行くか十分な情報がないけれど、それでも決めなければならない、という胆力に関する質問と思います。<br />
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この胆力というのはリーダーシップの重要な要素のひとつで、いかに早く決断し、それを周りに信じさせ、成功させられるか、その素質を持っているかどうかをアドミッションは知りたがっています。決断力のないリーダーはだめです。決断力のない男もだめです(苦笑)。<br />
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例えば書き方の例としては、次のようなものが考えられます。2つの道がある。ひとつは比較的固い道で、周りから信頼も得ているし、一定程度の成功も保証されている。もう一方の道は、魅力はあるが極めてリスクが高く、まったく成功しない可能性もある。本当はその成功確度をもう少し情報を集めて見極めてから決断したいが、決定期限を3日後に控えており、それまでに十分な情報は集められない。なので限定的な情報で決断した、という具合です。<br />
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スピードを重視する今日のビジネスにおいては、時間的制約により十分な情報を得ることができないケースは頻繁にあるし、あるいはそもそもどうやっても手に入らない情報もあります。企業活動においては、そうした不完全な情報環境の中で意思決定をしなければならない局面が多くあります。<br />
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そして個人レベルで考えてみた際には、誰にでも、これまである種の決断の際に、情報が不足したまま自分でエイヤ、と決めなければいけなかった点がたくさんあると想像します。そのうちのひとつにフォーカスし、いかに自分の中で悩み、確度を高めるために行動し、最後に腹を据えて決断したか、そのプロセスについて細かく描写するといいと思います。<br />
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そうした意思決定の場においては、自分の判断の拠り所となる軸があるはずです。GoogleであったらDo no evilとか、そういうことです。そうした自分なりの芯について、エッセイでは丁寧に書いてください。それはどうしても成し遂げたいアスピレーションであったり、大切な人に対する信頼であったり、社会・市場が向かうべき方向性への確信であったり、絶対に譲れない倫理であったり、人によってあるいは状況によっても異なるだろうとは思うのですが、結局のところ「何を大切にしているか」、思考のプロセスと意思決定の拠り所を自分の中で明らかにすることはとても大切なことです。そしてそれこそが、将来の意思決定の確度を高めるだろうと、アドミッションに確信させることにもつながります。<br />
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意思決定においては、もちろんそうした自分の判断の拠り所となる軸だけでなく、その裏側で働き成功の確度を高める理性知性がうまく機能している必要があります。たいていの場合、いきなり腹を括るのではなく、まずは手間を惜しまず創意工夫により情報を集めるための努力をする、手に入らないものでも論理を用いて推測をする。その上で直感や腹落ち感、自分の中での納得感というものにより意思決定する、というのが本当のところだと思います。したがって、エッセイでは、①足りない情報を集めるための努力と、②それでも足りないものをジャンプさせるための情報解釈力・想像力、③そして最後に腹をくくるための胆力、この3つがエッセイの中に書かれているように心がけてください。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-19502264711108954112011-12-28T23:21:00.006-05:002012-12-02T04:14:09.695-05:00人を巻き込む力 (Essay 2)続いてエッセイ2について。<br />
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Essay 2: Please describe a time when you convinced an individual or group to accept one of your ideas.<br />
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どんなに高尚なビジョンを掲げても、実際に人が付いてこなかったら意味がありません。あなたはどうやって組織をひとつの方向にAlignさせ、成果を上げることができますか、という問いについて、Implementationの中でもHuman Interactionにフォーカスして書きます。<br />
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これは恐らく3つのエッセイの中では比較的書きやすいと思います。というのは、人との衝突に対して「何を感じ、考え、行動したか」というのはストレートに表現しやすいためです。<br />
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文字にしていくに当たっては、あなたがConvinceした個人あるいはグループを、できるだけビビッドに描写するよう心がけてください。どんな利益を代表している人(たち)なのか、争点はなんだったか、だけでなく、個人レベルではどんな性格か、本音と建前に何か違いがあったか、その人(たち)とのやりとりで、どの地点がブレークスルーのポイントだったか。<br />
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一方で、自分自身について正直に描写することも大切です。何を最初考えていたか、反対にあってどう感じたか、どう咀嚼し行動したか、そしてコミュニケーションの過程で相手側から学んだことにはどんなことがあったか。Convinceしたという事実は、必ずしも100%自分の考えを納得させたということが最大の成果ではありません。複数のEntityがお互いに触れ合う中で、どんなポジティブな化学反応が起きたか、それによってどんな力が組織内に生まれたか、について素直に書いてください。Human Interactionは、お互いに学習し高め合うプロセスであるはずです。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-79091043406012221742011-12-27T23:17:00.000-05:002011-12-29T23:20:23.581-05:00説得力のある未来を描く力 (Essay 1)本日はまずエッセイ1について。<br />
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Essay 1: Please describe a time when you went beyond what was defined, expected, established, or popular.<br />
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自分の経験の中で、周囲の想定を上回ったものについて書くということで、これはどちらかというとAchievementについて書くように見えます。もちろんその成果がポジティブであることは重要なのですが、そのインパクトの大きさだけで例を選ばないよう、またエッセイを展開しないよう気をつけてください。というのは、ほかのエッセイでも共通ですが、ここで問われているのは、あくまで「何を感じ、考え、どう行動したか」ということであるためです。<br />
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なぜ周囲の想定を上回ることができたのか、どうやってNormを超えたか、それはどのようにVisionを作り行動したか、ということによって書くことができます。現状からVisionを描く際に、いかに直感を信じ、規範に捉われず「そもそも~」とゼロベースに立ち返って自分の頭で考え、目指すべき未来を描くことができたか、そのプロセスについて丹念に振り返り書いて下さい。<br />
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人によっては、これを書いていく過程でEssay 2と同じような内容のことを書いてしまう場合があるかもしれません。たしかに最後にResult、この場合はVisionに基づき行動した結果まで書くためどうしても重複してしまいがちですが、そこは注意です。以前も書きましたが、大きく分けるとEssay 1はVisioningについて、Essay 2はImplementationについて問うています。したがって、これをやるぞ、というVisionの形成段階に成功の肝があった事例をEssay 1に、目指すべき方向は見えていたけれど実行段階で強烈に反発を受け、その克服に肝があった事例をEssay 2に書くとよいと思います。Essay 2では、必ずしも自分でVisionを作っている必要はなく組織目標をブレイクダウンし実行したと言ってもよいのですが、Essay 1では、自分がNormを超えたVisionを作り出している必要があるというのがもっとも大きく異なる点です。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-49647129723238322262011-12-26T20:53:00.002-05:002011-12-29T23:24:28.963-05:00MIT SloanのエッセイSloanのエッセイについて、質問をよく頂くのでそれについて。<br />
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MIT Sloanは例年3つのエッセイを課しています(Cover Letterを除く)。多少設問の書き方は変わったりするものの、大枠は変わりません。2011年アドミッションにおいては、以下の3つが出されています。<br />
<ul><li>Essay 1: Please describe a time when you went beyond what was defined, expected, established, or popular. (500 words or fewer, limited to one page)</li>
<li>Essay 2: Please describe a time when you convinced an individual or group to accept one of your ideas. (500 words or fewer, limited to one page)</li>
<li>Essay 3: Please describe a time when you had to make a decision without having all the information you needed. (500 words or fewer, limited to one page)</li>
<li>In each of the essays please describe in detail what you thought, felt, said, and did.</li>
</ul><br />
このインストラクションにあるとおり、各エッセイで何を感じ、考え、どう行動したか、を具体的に書くよう求めてくることが特徴です。意思決定の拠り所となるような価値と、実際に行動を起こした経験から学んだこと、それを深いレベルで振り返り、うまく伝えられるとよいと思います。<br />
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これは全てリーダーシップの要素について問われていると考えてください。一言で言うとEssay 1は進むべき方向を描く力(Visioning)、Essay 2は周りをInvolveする力(Implementation)、そしてEssay 3はDecision Makeする力(Value)です。また、各エッセイでは、それぞれ違った能力を持っていると書いていくことが大切です。「何を感じ、考え、行動したか」について書いていくと、ともすると全てがImplementationに寄った記述になってしまうことがあります。そうした際には、そもそもどんな力について問われているのだっけ、と確認することで、Capabilityの重複感を避けることができると思います。<br />
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また、各エッセイはSTAR(Situation、Task、Action、Result)の様式に沿って書くことが求められています。この様式で書くことは、自分の過去の経験を振り返り、定着させることにつながるので、とても有意義な動作となるはずです。したがってその際に、この経験からのTake away(学び)は何か、まで抽出し、STARTとして書くようにしてください。最後に学びを普遍化することは自分にとっての経験の価値を格段に増します。またこれを体験したことによって、次に同様のことが起きた際にも成功の再現性がある、と読み手に確信させるため、アプリケーション上も有効です。<br />
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</div>それぞれの設問にどう答えていくか、もちろん正解はありませんが、以降のポストで考え方のガイドラインを書いてみようと思います。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-14055953756133980662011-12-19T18:34:00.003-05:002012-02-16T18:46:51.759-05:00静かなボストン試験が終わり、ぼちぼちクラスメイトがボストンを離れていきます。急に街が静かになったので、クリスマス休暇を前に、家でふと1年を振り返ってます。<br />
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1月にシリコンバレートレックに行ったのがもはや同じ年とは思えないほどいろいろやった1年間でした。思い返してもアメリカ人と二人きりのドライブはつらかった。しかしサンフランシスコの中華はうまかった。その後はまったくの無防備でヨセミテに行き、ナパとソノマで快飲し、送ったワインが家に届かないというおまけ付。<br />
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3月にはJapan Trekの予定だったのが、まさかの大地震でキャンセル。それは本当に残念でしたが、Stand with Japanでは志のある仲間と一緒によい仕事ができたことを心から誇りに思います。どうもありがとう。<br />
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春は少し足踏みした時期もありますが、6月からのインターンでは環境を大きく変え、よいストレッチの機会をえました。また貴重な出会いや再会も多くあり、充実した時間でした。<br />
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9月に学校に戻りネジを締め直す。Sloanのほかハーバードのケネディスクールでも授業を取り、世の中へのインパクトの与え方について考える引き出しを増やせた。イベント関連ではC-functionも成功できたし、Japan Mixerという持ち込み企画で日本の味をふるまえたのもよかったです。自分自身もまさかの変化があったしな、1年って不思議な感じ。とにもかくにも、みんなに本当に感謝です。<br />
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1月はG-labのプロジェクトでインドネシアへ。そして2月から、また最後のお祭りが始まります。<br />
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ということで、Merry Christmas & Happy New Year。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-79103857152898565042011-12-18T10:11:00.006-05:002012-12-02T04:17:59.792-05:00出願戦略についてセカンドラウンドのデッドラインが近づき、今年受験の方は時間との戦いの日々だと思います。今日は出願戦略について、個人的な見解を書きます。<br />
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まず、これはよく言われることですが、あまり多くの学校に出すのは効果的ではありません。下手な鉄砲数撃ちゃ、というのはMBA受験においては当てはまりません。気持ちが分散すると作業効率が落ちますし、実は単純に事務的に各校の出願書類をWebで打ち込んでいくだけでも(アップデート、エラーチェックを含め)相当な時間を要します。それよりも、ラウンドあたり最大4校くらいを目安に、とにかくエッセイをしっかり書き込んでいくほうがよほど合格可能性は高まると思います。ここでいうエッセイの書き込みとは、ネタがしっかり揃った後の学校向けカスタマイズを含みます。本当に強いエッセイを書き上げるためには、Why this school?だけでなく出願全体のパッケージを各校ごとに作っていくくらいの気持ちで臨む必要があります。<br />
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中身について。出願校確定、各校カスタマイズの前に、まず、自分を一言で言うと?のラベリングは受験において必須と思います。アドミッションは「○○の××さん」というふうに記憶していると言われます。クリアなキャリアゴールとWhy MBA?だけでなく、過去の体験から生まれたValueをもっと研ぎ澄まして、それが学校で自分自身Performし、学年全体の雰囲気を盛り上げることをアドミッションに確信させられるように書き上げてください。キャリア上のエクセレンスは誰もが仕上げてくる中、アドミッションが究極的に欲しいのは顔が見えるパーソナリティです。<br />
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そしてValueが整理できてきたところで、学校について。いわゆるドリームスクールのようなものは受験の初期から誰でもあると思うのですが、併願校も含め全体として最終的にどういう学校に出願していくかは悩む方もいると思います。個人的には、大きく3つのグルーピングの方向性があると考えていました。<br />
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<li>Finance系でさらっとしている</li>
<li>GM系でチーム重視</li>
<li>専門的な強みを持つ(ヘルスケア・パブリックマネジメントなど)</li>
</ul>
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プログラムやカルチャーに沿って書くと、そのグループ内のほうが量産しやすい(あまり変えずにFitを伝えやすい)というのは真実です。これはまったくの私見ですが、大きくFinance系/GM系とDry/Wetなカルチャーには相関があります(もちろん例外はありますが)。リジッドに数字で投資判断を求められるファイナンス系は必然的に合理的・ドライになりますし、数字だけでない人心掌握を求められるGM系はやはりエモーショナル・ウェットになります。これは、将来自分がCFOを経由してCEOになるのか、それともCOOを経由してCEOを目指すのか、という大きな道筋と整合します。そして、アドミッションは、こいつはどちらのパスに乗っているか、そうしたクラスメイトとフィットするか、と直感的に判断します。誤解を恐れずに書くと、B-schoolを女性との交際・結婚と例えた時に、お金が好きな女性を選ぶか、それとも信頼を求める女性を選ぶか、同時にそうした女性から選ばれるかということだと思います。エッセイをどれだけ取り繕っても、これまでの人生で積み上げた強固なものを変えることはできません。自分の経験に照らしても、どれだけがんばっても一生好きになってもらえないタイプの女性(=学校)は確かに存在します。そうしたことも踏まえ、出願校を確定されるとよいと思います。<br />
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更に、例えば自分が次のようなことを訊かれたらどう答えるか考えてみることも、出願校の確定に役立つかもしれません。以下は私の例です。もちろん人によって状況は異なるかと思いますが、そもそも、とか、究極の選択、とかそういうレベルの問いを投げることによって見えてくるものがあるはずです。<br />
<ul>
<li>ヨーロッパおよびアジアでのビジネスを拡大する際に、米国のB-schoolを志望する理由は?INSEADのフォンテンブロー・シンガポールのほうがよいのでは?</li>
<li>チームワーク、狭く濃い人間関係、どれくらい好き?ずっと人といると疲れない?</li>
<li>卒業後ソリッドに使えるプラクティカルな知識・意思決定経験と、ヒエラルキーなしのチームでひたすらコミュニケーションを繰り返す経験とで、2年間で究極的にはどちらを得たい?(100対0ということはあり得ないので、51対49でよいが、どちらか)</li>
<li>今のキャリアでシニアプログラムでなく、レギュラーMBAな理由は?</li>
<li>何でもやりたいとは思うけど、2年間は案外短いので、専攻をひとつ決めなけばならないとすると、何?</li>
</ul>
このあたりを自分の頭の中でとことんまで整理して、(明示的にではないにせよ)エッセイにほのめかすくらいまでできると、かなり光ると思います。インタビューではこれくらいの想定問答準備は必須です(以上は結果的に、ほぼ私がインタビューで尋ねられたことです)。<br />
<div>
<br /></div>
<div>
これが皆さんの出願戦略検討の一助になれば幸いです。どうかがんばってください。</div>
rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6941994788299263518.post-45772913703282743392011-10-27T23:01:00.002-04:002011-10-27T23:03:00.966-04:00AmbitionとAspirationAmbitionとAspirationについて。<br />
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今期足を伸ばして取っているハーバードのリーダーシップの授業での今度の課題が、自分のAmbitionとAspirationについてそれぞれReflectして書くというもの。で、そもそもAmbitionとAspirationの違いは何かということの説明を受ける。<br />
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Ambitionとは、「What you want to get」で、つまり何かを世界から得たいと思うこと。具合的には、お金であったり、名誉であったり、パワー、マイホーム、幸せなアーリーリタイア、家族との時間など、その対象は何でもよい。<br />
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一方のAspirationとは、inspireやexpireなどの語幹となっているspireが含まれることからも推察されるように、「What you want to give」で、つまり世界に何かを与えたいと思うこと。世界平和だったり、便利な生活だったり、グローバルヘルスケアだったり、サステイナブルな世界だったり、これもどんなものにもなりうる。<br />
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何がしたいのか、何を成し遂げたいのか、どうなっていたいのか、いろいろと留学期間中に考えているが、改めてここで整理する機会を得たので、それに乗っかって考えてみることにしよう。rivermeethttp://www.blogger.com/profile/13040394433629176520noreply@blogger.com0