2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

August 28, 2010

インターナショナルとは

今週からアメリカ人が合流してきて、またムードが変わってきました。夜はバーに行き、つまらない話でアメリカ人に逃げられてます。今日は近所でBBQでまた英語。パーティったって戦場で、楽しいばかりじゃないけど、もう毎日無料の英会話教室に通ってると割り切って何とか生きてます。

そのBBQパーティが終わり、みんなはこれからバーに行くそうですが、英語のシャワーの限界が到達したのでそれはやめて家に帰ってきました。とはいえ2ヶ月半たって、ようやく少し英語が慣れてきた気がします。一般的に言うと2ヶ月らしいので、25%遅いということですね。歳か才能か・・・
しかしながらパーティがつらいのは日本にいたときから変わらずでつまり人がたくさんいる中で話し相手を見つけることがつらいのか、それとも英語で話すことがつらいのか、よくわかりません。まあ寄る辺ない気持ちになるのは間違いなく、それが日本なら一人パーティで取り残されてもまだプライドを保てますが、こちらでは本当にだめな烙印を押されるようで怖く、(うざがられるのを承知で)ひたすら人に話しかけに行ってます。みんな大人な顔してるし英語できるから引け目感じるけど、ほとんど年下。ああそういえば、こちらではほとんど歳は関係ない。

加えて、人種の壁を越えるのは思った以上に難しい。何を言っているかというと、「いんたーなしょなる」な人たちが集まるといったって、皆コンフォートゾーンは出ていない。アジア人はアジア人で固まると言われるけど、そして事実これまでのところそのとおりな傾向があるけど、それはヨーロッパ人、ラテンアメリカ人も全く変わらずで、今日のパーティも結局行ってみたらスペイン語圏のメンツ(スペイン、ベネズエラ、チリ、、、)がほとんどでした。そして実際に会話をしていると、言語以上に共通で持っているものの多さが関係の心地よさを決定するということを実感する。仮に英語が通じないレベルが同じだとしたら、アジア人と話しているほうが格段に気楽に話せる。遠い異国の地においては、韓国人と日本人の差異なんてほとんどないも同様です。隣の国の人どうし、いちばん友達になれる。それがなんなのかまだわからないけれど、そういうこと。一人ひとりは人種地域の別なくみな同様に魅力的な人物なことは間違いないですが

だから、今は「非アジア人」と一人でも多く友達になれるように努力しています。たとえば数学を高一で切り上げたのがここに来て効いてきて、さっぱりわからずで休み時間にイスラエル人に微分をマンツーマンで教えてもらっていたりとか、そういう機会をなるべく積極的に持つようにしてます。これも劇的な進歩はない。一度に多くの人たちと友達になるなんて不可能だから、一人ひとりとちょっとずつ話を積み重ねるという行為を積み重ねていかなくてはならない。最近は日々遊んでいるようで、とても多くを学んでいます。エネルギーを使うけれど、なるべくそこから逃げないようにしてます。別に違う人種がアジア人よりえらいわけでもなんでもないけれど、アジア人のほうがComfortableだから、今じゃないとできないことをする、外に出て行くことがここにいることの意義かなと思っています。

改めて文字に起こすと恥ずかしい話ですが、日本代表というのは大げさながら、誰かのおかげでここにいることができてることは間違いなく、それに恥じないような毎日を送りたいと思います。いろいろぶっ壊すぞ。

No comments: