2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

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June 9, 2012

2年間の振り返り


MBA2年間の振り返り。

この2年で、自分は何を学んだだろうか。知識レベルのことはもちろんだが、リーダーシップというわけのわからないものの理解がちょっと深まっただけでも、この2年間は学費を払っておつりが来る期間だった。リーダーがいるわけではなく、リーダーシップという行動がある。それは自分を危険にさらす。そしてあなたの行動は人に行動を強いる。その踏み出したらもう戻れない行動を他人にさせることに、あなたは責任を持たなければならない。それが正しい方向に向かっていることを信じれば、できる。そんなことを学んだ。いくつかの活動を通じ、体で感じた。そしてリーダーシップを発揮しなければいけない局面に鼻が利くようになったので、今後それが来たら逃げずに立ち向かおうと思う。

そして社交に精を出した成果として、有形のネットワークと、同時にコミュニケーションの体の動かし方というソフトスキルが身に付いた気がする。つまり、会話の型(イントロ、トピック選定、膨らませ方、ジョーク、去り方)みたいなものを徹底的に繰り返すことによって、将来知らない人に会っても関係構築できるという自信が少しながらついてきた。何度も失敗し、へこみ、体で覚えたものは、将来きっと役に立つと信じる。テクニックとしては学んだことは細かく言い出すといろいろあるのだけれど、でも究極のところは好かれたかったら好きになれ、ということなのかな。もしも何人かの友人が私のことを好いていてくれたのなら、それは私が彼らに興味を持ち、好意を示し続けたからだと思います。なんか恋愛みたいだけど、そういうことだと思う。

あとはこの2年間における自分の中の変化としては、ちょっとのことでは驚かなくなった。半年かけて作り上げたイベントの開始数日前にいきなり震災が来て実行是非を判断することになっても、異国到着3時間で貴重品すべて盗難に遭っても、インド人の英語がわからなすぎても、まあ次起きたら想定の範囲内、と言える。焦って自分を見失わなければ、打ち手も見えてくる。

で、最後に一つ、グローバルで(少なくともアメリカで)生活する耐性がついた。これは自分ではあまり気づかなかったのだけど、2年経ってみると一日ずっと英語環境でもいつの間にか疲れなくなっている。日本食も特になくても大丈夫。なにかにつけて交渉しなきゃならないのも、あきらめも含めてだけど慣れてきた。これは、MBAというよりはアメリカ生活の成果なのかもしれないけど、例えば駐在でこちらに来ていたら、ここまで英語漬けになることもなかったかもしれないし、一人でいろいろ調べたりやらなきゃいけなかったり、というような環境が、結果的に自分を強くしたような気がする。

MIT全体の卒業式でDeanが、これから世界に散らばるみなさん、と呼びかけていました。なんというか、それがこの学校というか、アメリカの現時点での強さだと感じました。日本の大学の卒業式ではなかなかそんな言葉は出てこない気がします。幸運にもそこで2年間を過ごし努力した人間として、得たものを活かし、ぜひ世界で働き、世界レベルの幸せな人生を築いていかねばならないと思わされました。

June 8, 2012

Good-bye Sloan

6/8、卒業しました。まずは健康に、成し遂げたことに胸を張って卒業の日を迎えられたことをうれしく思います。

コアセメスターの終わりに、Econの教授が、"You will miss this environment"と言ってました。今それが現実に訪れました。毎日があまりに当たり前すぎて時に退屈に感じてしまうこともあったけど、いざ終わりを迎え、すべてがあり得ないくらいに貴重な日々だったと感じます。

あっという間の2年間、この2年間はたぶん人生で一番意識的にわがままにアホに生きたし、他人と接点を持ちました。周りには迷惑もたくさんかけたけれど、いつでも100%の信頼で頼れる仲間がいる、それが外で戦う時に力をくれました。迷ったり落ち込んだりする際に、ふっと支え、はげまし、インスパイアしてくれる最高の同士でした。どうもありがとう。

そんな仲間とC-Function、Japan Trek、Stand with Japanなど、本当にコミュニティにインパクトを与える活動ができたことをうれしく思います。Convocationのスピーチで言及された時はうれしかった。間違いなく学校を代表する活動をした、それは誇りに思っていいことだ。

ハーバードのリーダーシップの授業の最後に、教授がGood-byeの語源について話しました。"God be with you"ということらしいです。神のご加護があらんことを。こんなところにもアメリカという国は別の国だなと感じるわけだけど、宗教は別としていい言葉だなと思いました。別に今生のお別れではないけれど、Sloanでの2年間を終えこれから世界中で次の舞台へ飛び立つ、その同級生みんなに、そのまま同じ言葉を贈ります。God be with you, may the Force be with you.

April 2, 2012

This is what I learned about America

本日は、アメリカで生活し、自分なりにアメリカについて学んだことを。

まずは、これまで日本で生活してきた自分が感じた、アメリカの好きな点。

1. 敬語がない
まずは何と言っても敬語がないこと。これは人間関係の作り方にとても大きく影響する。私のコアチーム7名の中には、学部卒ですぐにMBAプログラムに来た23歳のメンバーがいた。その彼も含め、われわれのチームはフラットな会話を普通にしていた。2人で話している時には、お互いにまっすぐにフィードバックをした。もちろん彼としては社会人経験がなかったり、年齢が若かったりすることからのプレッシャーはあったのだろうけど(事実そうしたことを後に聞いた)、それでも彼は自信を持って振る舞ったし、そのフラットな関係を日本から来た私も含め当然のものとしてコミュニケーションをした。これが日本だったらどうだろう、と考える。敬語というシステムはどうしても序列を生成する。当人たちがどれほど意識しようとも、そのシステム下においては、英語に比べるとフラットな関係を築くことは難しいように思う。他にもわれわれも例えばプロジェクトでCEOに会っても(当然のことだが)敬語なしで話すし、それが人との距離を近づけるのに効いているように感じた。英語の水平のコミュニケーションは、従って人をつなぐのに向いている気がします。

2. 多様性を受容するシステムが成立している
次に、さすがに移民の国だけあって、いろいろな文化の人たちが共存している。そのことが、システム的にも多様性を受容する社会を作り上げることにつながっていると感じる。本当に毎日の学校生活でも、それに触れる機会がある。たとえば学校からランチやディナーが出されてイベントをする際には、必ずベジタリアン用のメニューが用意される。ユダヤ教の学生は宗教上の祝日で学校を休むことを許可される。チームメイトの中に日曜は安息日で作業ができないメンバーがいるので、そのようにスケジュールを組む。ひとつのやり方を強制したり、ワンサイズ・フィッツ・オールの方法を出したりということが難しいので、違いを尊重しながら共存する道を見つける。人と違っていてもいい、とかそういうレベルでなく、そもそも違うことが当然で、(もちろん差別もあるのだが、ある程度の層では)マジョリティもマイノリティもいいも悪いもない。これは人口の90%以上が日本人で、小さな違いに目が行き気になる日本とは違う点だし、住ごしやすい環境だと思います。

3. 家族を大切にする
そして、アメリカ人は本当に家族を大切にする。ワークライフバランスというけれど、それが深く浸透していると感じる。Sloanに来るスピーカーの話を聞いても、彼らが家族の話をすることが多い。そして、そういえば日本でエグゼクティブが講演する際に、あまり家族の話を聞いたことがないなと気づく。また友人に仕事をしていた時の時間の過ごし方を聞いても、日本人や他のアジア人のように仕事漬けで更に同僚と飲みに行ったりということはあまりしないと言う。仕事が終わったら、後はプライベートの時間を家族と過ごす。もちろんMBAに来る奴らだから中には1日18時間働いてたとか、そういうのもいるのだけれど、それでも仕事とプライベートの区切りを付け、その双方を持とうとしていることは同じだった。仕事がすべてではない、もちろん日本でもここ数年で大きく変わってきているとは思いますが、われわれは人生を生きているという意味では、この感覚はとても大切だと思います。

一方で、アメリカが弱いと感じる点。

1. 歴史がない
アメリカが究極的にヨーロッパにかなわず、コンプレックスを持っている点は、歴史のなさだと言われる。こればかりはどうしようもない。それに対抗するという意味もあるのだろうが、アメリカではとにかく新しいものが賞賛される。Museum of Modern Art (MOMA)は、アメリカには歴史的な芸術作品がないため、「新しい」ものに価値を置くことで存在を主張している。どんどん新しいものが作り出され、人々がそれを消費する国。これがイノベーションを生み出す素地になっているという見解もある。それはそのとおりかもしれない。しかし、やはりそのコンプレックスは社会にあると感じる。 新しいものに過剰な価値を置いているために、時を経て醸成される良さというものが生まれにくい国だと思います。

2. プラグマティックすぎる
ビジネススクールにいるからよけいそうなのかもしれないけど、この国の人たちは、とにかく実生活に役立たないものに価値は置かないと感じる。知性とは究極のところ問題解決の道具であり、真理というのは全て「PLAN-DO-SEE 」サイクルに埋め込まれた形でしかありえない 、という姿勢。「いやなんとなく、」とかが言いにくく、「理由があるはずだ、証明せよ。それがわかれば改善できる」と日常生活でも迫られる感じ。そして、この国ではすべてのことは定量化される。それこそ他者に対する感謝だってチップという形で定量化される。ウォーホルがやったように、感性の側に属するアートだって定量的にお金を生むための道具として成立する。役に立たないものを評価しないということは、文化が生まれにくく精神的な豊かさが育まれにくい風土を醸成すると感じる。もちろんアメリカに文化がないということは全然ないけれど、それでも日本やヨーロッパに比べるとそのあまりのプラグマティクさが時に脆さになっていることはあると思います。

3. 社会が硬直的、弱者に冷たい
社会の硬直性、特に弱者に冷たいという点では、この国に課題は多い。私もそれを垣間見た。スーパーに買い物に行った際に、レジ係の人が買い物袋を他のお客さんに渡し、そのまま気づかずに持っていかれてしまったことがあった。それを店員に言ったら、そこに常駐している警察が出てきて、それはお前がそのお客さんとグルなんだ、お前を逮捕する、と言われる。もうめちゃくちゃ。でよく考えてみると、もしもここで警察が店側のミスを認めると、自分の監督不行き届きになってしまうからだと気づく。もうこれは戦っても仕方ない、ということで引き下がった。他にも、医療もめちゃくちゃお金がかかる。高額の保険に自分で入らないと行けないし、それがなかったらまともな医療なんて受けられない。教育だって同じ。この国には、教育機会が与えられないために英語すらろくに話せず、構造的に低所得層にとどまっている人たちがいる。これはアメリアがものすごい富裕層を作り出す一方で、陰になっている最大の弱点だと思います。

日本とアメリカのどちらがいいということではなく、違いがあるということ。いいところもあり、弱いところもある。そうした違いがわかったのは短い期間ながらアメリカで生活したからに他ならない。海外に出ることで、自分の国についてよりよくわかったというのは海外生活者が異口同音に話すことだが、それは自分の場合も例外ではなかった。この国でアメリカについて学び、日本について学んだ。

March 5, 2012

あめりか

最近友達と飲んでいて、酔っぱらって語ったところ、好評だった自分の話。


小学生の時に初めて映画館でグーニーズを見て、コーラを飲んだ記憶が未だに残っている。思えばそれがアメリカ的なものの原体験だった気がする。ロマンと冒険の国、あめりか。

中学生になりジーンズはリーバイス。Tシャツはヘインズかフルーツ。ジーンズショップはアメリカの臭いがした。テニスのスターはラスベガス出身のアンドレ・アガシ。

高校で帰国子女と外国人学生に遭遇する。ナイキのスニーカーを履き、タワーレコードで洋楽を買い、クラスメイトに英語のスラングを教わる。スメルライクティーンスピリット。

大学に入り文学部でアートをかじる。一番好きだったのはウォーホルで、80年代のニューヨークに思いを馳せる。ターンテーブルを手に入れレコードをいろんな州から個人輸入する。ロサンゼルスの友達を訪れ、本物のスケーターを見る。

その後就職。 日本の取引先と仕事をする日本の会社。高校時点で海外経験がある奴らは、その後も留学とか海外で働くとかしてるのもいたけど、それらは自分とは関係ないところで起こっていた。

たぶんどこかでうらやましいと思っていた。海外で、というよりアメリカで生活できたら素敵だ、と漠然と思っていた。

休みにニューヨークに旅行し、ブルックリンラガーというビールを飲む。この国は、ビール一つ取ったって日本と違うんだなと友達と話す。でも、もちろんすぐに日本に帰って毎日は続く。

それで、なんとかしてアメリカに来る道はないものか、と無意識で考えてるうちにふと思いついたのが留学というアイディア。これならいい歳して世間に言い訳も立つ。ニューヨークの寿司屋でバイトするというよりは筋がいい。で、受験勉強をしてみる。思いのほか大変でくじけそうになるが、乗り掛かった船は降りられない。

いろいろ受けた結果、たまたまMITとご縁があり、2年間学ぶ資格を得る。思いつきが、現実になってしまった。

ということで憧れの地アメリカに来た。英語のシャワーを浴び、山ほど課題を出され、たくさんの機会があり、睡眠時間を削ってしがみつく。それはつらかったけど、せっかくここに来れたのだから、思い切りやろうと思った。

1年半経ち、だいぶこの環境にも慣れた。クラスメイトとたくさんの時間を過ごし、いろんな話をした。思い知らされたのは、自分はとにかく日本人であるということ。そりゃ当然だ。どれだけアメリカ好きだって、本物のアメリカ人にはかなわない。食べてきた肉の量が違う。歌ってきた国歌が違う。彼らは肉と国を愛している。

だから、自分もアメリカ人のようになろうとするのではなく、日本人として、世界に出て行くことが必要なのだと学んだ。この国は差別はあるけれど、でも多様性を尊重する。「ここの国民は、結局はみんな移民なんだ」と友人が言った。「エミネムという白人がラップスターで、オバマという黒人が大統領なんだ、それがアメリカの素晴らしいところなんだよ」と別の友人が言った。

そんな国で、残された留学期間を過ごしている。みんなのおかげで自分が何者かよりよく知り、その芯に誇りを持てるようになった。アメリカに来てよかった。

February 16, 2012

進路の話

進路の話。

夏に複数インターンをし、結果派遣元に帰ることにした。それは、自分が、この歳で、長期でどう育っていきたいか、何を成し遂げたいか考えた結果。自分の経験からも、たとえばコンサル等のプロフェッショナルファームはどれだけ言っても第三者の立場でしかビジネスを見れない。しかも、理論的に正しいことを追求することを求められる。きれいな世界。一方実業は、きれいだろうが下手くそだろうが、とにかく時間内に結果を出し続けていかなければならない。そして、多くの人を実際に動機付け動かしていかなければならない。汗をかき、切ったら血が出るリアルな世界。現段階では、その世界で結果主義を追求するとともに、リーダーシップを増したいと思った。

冬に一時帰国し、当社グローバルインテグレーションの統括責任者と会った。実はその人からは他社時代にメールをもらっていて、それが縁になった。話をしてみて、会社のグローバル化は本当にすごいスピードで、本気だと感じた。

日本企業は、これから市場を国外に求め、価格競争力をつけるために自らの組織も急速にグローバル化していく。海外で作り、別の海外に売る。当社もグループで見るといまや約半分が外国人社員。そのうち社内では外国人という言葉すらなくなるんじゃないかと思う。そうした環境で働くのにレディな状態を個人として作る、またレディな雰囲気を組織内に醸成する、そしてひいては日本企業の国際競争力強化にドライブをかける、それがいま海外に出てMBAを学んでいる目的のひとつであり、成し遂げたいこと。

その責任者の方と話をして、国内市場とは、求めているものも価格も違うグローバルIT市場というものに正面から向かい、そこで戦っていくために組織を劇的に変えていこうとしている現場の話を聞いた。日本企業が外でどう戦っていくか、ではなく、グローバル市場で本気でリーダーとなるためにどう組織を作っていくか、という姿勢。このタイミングで、そんな大きなチャレンジに取り組めるのはチャンスだと思った。また1月にインドネシアでプロジェクトをやった時に、途上国のITはものすごいオポチュニティだと思った。そこにリーチできる力を持った企業で、自分が吸収したものを試してみたいと思った。

ということで、とりあえずの自分の結論としては、日本人の誇りを持ちグローバルに自分を拓いていくのに、いま派遣元の会社でできることがあるということだった。(もちろん人事の交渉はありますが、基本的には)M&Aを急ピッチで進め、つぎはぎ組織になった当社のグローバルグループ戦略のインプリメンテーションをやります。これについては、自分の中でしっくりきています。

January 15, 2012

ジャカルタにて雑記

学校プロジェクトでジャカルタより。1/3、到着3時間で車上荒らしに遭い、PCもI-20も貴重品全て盗まれた。まあ、それでも人生は続くということで、本日に至ります。

こちらではアメリカ人、イギリス人、チリ人、私の4人でプロジェクトをやっています。それこそ毎日ずっと一緒にいるわけで、アメリカを離れそうした深い友達と仕事もフリータイムも共に過ごしながらふと頭に浮かんできたことを書こうと思います。

以前も書いたと思いますが、アメリカで学んだことの一つは、とにかくハッタリでも何でもいいから、confidentであれということ。去年の春学期に、友人に何も得ている気がしないと言ったら、自信を持てと言われた。宿題を忘れたら、自信を持てと言われた。英語が聴こえなくたって言葉が出てこなくたって、自信を持てと言われる。かの国では自信を持って振舞わないと生きていけない。

今時点でよくつるむ友人はアメリカ人の白人が大多数になった。入り込みにくいところに切り込んできたという自負はあるけれど、一方でそれはなんか自分が戦後日本のコンプレックスをそのままなぞっているのではないかと思うこともある。アメリカに媚を売り経済成長を達成し、自分の意見を出せない。世界はもっと広い。僕らはもっと自己として立たなくてはいけない。そして、各人のルーツを抜きにしては人は立てない。自分はどこで何をしてきた人か、その歴史の上に人は立っている。MBAでいろんな奴に会って、自分がどこの何者かよりよく知った。

そして、トモダチって何だろう。アメリカで浅い話をたくさんと、運の良い時に少しばかりの深い話をして、自分は心の底から信じられる仲間を何人見つけられただろうか。ある友人は、どんなに取り繕っても、逆にどんなにたどたどしくとも、そいつが信頼できるかは自ずとsmellすると言った。別の友人は、人を見分けるsixth senseを持っていて、それが彼のこれまでの人生を導いてきたと言った。networkingではなくrelationship building、損得勘定なんて一切抜きに、直感が導くとおりに、何があっても信じ助けようと思う仲間に何人か出会えたことを幸運に思い、それを大切にしようと思う。こいつは俺のこと裏切らないし、俺もこいつのこと生涯絶対に裏切れねえ、という感覚。軍出身の友人は、生死がかかったレベルでそれを知っている。表面的な肩書きやメリットベースの付き合いでなく、Smellするかどうか、その肌感覚と判断力は磨くことができたと思う。

去年も今年も、合格者の希望に満ちた姿を見るにつけ、この素晴らしい環境の中で、入学前に想像したのとはかけ離れた遅々とした変化しか遂げられていない自分に恥ずかしくなる。自分が正しい道を、自分に負けずに進んでいるか不安になる。でも、それでも、悩み立ち止まり怠惰に流される瞬間を含め、正しい回り道をしているのだと信じて、今この地点に立っている。

そして残りの半年、もう一度初心に立ち返り、getting out of comfort zoneで行こうと決めた。軽々しく語れるようなMBAのtakeawayよりも、言葉にしにくい、なんだかよくわからない違和感のほうが、それを将来消化できた時、本当の成長になるのだと信じています。

December 19, 2011

静かなボストン

試験が終わり、ぼちぼちクラスメイトがボストンを離れていきます。急に街が静かになったので、クリスマス休暇を前に、家でふと1年を振り返ってます。

1月にシリコンバレートレックに行ったのがもはや同じ年とは思えないほどいろいろやった1年間でした。思い返してもアメリカ人と二人きりのドライブはつらかった。しかしサンフランシスコの中華はうまかった。その後はまったくの無防備でヨセミテに行き、ナパとソノマで快飲し、送ったワインが家に届かないというおまけ付。

3月にはJapan Trekの予定だったのが、まさかの大地震でキャンセル。それは本当に残念でしたが、Stand with Japanでは志のある仲間と一緒によい仕事ができたことを心から誇りに思います。どうもありがとう。

春は少し足踏みした時期もありますが、6月からのインターンでは環境を大きく変え、よいストレッチの機会をえました。また貴重な出会いや再会も多くあり、充実した時間でした。

9月に学校に戻りネジを締め直す。Sloanのほかハーバードのケネディスクールでも授業を取り、世の中へのインパクトの与え方について考える引き出しを増やせた。イベント関連ではC-functionも成功できたし、Japan Mixerという持ち込み企画で日本の味をふるまえたのもよかったです。自分自身もまさかの変化があったしな、1年って不思議な感じ。とにもかくにも、みんなに本当に感謝です。

1月はG-labのプロジェクトでインドネシアへ。そして2月から、また最後のお祭りが始まります。

ということで、Merry Christmas & Happy New Year。

October 27, 2011

AmbitionとAspiration

AmbitionとAspirationについて。

今期足を伸ばして取っているハーバードのリーダーシップの授業での今度の課題が、自分のAmbitionとAspirationについてそれぞれReflectして書くというもの。で、そもそもAmbitionとAspirationの違いは何かということの説明を受ける。

Ambitionとは、「What you want to get」で、つまり何かを世界から得たいと思うこと。具合的には、お金であったり、名誉であったり、パワー、マイホーム、幸せなアーリーリタイア、家族との時間など、その対象は何でもよい。

一方のAspirationとは、inspireやexpireなどの語幹となっているspireが含まれることからも推察されるように、「What you want to give」で、つまり世界に何かを与えたいと思うこと。世界平和だったり、便利な生活だったり、グローバルヘルスケアだったり、サステイナブルな世界だったり、これもどんなものにもなりうる。

何がしたいのか、何を成し遂げたいのか、どうなっていたいのか、いろいろと留学期間中に考えているが、改めてここで整理する機会を得たので、それに乗っかって考えてみることにしよう。

October 14, 2011

国を背負い、時代を背負う人との遭遇

数えてみるといつの間にやら24ヶ月中18ヶ月が過ぎ、折り返し地点どころか3分の2が終了しました。月日がたつのは本当に早い。さぼりつつ、たまには集中したりして、2年生の今年もなんとか日々を過ごせてます。

今期はハーバードケネディスクールでリーダーシップの授業を取っているのだけど、それがなかなかに面白い。リーダーシップが教室で教えられるものかどうかという議論はさておき、クラスメイト(の一部)がすごすぎる。毎週誰かがリーダーシップの失敗体験を話すのだけれど、こないだはエチオピアの元防衛大臣というのが出てきて、国家の民主化の機運を前に進めることに失敗した、という話をする。いろんな思惑を持ったグループがいて、それがうまく力を合わせられなかった、結果として国民が民主化を望んでいたにもかかわらず、2000年代に入って国家は独裁の方向に逆戻りしてしまった。自分も思想弾圧で3年ほど刑務所に入れられた。そのことを振り返り、彼はどう動けたのか、についてクラスで議論をする。

分析のフレームワークとか、リーダーシップの理論とか、授業的にはいろいろあるんだけど、自分の中ではそんなものを圧倒するくらいに話の迫力がすごかった。すでに50代の彼が、卒業後国に帰って、国家のギアをもう一度入れるために、今アメリカで学んでいる、そのために貴重なお金と時間を使っている、という事実に身が締まる思いがした。彼にとっては、学ぶ理由、背負ってるものが時代なのだ。ちょっと自分のビジネススキルをつけるために、海外の経営大学院で学んでいます、というのとは訳が違う。でも、まったく同じお金を払って、同じ空間にいる。

そこから考えたのは、だから自分も一秒一秒を大切にしなければならないということ。別に彼と同じレベルで国を背負い、次代を背負おうと思う必要はないが、自分なりに目的感を持って、貪欲に生活する。しっかり勉強し、授業でも発言し、夜はクラスメイトと遊び、考え事もする。わざわざここまでやって来て、だらだらと無為に過ごす時間はない。

いやはや、残り8ヶ月なんてあっという間だ。そうこうしているうち、気持ち的には、すでに終了のゴングが聞こえる。卒業する最後の日に、後悔が残らないように、せめて今日いまできることを逃げずにやろうと思う。とはいえなかなか人間変わらないし、体は思ったように動いてくれないなと痛感しつつ。課題など、やらなきゃいけないことは(卒業しなきゃいけないから)もちろんやるけれど、自分のためにやったほうがよいことと来ると、すぐにさぼる。本当に人間は怠惰な生き物、水は低いほうに流れる。が、そこをぐっと食いしばってちょっとでもやるのだ、何事もやらないよりはましなのだ。そんなことを思った週末の夜でした。

September 30, 2011

I feel connected

昨日Japan C-functionという学校の学芸会を行い、イベントのオーガナイザーとして、800人のクラスメイトに震災以降のサポートに対する感謝のスピーチをしました。彼らは本当に気遣いをくれ、助けてくれてありがたく感じています。

その後クラスメイトのアフターパーティに参加したところ、「By your words, I feel connected to this community now」と言われました。これは本当にうれしかったし、胸の奥がうずいた言葉でした。我々のメッセージはしっかりと届いている、積み上げてきたものは正しかったと確信しました。

今回の学芸会に限らず、実際に手を動かすのは何にせよパワーを使うことで、しかしそれによって初めて人の生活に小さな波を起こせる。踊る阿呆に見る阿呆、周りにポジティブな影響を与えるのはいつでも踊る阿呆。阿呆は死んでも直らないので、これからもせめてしっかり踊らなければ、周りに申し訳が立たないと思った次第です。

July 19, 2011

仕事より大切なもの

仕事よりも大切なもの。

アメリカに来て少なくともひとつだけ学んだことは、彼らはわがままなほど家族を大切にするということ。スタンリーカップというアイスホッケーのチャンピオンリーグで地元Bruinsは優勝しましたが、その時にMVPを取ったTim Thomasというゴーリーは、「スタンリーカップは大事だけど、でもそれより家族のほうが大切だからね。彼らがいるおかげで、プレーできる」と言ってました。これは心に残った。

仕事は比較的短期で明確な成果が見えやすい。そして、人からも評価されやすい種類の活動だ。だから、それにやりがいを感じて、ついついそれに没頭してしまうことはある。一方で、自分の生活、特に家族友人との関係は、長期で、しかも形が見えにくい。そもそも成果を上げるような種類のものですらない。でも、それは人生の基盤だ。リーダーシップの授業で、大切なものと問われたときに、家族と答えるアメリカ人は多い。以前にアメリカ人の友人が言っていた。人生の目標は2つある。ひとつはお金を稼ぐことで、もうひとつは幸せな家庭を築くことだ、という言葉は、そのアメリカ的な価値観を表しているのかもしれない。そうした発言がアメリカ人にとっての社会規範なのか、それとも本当に信ずる価値なのかはわかりづらいところもあるが、少なくとも日本に比べて家族を大切にしている、と正面切って言う文化があると感じている。

何のために働くのか、何のために学びに来たのか、やはりどう生きれば幸せなのか、というところに行き着く。家族友人、自分にとってはかけがえのない (irreplaceable) ものだし、それがあってこその仕事勉強なのだということは忘れてはならないな。

July 17, 2011

組織を国際化するためのチャレンジ

こちらでの勉強から、企業の競争力を高めるための人事採用に関心を持ち、特に日系企業の採用の実態について知りたいと考え、NYでのインターン中にMBAの仲間にお願いして、10社以上の企業に話を伺ってきた。そこからの学びをまとめてみる。

今回は日系企業の米国オフィスにインタビューしたため、日本企業が国際化していく中での組織的なチャレンジについて伺える機会が多かった。出向者と現地採用者がどのような比率でいるにせよ、まず言語は課題である。組織内にバイリンガルをどの程度求めるかにより、採用時点から制約がかかる。また、組織内の意思決定制度により、主に東京本社との遠隔コミュニケーションとの頻度が変わる。これがビジネスのスピードに影響する。

訪問したある商社では、事業モデルが従来のトレードから投資へと変化してきたという話を伺った。そしてその変化のスピード感は、従来型の繊維・化学部門や比較的最近の電力・インフラなど、事業部門によって異なるとのこと。それに対応するために、グローバルベースでの人事データベースを整備し人的資源の配分をよりダイナミックにすると共に、事業部門を越えた人事異動により、OJTの効果も狙うと言う。どこにどんな能力を持った人がどれだけいるか、これを見える化することが企業の競争力に直結する時代になった。

最後は、ダイバースな組織でコミュニケーションを活性化するためのしくみづくりについて。ある金融機関では、Charity Fridayと称したカジュアルフライデーを実施しているとのこと。これは、とりわけフォーマルな装いが多いウォール街のオフィスにおいて、数ドル払うことでカジュアルな装いが許可されるというもの。ここで集められたお金は、チャリティに回される。チャリティは外部への募金だけでなく、社員に渡されることもある。というのは、社員誰でもチャリティアイディアを応募することができる。たとえば、台所の水周りの調子が悪いので修理をしたいとか、子供の受験が終わったので家族で旅行に行きたいとか、なんでもよいそうだ。これが社員同士が仕事外のパーソナリティ・趣味嗜好を知ることにつながり、コミュニケーションが活性化したという。米国では、ビジネスパーソンが特に家族を大切にし、ワークライフバランスについて真剣であると感じる。日系企業が海外進出するに当たり、そうしたワークスタイルを理解し、しかけを整備することは実は重要だと感じた。

あらゆる企業にとって、ヒトは競争力の源泉である。そして組織制度設計が、採用活動ひいては企業の競争力そのものにもにも効いてくる、という影響力の大きさを改めて感じた。

July 9, 2011

つくられる限界

ひとつめのインターンをNYでやっているのですが、それが早くも終わろうとしています。そこでふと考えたこと、限界について。

よく言われる心理的壁。陸上競技を例に取ると、100m走でも1マイル走でも、なかなか破れない世界記録があって、それがひとたび更新されると続々と新記録が生まれる。また、日本人のメジャーリーグ挑戦も、野茂が道を拓いて以降、現在では多くの選手が活躍できるようになった。

それを自分にも当てはめてみる。すると、日々いかに多くのことから逃げていることか。Get out of comfort zoneであるべき2年間なのに、これはアメリカ人じゃないと難しい、とか、帰国子女ならできただろうに、とか、勝手に限界を設定していることが多いことに気づく。ビジネスアイディアのブレインストーミングをする「アイディアストーム」という集まりには興味があったものの、結局フルスピードのコミュニケーション能力に自信が持てず参加しなかった。今年のSloan合格者の歓迎パーティのアンバサダーや、新1年生の世話役となるパイロットというポジション、授業の手伝いをして給料が支払われるティーチングアシスタントもやりたいなと思ったが、やはりコミュニケーションへの懸念から見送った。米国でのインターンもそのひとつで、なかなか厳しいのではないか、と勝手に限界を作っていたところがある。実際に就職活動をして、もちろんそんなにかんたんなものじゃなかったし、冷や汗をかき散々な思いもたくさんしたけれど、それでも命を取られるわけではなかったし(当たり前だが)、最終的にはポジションも得た。

友人のアドバイスを思い出す。表面張力の話。常にグラスからこぼれそうなくらい水を張っていると、いつかグラスそのものが大きくなる。自分の経験からも、ガラス製の器が大きくなる、というのは言いえて妙で、よもや伸縮しないだろう、と思われるもののサイズが本当に変わる。そしてそれを成し遂げるためには、思いと忍耐がなければ続けられないので大変だけど。

先日MITの研究者と、ストレッチの方法について話をする機会があった。ストレッチには2種類のアプローチがある、と仮定して、どちらをより多く採ってきたかを振り返るというもの。

ひとつめは、少しだけ背伸び、を繰り返すやり方。無理やり自分を快適でない環境に置き、そこで慣れさせることでなんとか及第点を取ろうと努力する力で成長を図る。自分の中では、マラソントレーニング手法と名づけている。昔長距離走の選手に、マラソンの練習方法を尋ねたところ、毎回の練習で、常に「いや、これだとちょっときついな」というスピードで走れ、そうすると一番早道でスピードとスタミナがつく、とアドバイスを受けた。これは別に忍者が木を植えて成長に合わせて高飛びの高さを上げていく、でも何でもよいのだが、要は常に落ち着かない状況を作り出す、ということ。この1年では、とにかくバーに通い続けたことくらいしか背伸びはしてないなと反省しつつ、ちょっとだけ耐性はついた気もする。

もうひとつは、超身分不相応の環境に入り、赤点を取り圧倒的にできないことで落ち込みながら、それを挽回しようとする力で成長を図るやり方。これは自らの意思というよりは、どちらかというと、放り込まれることのほうが多いかもしれない。自分にとってはMBA受験の最初のインタビュートレーニングは、ほとんど丸腰で行ったのでこてんぱんだった記憶が鮮明に残っている。こちらでの授業でも、コミュニケーションのクラスでいきなり当てられてみんなの前で即興スピーチをやらされたり、プロジェクトで電話インタビューや突撃訪問をやる羽目になったり。まあ、相当できなくて強烈に落ち込んで。そもそも身の程を思い知らされることで、ある程度できると思い込んでいた自分の意識過剰が恥ずかしくなる。できないのが実力相応、落ち込むことすらおこがましい。せいぜい客観的に自分を見て努力しなさい、ということで必死でしがみつく。しかし不思議なもので、つい最近はあんなにつらかったアメリカ人へのインタビュー、(もちろんストレスフルだけど)いつのまにかできるようになっている。電話インタビューもかなり気が向かないけど、でも必要があればやるようになった。ちなみに先週はNYでインターン中の仲間でピクニックをして、Tabooゲームというのをやった。ある単語をいくつかのNGワードを避けて表現する、というもので、まったくできなかった。コミュニケーションの壁は高い。

ともあれ、ストレッチをかけるという意味では、MBAの2年間はとてもよいチャンスだと思う。所詮は学校、失敗したからといって失うものは何もないのだ。ビジネスのように、取り返しのつかない損失が発生するわけではないから、そして基本的には他の人に迷惑をかけるわけではないから、思い切ってどんどんやればいい。クラスの友人(アメリカ人)は、人前で話すのが緊張すると言い、緊張がどもりに出るのだが、それを直したいからとどんどん話す。ある日、ジャック・ウェルチが学校で講演した際にも、彼は数百人の聴衆の前で質問した。その質問はウェルチの心に引っかかり、後日ウェルチがテレビに出演した時に言及した。友人はそのことをとても喜んでいた。一つ一つの具体的な行動が、自信に繋がっていく。学ばされることが多い。

MBAも折り返し地点、今度は環境に頼るのではなく、自分でストレッチをかけていかなければならない。こちらでの生活も、地に足が着いてきた。やはりばたばたしているうちは、学びは多いながらもできることは限られる。ようやく物がよく見えるようになってきて、だからこそできることもある。慣れてからが本番。今度はどんな挑戦をしよう。あまり他の人がやっていないことがいい。とはいえあまり構えすぎず、とりあえずアイディアストームくらいは参加しようと思う。

June 17, 2011

何をやったか、何を学んだか

この1年で何を学んだろうか(そしてそれを人にどう伝えられるだろうか)、と自分に問いかけていたが、そのためには結局のところ何をやったか、を振り返るしかないと思い、そこから始めてみる。人はやったことからしか学べない。

1. プロジェクトものへの注力
自分の場合、個別知識の習得よりも、チームでの共同作業から多くの学びが得られると考え、プロジェクトものに多くの時間を割いた。

  • NPO法人のボーディングメンバーへの組織改革プロジェクト
  • タンザニアのインキュベーションセンター立ち上げプロジェクト
  • ボストンのインターネットサービスプロバイダの顧客獲得プロジェクト
  • 学生3名でのビジネスプラン作成

そこからの学びは、どんな商品/サービスであれ、「何でもできる、誰もがターゲット」ではうまくいかないということ。腹を括って、「この具体的な機能を持った商品を、どの顧客に売る」と決めることが大切。それが、やるぞという心意気を超え、一意のアクションにつながっていく。同級生で最も早い仲間は、既にVCから資金を調達して会社を立ち上げた。学校は休学する。彼はこう言っていた。秋学期に「やろう!」と決めた後も、なかなか準備は進まなかった。それで冬休みに入り、どうすべきか考えた。休みが明けて、VCが集まるカフェに行った。商品のプロトタイプを作った。これが一気にドライブを駆けた。VCの目の色も変わった。プロトタイプが、具体的な機能を規定させるきっかけになったのだ。スタートアップへのコンサルティングプロジェクトでも、その点を心がけた。具体的に動ける具体的な目標を作ること、これがアントレ実務には必須だということを学んだ。


2. ソーシャライズ機会への積極参加
自分を外に開いていくため、いわゆる飲み会には極力顔を出すよう心がけた。特に、毎週水曜日、Beacon Hill Pub(通称BHP)というところでのMBA生の集まりは、皆勤に近いペースで通った。そのために学校の勉強は多少なりとも薄くなってしまう部分はあったが、それでも外に出て人と話すことが、自分にとってはそれ以上に意味があると言い聞かせて続けた。

そこからの学びは、英語によるコミュニケーションの型のようなもの。どんなことを話題にして、どう話すか。とりわけ体で覚えたのは、アメリカ人の会話は、「テニスではなくバスケットボール」であるということ。日本人、もしくはアジア人同士の会話は1対1が基本で、ボールを交互にやり取りする。それに対し、アメリカ人の会話はペースは速いし、しかもどんどん横槍が入る。それを学ぶのに時間がかかった。とにかく自分の意見を持った人たちなのだ。また、仲良くなるには冗談が有効。例えば恥ずかしい話だが、私はバーでRollin' Rockというビールを注文したらRum & Cokeが出てきた。でもそれを周りに話していけば、そこから会話が盛り上がる。そして最後は、とにかくアメリカ人は「自信を持った振舞い」を重視するということ。彼らにはいろんなことを相談したが、とにかく言われるのは「自信を持て」ということだった。与えられた状況をポジティブに捉え、嘘にならない範囲で大言を吐く。自信が揺らぐことがあっても、それは決して外には出さない。むしろ本当の自信が持てるように裏で努力する(から進歩する)。英語でのコミュニケーションに自信を持ちたいと考えていたが、それはやはり言語だけではなく立ち居振る舞いも含めてのものである。それはもっとやらねばならない。


3. チャリティTシャツプロジェクトの立ち上げ
3/11に震災が起きて、翌日にTシャツプロジェクトを始めた。それは、震災直後に声を掛けてくれる同級生の「何かできることはないか?」という言葉に、自分なりに応えたいと思ったことが関係している。遠くアメリカにいる身として、日本のために何かしたい、しなければならないという気持ちはあった。そして、私のため、私の家族のため、日本のために何かしたいと思ってくれている友達がいる、それをどうつなげるかと考えていた時に、Tシャツのアイディアが閃いた。アイディア自体は別に突飛なものではない。むしろチャリティとしては王道だろう。しかし、それを翌日には立ち上げたこと、そしてボストンワイドの活動にまで広げられたことには自分なりに手応えを感じた。

その経験を通じて、スピード感を持って大きなことを成し遂げる際にどう物事をまとめ上げていくかを学んだ。私にとっては、国外にいる者として歯がゆいながらも日本をとにかく何とかしたいと思い、「Save Japan」というメッセージでプロジェクトを立ち上げることにした。メッセージは直感的であったし、積極的な表現で伝わりやすいと思った。それに賛同してくれる仲間が集まり、活動は一気に加速した。しかしその後、何名かの方からSave Japanというメッセージが「助けろ」という言葉遣いでかなり強い、かつ日本が終わってしまっている国という印象を持たせるので「Help」がよいと指摘された。英語の語感というところまで入り込むと、どうしても自分では理解しきれない部分もあったので、20人以上のネイティブスピーカーに相談した。意見は割れ、かなり悩んだ。その中で一人のアメリカ人の顔が思い浮かんだ。ある授業のチームメイトで、これまでのWrite-upから彼の文章センスが素晴らしいことを知っていた。そこで彼に電話して助けてくれ、と言ったら、数分後にいくつかのアイディアをくれた。その中にあった「Stand with Japan」を選んだ。深夜にそのデザインを彼に送ったら、電話がかかってきて、「This is awesome, awesome!」と喜んでくれた。これは心からうれしかったし、何にも負けない強いメッセージになったことを確信した。周りの声を聞くことと、自分で決断し引っ張ること、このバランスの大切さを体で学んだ。


やはり何かを学ぶのは、それ相応の時間をかけたときだ。そしてうれしかった時、悔しかったときを振り返ることが、学びを定着させるのには有効だ。MBAのエッセイライティングで学んだメソッドは、その後も確実に役立っている。

June 16, 2011

次の一手のため棚卸し

MBAの2年間で何を学びたかったか、改めて振り返り、同時に進捗状況をチェックすることで、残りの1年間で何をすべきかを考えた。誰かに伝える定量的なものというよりも、本当に感覚的な自分のためのリフレクション。

2年生になるにあたっての心構えを今まさに卒業したという上級生に尋ねたところ、卒業後にどんなことができるようになっていたいか、そういう観点で授業を選び、活動するとよい、とのこと。そして、もう一回原点に戻ることが大切とも言われた。これまでの社会人人生で得たものの棚卸しをする、次に飛ぶための準備をする、そうした場としてMBAの2年間を位置づけたのであり、そのために徹底的に勉強できる環境にいられることを幸せに思う。

そして、改めて自分のWhy MBA?を思い起こし、どの程度それが実現できているか、今後はどうしたいかを考えてみた。もちろん想像していたのと違ったこともあったけど、求めれば得られる、という環境にいて、自分がどれだけそれを得たかということの確認である。

1. ファイナンス知識の向上
直近業務で必要だったファイナンス知識に関しては、一定のインプットができた。どこまで消化できているかというと、満足行くレベルではないが、少なくともある程度の時間を投下し、特に企業価値評価に関しては、チーム作業でエクササイズを繰り返すことができた。
→企業買収の業務を継続することを想定すると、企業価値評価については今後1年更なる研鑽が必要だ。更に、買収後の企業経営への関わりを考えると、財務諸表からの経営改善を実現するための管理会計知識も増していかなければならない。

2. アントレプレナーシップの学習・実践
新規事業開発のための広義のアントレプレナーシップは、インプットが中心であった。理論として確立はされていないものの、ある程度フレームワークのようなものはあって、それを一通り学んだという感じである。また、実際の起業家に話を聞いたり、スタートアップ企業にプロジェクトで参画したりしすることで、起業家としての力強いマインドや、現場の身軽な活動についても理解を深めた。
→1年間学んでみて、アントレプレナーシップは、逆説的ではあるが、教室で学べる種類のものではないと感じた。次の1年は、アウトプットに比重を移し、自分でアントレプレナーシップを実践することとしたい。100KというMITワイドのビジネスコンペティションに応募しようと思う。

3. インターナショナルビジネス知識の向上
海外企業の買収を進めていくと、将来は国境を越えた組織マネジメントが必要になる。そのためのスキルを向上したいということであったが、これはどちらかというと草の根レベルの活動になった。クラスメイトとの交流から、日本的マネジメントとは異なるスタイルが必要だろうとのイメージを持った。
→翌年はインターナショナルビジネス戦略・組織マネジメントに特化した授業を取って、体系的な学びを得たい。また、IT業界で今後避けて通れないのはインドと中国だが、中国に関しては中国語を学ぶことをTo Doリストに入れる。

4. ソーシャルインパクトに対する意識の向上
これまで公共ビジネスに多く関わってきたこと、また将来社会的意義のある仕事をしていきたいという思いもあって、ソーシャルインパクト関連の考え方にも触れたいと考えていた。ここ1年はボーゲル塾に参加し、日本の将来についてビジネススクール以外の方々とも意見を交わす機会を得た。また、社会との関わりという意味では、震災後にボストンワイドでチャリティTシャツ販売を主導した。
→翌年は、ハーバードケネディスクールの授業を受講し、更なる意識向上に努めたい。また、金銭的インセンティブだけによらない事業推進のモチベーションについて、仲間ともっと議論を交わすこととしたい。

5. コミュニケーションスキルの向上
とにかく日本を離れ、英語・異文化でのコミュニケーションについて自信を持ちたいというのがあった。将来的には、いろんなことへの耐性をつけ、世界中どこでも生きていけるようになりたいと考えている。春学期はBHPという毎週のバーの集まりにはほぼ皆勤し、インターンも米国企業で行う。引っ込み思案にならず、そうした一つ一つの機会を取りにいくように心がけた。
→表面的なコミュニケーションでなく、クラスメイトとはもっと深い話をして、彼らの人間性・価値観について相互理解を深めたい。それは同時に、外の世界と触れることにより、何が日本人の特質かを知ることにもつながるはずだ。具体的にはG-labを受講し、卒業後も残る共同体験が役立つと思う。

6. (生活全体として、)新しいことへの挑戦
Getting out of comfort zoneとは、なんでも自分のコンフォートゾーンから出ればいいというものでもない。あくまで目的があってこそのもの、特に周囲にポジティブなインパクトをもたらすために挑戦していくことだと理解している。とはいえせっかくの2年間の学生生活、あまり堅苦しく考えすぎず、広く生活を充実させるため、これまでの社会人生活ではできなかったことに取り組んでみたいという気持ちはあった。料理を始めたり、(必要に迫られて)運転をしたり、ということはあったものの、決定的に新しいことにはチャレンジしていないかもしれない。
→日々の生活が挑戦の繰り返しだということでもあるが、ぜひ新しいことを始めたい。同級生にギターを習うのなんかよいかもしれない。

卒業後の仕事を見据え、残りの1年間で必要なことをやる。もちろんそれにしばられすぎる必要はなく、ある程度オプションをオープンにしておくこともよいだろう。また、私は今の会社には就職したのであって、就社したのではない。必要以上に会社に媚びず、自分のキャリアを自分で作っていけるように意識しなければならないと思う。日本が内向きにならぬよう、外に出て行くための役回りを担う。友人が、私には長期で日本の経済に貢献するような役回りを期待したい、と言ってくれたが、そうした志だけでなく、それを実現するための具体的な行動についても合わせて考えなければならない。それは、どう生きていくか、どんなことをしたら幸せなのか、どう社会と関わっていくかを考えることに他ならないのだと思う。

June 4, 2011

折り返し地点

先日春学期が終了し、夏休みになりました。アメリカに渡ってはや1年が過ぎようとしてます。病気も怪我もなく過ごせたことを、まずはありがたく思っています。

振り返ってみると、最初つらくて金曜の授業後に自宅ソファで落ちていた頃からすると、だいぶ順応してきたのではないかと思う。ただ、そういう強烈にストレッチする時期を過ぎると、今はなんか間延びした時間のようにも思える。

いったいこの1年で自分は何を学んだだろう。1年前に想像していた地点まで来れているか。折り返し地点を過ぎようとしている今、あせりが出てきています。思ったよりも進歩してないな、というのが正直な感想。それは目標が高いからだ、と言う人もいますが、やはり現状を客観的に見るとまだまだ満足できない。振り返ってみて、勉強はちっともしてないし、英語はちっともできるようにならないし、機会からは逃げてしまうし、コンフォートゾーンにとどまり貪欲さがないな、と思うわけです。そもそもちゃんと努力したか。このありえない環境にいてすら、1年たつとそれが当然のように思えてきて、慣れてしまう。改めて幸せな状況にいることに感謝し、日々を大切に生きようと思う。

春学期の終わりからは、かなりスランプだった。パワーが湧いてこない。1年がたとうとしているのに何も「これ」といえるものを得ていない。震災も追い討ちをかける。そんな話を友人にすると、返ってきたのは、みなそうだ、でもやったことに自信を持て、という言葉。だからその自信が持てなくて困ってるんだろう、と言いたいところだが、彼らの発言そのものがアメリカ的なものの考え方の表れなのかもしれない。

かなり長いスランプを過ごして出てきた割とシンプルな答。高い目標を掲げるのは勝手。ただ、どんなに遠くへ行こうと思ったって、自分の足で一歩一歩進んでいくほかない。どこでもドアはない。明日朝起きたら全てが劇的に変わってるといいなー、と真剣に思うけど、そんなこと起きるはずもないから、しかたなく地道に目の前のことに向かう。そして、いろいろ嫌になってるときは、その根源に正直に向かい合わないとダメ。今回の自分の場合は、いろいろモヤモヤはあったけど、結局は英語が未だにできなくて、コミュニケーションの一つ一つがカンファタブルじゃないことだった。この根っこをそぎとらないことには、いつまでたっても気持ちよくなれない。テレビをつけっぱなしにして、英会話の本を音読する。ベネズエラ人の友達曰く、言語の習得はスローだ、成長は見えにくいが、だからといってやらないといつまでもできないまま。折れずにやるしかない。いつか差がつくはず。そういえば、こないだとてもいい言葉を見つけた。"You will face many defeats in your life, but never let yourself be defeated." Maya Angelou。

そしてさしあたっての問題は、次の1年をどう踏み出していくか。良くも悪くもこの環境には慣れてきてしまっているから、今度はストレッチをかける機会を、外からの刺激によるのではなくて、自分から作り出していかねばならないのがつらいところ。うだうだ考えながら、インターン前、少し充電の夏。

April 30, 2011

ペルーの宿題

東部標準時3月11日朝。日本で地震があったと聞いた、お前の家族は無事か、俺に何ができるか言ってくれ、とたくさんの言葉・メールをもらった。温かいコミュニティで、人対人の関係を作れていることを、そして想定以上の人から気にかけてもらえていることを感じた。自分もそうあらねばならない。

その直後から震災支援関係でばたばたと動いていたが、ある日アメリカ人の友人の家に行き、いろいろな話をする機会があった。人種で固まるのは白人も同じで、文化もユーモアもTVの話も一緒だからだ。でも、そうじゃなく、もっと外に出て行かなければならないという話を仲間内でしたそうだ。昨日のディナーで、最低30分はお前の話をしたよ、という話を聞いて、自分が間違ったことをして来ていなかったことを実感した。その後Squashをやって共に汗を流した。毎週水曜日朝やっているから、お前も来い、とのこと。

また、チャリティTシャツの作業に忙殺され体調を壊し、家で寝込んでいた時に別の友人からTextがあった。寝てると伝えると、明日ご飯食べさせてやると言われる。ありがたい。他にも年明けから振り返ってみると、同じアパートに住むクラスメイトからTextがあって、一緒に近所のバーで飲んでからC-function(学芸会)行ったりとか、地元出身の奴にビール工場見学連れて行ってもらったりとか、セカンドハウスでパーティしたりとか、そういうのの積み重ね。

去年ペルーで考えた、アメリカ人に食い込む、というのがようやく自然体になった気がする。1月のシリコンバレーツアーで、アメリカ人と2人でドライブして会社訪問とか。つらかったけど意味あったな。ようやくここまで来れた。まだまだつらいが、日々の積み重ね。

February 6, 2011

この国のボランティア

先日ボストンのホームレスに食事を出すボランティアに参加しました。教育もしっかり受けられずで、スペイン語しか話せずにアメリカで苦労している彼らと接すると、たまたま恵まれた環境にいる自分が何をできるかと考えさせられます。


ボランティアについては、社会がそれを「よいもの」、階層が上の人はやらなければならないもの的な文化を作っていることがこの国の特徴だと思う。(一億総中流ではなく)階層が、ある。ほんとに貧富の差が激しい。読み書きそろばんレベルでも、世界一の大国は問題を多く抱えていると感じます。キリスト教的な、とかいろいろ言いようはあるんだろうけど、結局のところ、フィランソロピーには課税しないとか、相続税は死ぬほど取るとか、そういう具体的な金の流れを社会制度化することと、あとは大学入るにもボランティア経験が活きる(内申点プラス3みたいな)という具体的なメリットが彼らを動かしている側面もあると、たくさんの高校生と一緒に働きながら思いました。

January 25, 2011

起業という別のモチベーション

MITは、アントレプレナーシップに強みがあると言われています。いくつかのモチベーションから、自分もそうした科目を多めに取り、課外活動にも参加しています。

ひとつは、これまでIT企業で非技術者としてキャリア構築してきて、事業創造や事業開発に携わった経験を更に伸ばそうと考えているためです。「技術ベースで」「企業内で」事業を立ち上げ伸ばしていくためのアントレプレナーシップ(あるいはイントラプレナーシップ)は、例えば工学部の学生との共同プロジェクトなどで学ぶことができます。自己のスキルのひとつとして、自分はエンジニアの言葉を翻訳し、ビジネスの視点から捉えて協働できることが挙げられると考えています。このスキルを更に伸ばす経験を、理論および実践の両輪を回して積めるのは大きなメリットだと思います。

もうひとつは、ロングタームで考えた際に、いつか自分で事業をやりたいという想いが漠然とあるためです。その実現手段としてまったくのさらでやるのか、それとも既存企業のスピンアウトのような形態をとるのか、それは実現手段なのでまだはっきりしません。そもそもどんなビジネスアイディアがあるのか、いくつか思いつくものはあるものの、強い信念と成功の確信を持って取り組めるようなテーマは未だ出て来ていません。アイディアの探し方も、柔らかいながらもコツやフレームワークがあるので、今はそれを実際に自分で使ってみながら試行錯誤している最中です。

アントレプレナーシップに興味を持っているのはなぜかと考えてみると、そもそも、人に指図をされるのがとにかく嫌いなのです。これは過去のサラリーマン生活を通じて身に沁みて感じたことでした。起業家になれば、クライアントや株主に指図されることはあっても、少なくとも上司から指図を受けることはない。これはすごいことだ。そういうわけで、私のアントレ志向はキャリア・アスピレーションと言うよりは、むしろ性格特性から来ているのでした。

一方で、起業家としての行き方を選択するというのは、そう甘っちょろいものではないことも認識しなければなりません。こちらでは授業で教授が問うのも、実際の起業家が自己の体験を語ってくれる時に質問されるのも、「あなたは本当に起業家になんて馬鹿なものになりたいの?」ということです。世の中には、もっと楽にもっと大金を稼ぐ手段がたくさんある。それなのに、止むに止まれぬ想いであなたを起業に駆り立てるものはいったい何か。そうした問いに対し、果たして自分が本当に起業家になりたいか、というとそこまでの覚悟はできていないと認めざるをえません。自己裁量で仕事をしたいだの、イノベーティブな生き方がしたいだの、そんな戯言ではない世界が待っていることを思うと、どうしてもひるんでしまいます。ままごとではないのだ。

実際の話、何かを一から作り上げるよりも、既存のものを育てていくほうが数十倍も数百倍も容易だし、効率もよい。そして人生は仕事だけではない。起業するということは、起業家という生き方を選択することであり、(少なくとも事業を軌道に乗せるまでの数年間は)生活の充実とかバランスとかとは無縁の、ビジネスの世界に骨の髄まで漬かるということを意味する。始業時間も終業時間もない。フリータイムもないし休日もない。ビジネスのことが頭から離れない。そんな人生を私はあなたにお勧めしない、と彼らは言うのです。相当に重い言葉ですね。

しかしながら、やはりアントレプレナーシップについては学びを深めたいです。どうやって物事を一から始めるか、どうやって人を説得し、巻き込み、大きくしていくか。それについて学ぶことはきっと将来どんなビジネスをやるにおいても、あるいは仕事以外の人生においても意義があると思っています。

キャリア選択のことを考えても、それはきっと一段大きな視点を与えてくれるはずです。すなわち、どんな業界で働きたいか、どの会社がよいかと考えることは、一見すると可能性を網羅的に見ているようでありながら、実はどこでサラリーマンをやるか悩んでいる、というだけの違いでしかありません。自分がそれを選択するかどうかは別として、少なくとも起業という選択肢が世の中にはあると現実感を持って知ることによって、例えば自分が検討しているあのキャリアとこのキャリアでは、その後の人生が180度変わる、というほど大きなものではなく、誤差の範囲だな、と思えるかもしれません。

January 24, 2011

目標感の再認識

先週、某コンサルティングファームのインタビューで、自分について深掘りして話す機会があり、そこでなぜ自分がMBAを取りたいと思ったか、改めて目標感を確認することができた。

強烈なイメージとして残っているのは、2009年秋に世界展開を進める日系小売企業の役員とお会いした時のこと。我々はどんどん外に出て行くが、その時に組む相手は世界について知っている会社。一緒に勉強させてください、では心許なくて組めない。これを聞いたときには、やったことがないからできない、やれないから経験が貯まっていかない、結果どんどん世界から取り残されてしまう、という負のスパイラルに入り始めていることに心底あせりを感じた。そして、それを個人レベルで打破するための方策として、MBAへの決意を強くした。

そして直接的なWhy MBA?となっているのが、昨今のIT業界におけるグローバルレベルでのアライアンス推進。私のいた組織でも、海外M&A案件はどんどん増えている。同僚によれば、各国の対象企業とテレフォン・カンファレンスが日常的に行われ、英語や中国語で交渉する機会がよくあるようだ。昨今ITのビジネス環境は急速に変化している。

もちろん、これが直に、今後はどんどんグローバル案件に従事できる!というほどオポチュニティに溢れているわけではないことは承知している。IT企業の本業は当然のことながらアライアンスではなくアプリケーションの製造販売である。M&Aはあくまでも戦略を実現するひとつの手段であり、しかも飛び道具。

ただし、その機会があった際にそこに入り込めるようにReadyの状態を作っておくことはとても大切。実際に、もといた組織では、現在は英語や中国語ができるメンバーが海外案件を担い、そうでないメンバーは日本国内の案件に携わる、と明確に線引きされているそう。市場に変化があった地点から、じゃあ担当者であるあなたは、ベルリッツでも行ってスキルアップしてきてね、なんてことには決してならない。他にできる人がいたら、その人に国際案件が割り当てられる。

いくらM&Aの経験を国内で積んでいても、そもそも語学ができなかったら海外で交渉ができない。だから、少しくらいM&Aの経験がなくとも語学ができる人材が抜擢される。M&Aは、やりながら学んでね、わからないことがあったら周りに訊いてね、という具合だ。それくらい、語学および海外ビジネス経験は必須のスキルで、当該組織の国際M&A業務に関して言えばいわばノックダウンポイントになっている。経験に裏打ちされたスキルがないと、チャンスすら与えられないというのは、なんとも厳しい状況である。しかし逆に言えば、そのスキル経験を持っていれば、抜擢される可能性が高まるということであり、そして留学はそれを増す絶好の機会だ。

「どうやったら今後グローバルに働ける環境に身を置けるか」というのは、今の私にとって、キャリアを考える際の大きな問いになっている。それをブレイクダウンすると、ひとつは、自分自身のスキルとして、国際環境におけるコミュニケーション能力をどう劇的に高められるかである。これは答えの方向性はクリアーで、そのための筋力トレーニングを積む必要がある。プロジェクトやリーダーシップポジションなど、実際に体を動かす経験を通じ、積極的に取りに行かねばならない。

そしてもうひとつは、どこにグローバルビジネスに携われるオポチュニティを見出すか、ということである。これはなかなか難しい。一昔前は、企業派遣ではMBAを取ってもその後それを活かす仕事に恵まれず、企業個人ともに不本意な結果に終わることも少なくなかったと聞く。ここで仮に、MBA後に活かすべきアセットがマネジメント知識・スキルとグローバルコミュニケーション能力であると乱暴に整理したとする。この場合、高レベルのマネジメントに携わりたいという場合はともかくとして、グローバル業務に限って言えば、これまではそうした機会が日本国内にそう多くなかったというのが実情であろう。

しかし、その状況は大きく変わりつつあると思う。先述の小売企業もそうだが、いまや多くの日系企業が本気でグローバル進出を進めている。同時に国内にもかつてないほど外国企業が入ってきて競争をしている。ITの世界でも、顧客企業の国際展開に対応するのが求められるのはもちろんのこと、例えば韓国企業は日本の官庁案件にも入札しているし、日本のIT企業もアプリケーションの製造では中国やインドにオフショアするのは当然のことになっている。

IT業界に限らず、好むと好まざるとに関わらず、これからのビジネス環境は必然的にグローバル化する。そうした国際競争の中で日本企業がどう戦っていくか、大きなグローバル化の流れに対し、どのレベルで関わるか。それを見定め、決定していかなければならない。私のキャリアにおけるモチベーションとして、「世界に通用する強い日本企業をつくりたい、そのために自分ができることで貢献していきたい」というのがある。残念なことに、私は強い日本を知らない。高校生の時にはバブルが崩壊し、大学時代に日本経済の縮小を見て、就職氷河期と呼ばれる時期に就職した。

今ビジネススクールで学んでいても、日本企業あるいは日本という国のプレゼンスは極めて低いと感じる。授業ではまだ日本企業のケースは見ていないし、クラスメイトの日本、少なくとも日本企業に対する興味もさほど高くない。Japan Trekというクラスメイトの日本へのスタディツアーを企画するために話をしていても、本当に、彼らの口から出てくる企業名はトヨタ、任天堂くらいのものだ。もちろんそれらの従来から言われる超一流日本企業はビジョナリーで日本が世界に誇れる企業だが、一方で、いつまで日本=トヨタなのか、もういいかげんその状況が変わってもよさそうなものだとも思う。

私は、もう一度強い日本をつくりたい。世界に打って出て、勝っていける企業を増やしたい。そしてそのための地力は十分にあると確信している。私の派遣元である企業も、海外展開に大きくシフトしている。したがって、MBA後のキャリアとしては、自らが事業会社に身を置き、その戦略を推進するというのは、当然に考えられるオプションだ。そして他のオプションとしては、(例えばコンサルタントとしての立場から)海外に出て行ける日本企業を何社も作ることだ。これはレバレッジが効くアイディアなので、別の観点から魅力的だ。

自分の興味の方向性、スキル能力、性格特性を鑑みた際に、どういうやり方が一番インパクトを与えられるか、具体的な関わり方については引き続き考えていこうと思うが、留学して半年たった今の時点で、早くも忘れかけていた当初の想いを、図らずもインタビューで言葉をつなぐ中で、生々しい形で再認識できたことは大きな収穫だった。