2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

February 25, 2013

MBAの価値再考(その2)

MBAで得られたものとメリットの再考。後半は、人に伝えるメリット編。

「MBA」のメリットとして、ここでは自分の経験に基づき、1) 職務経験のある人が、2) 米国MBAに、3) 2年制フルタイムで、行くことを想定して書いている。もちろんそれ以外の場合にもあてはまることは多くあるだろうが、MBAに関するあらゆるオプションを想定しているわけではないことをあらかじめお断りしておく。

1. キャリアチェンジの機会設定

MBAをオプションとして検討する人は、基本的に自分のキャリアの現状を変えようとしている人だと思う。それが転職であるか、それとももう少しソフトなレベルかは人によって異なるだろうが、少なくとも現状に完全に満足している人ではないはずだ。現状の延長に行き詰まりを感じていたり、成長のスピードが落ちていると感じたり、今後のキャリアに漠とした不安を覚えたり、明確に転職したい業界があったり、そんなことはキャリアの節目節目で多くの人に訪れると思う。MBAは、そうした人々に対して、明確な機会を与えてくれる。これは間違いない。そもそも合格した瞬間から壮行会と称してコンサルや投資銀行などがアプローチしてくるし、人材エージェントもコンタクトを取ってくる。1年生と2年生の間にはインターンシップの機会があるし、2年後には次の働き口を決定しなければならない。私費社費で制約要因が異なるためその濃淡は変わるだろうが、いずれにせよキャリアに変化をもたらしたい人に、MBAという装置は十分な機会を提供してくれる。


2. インプット機会の最大化

ある程度職務経験を重ねてきて、スキルセットの棚卸と強化をしたいという人は多いだろう。MBAは、そうしたニーズに応える格好の装置だ。というのも、アカデミアは(学生にとっては)究極的には学ぶところであって、成果を出すところではない。組織にいると、とにかく短期間のうちにアウトプットを出すこと、成果を上げることを求められる。全ての自分へのインプットは、あくまで短期のアウトプットのための燃料であって、長期的に役立つかもしれない、というようなことは興味がない(あるいはあっても余裕がない)。ましてや実施したこと得たものの定着化などやってる暇はまったくない。一つが終わったら、慌ただしく次に移っていく。しかし、職業人として継続的に成長していくには、On-the-jobとOff-the-jobの両方のトレーニングが必要である。そのまとまったOff-JTの機会をMBAは提供してくれる。2年間を使って、次に飛ぶための在庫づくりができる。社会人としてキャリアを重ねてきた人には、そこで学ぶことは必ずしも新しいことばかりではないかもしれない。しかし全て知っていて、実行できるという人はいないだろうから、新しい学びは必ずある。異なる業界、異なる地域のクラスメイトからの学びも大きい。そして自分の得意分野についても、クラスやチームで人に伝えるというプロセスを経て、真の意味で定着化させることができる。MBAというプログラムで、現場を離れて集団で学ぶことの意義はここにある。


3. 仕事を離れる時間

最後に、MBAは、社会人にとって、これまで仕事によってやれなかった他のことをやる時間をくれる。それはプレッシャーから解放されてリラックスする時間だったり、家族と過ごす時間だったり、体を鍛えなおす時間だったり、趣味に没頭する時間だったり、新規事業を始めるための時間づくりだったり。いずれにしても、目の前の仕事という、自分が多くの時間を費やし重要だと思ってきたものを一歩引いて外から眺め、価値を相対化する。あれほど重要な役割を担っていると勘違いしていたが、自分がいなくとも会社は問題なく回っている。私一人が生産活動を止めたところで、世界経済は意にも介せず今日も淡々と回っている。そして個人にとっても、仕事は、当たり前だが人生のすべてではない。MBAを人生の夏休み、と称した友人がいたが、恐らくは人生最後の、そうしたChange of paceの機会をMBAは与えてくれる。


もちろんこれらのMBAの与えてくれるメリットと同時に、機会費用は考える必要がある。MBAの2年間によって失うのは実務経験であったり、アプリケーション準備にかかる費用、学費生活費(生活費はどこでもかかるが)、その間に働いていたら得られたであろう給与の合計額であったり、準備期間のプライベートライフであったり、やはりいろんなものを捨てなければいけない。何かを得るためには別のものを捨てなければいけないというのは当然のことだが、それが自分にとって受け入れられるものか。それでも行きたいと思えるか。だいたいキャリア上の短期の費用対効果で言うとMBAはペイしないので、その観点ではNo goなのかもしれないが、自分としては、人生でいくらお金を払っても、他では手に入れられない時間をくれると2年間を過ごしてみて思った。MBAという商品を、お金を払って買ったのだ。楽しんだのだから、バランスはマイナスになって当然だ。なお、仕事上のキャッシュフローで見ても、それが長期でペイするかどうか(しなくとも全く問題ないが)、それは自分のこれからのキャリアの積み方にかかっているのだろう。

ということで、これが「大金使ってMBA行くことのメリットってなんですか?」と真剣に尋ねられた場合の、現状における私なりの答えである。

February 24, 2013

MBAの価値再考(その1)

まだ1年は経っていないけれど、少し離れて感じるMBAの価値、自分が得られたものと人に伝えるメリットの再考。2回に分けて書く。

まず今回はMBAで得たもの、個人的な学びというよりは、武器という観点で。Bスクール使用前使用後で、何ができるようになったか、周りからは何が変わったように見えるか。

1. グローバルチームで働く力

まずこれを一番に挙げたい。留学前は機会もなかったし、能力としてもできなかったこと、それがMBAの2年間を通じ死ぬほどチームワークを繰り返したせいで、地力が上がってきていると感じる。思えば留学直後のチームワークなんて悲劇だったわけで、チームに対して何のバリューも出せなかった。そこから考えると、確実な進歩が見られる。コミュニケーションのベースとなる英語力。チームとしてのゴール設定と共有、期限の明確化。明文化するか否かはケースバイケースだが、チームチャーターの設定、すなわちチームとして何を大切にするか、働き方や大切にすることの確認。日々の議論のファシリテーション。チームのモチベーションの維持とコンフリクトの解決、予期せぬ出来事への対処とそれに伴う計画の修正。息抜き、無駄話。

こう書いてみると、ほとんどは当たり前のことで、グローバルチームうんぬんに限らないユニバーサルなチームスキルのようにも思える。しかし、実際に経験してみて、学校でこれをグローバルチームでやることは本当に難しかったし、だいぶ苦労してコツを体に叩き込んできた気がする。例えば在学中、Japan Clubの活動で日本人が集まり物事を進めるときは、共有しているものが多いから本当に効率が高かった。アメリカのスポーツカンファレンス企画で、アングロサクソンがほとんどのチーム運営も、我々が1年生の秋学期にコアチームとして割り当てられたグローバルチームに比べるとはるかに効率的だったと聞いた。つまり、グローバルチーム運営は日本人だけの課題ではなく、ほかの人種にとっても、英語が苦にならなくとも、ついて回る課題なのだ。そもそもの常識が違う中で、立場上の権力を行使せず、お互いに納得できる点を見つけ前に進めていくこと。これは本当に難しく、もちろん授業ではそうした際のセオリーを学んだりするのだが、それを得たうえで体を使って、時間をかけて学ぶしかないと感じる。

その意味で、G-labはそれだけでもMBAの価値があったというほどに有意義な経験だった。今のイタリアでの仕事も、結局全く同じ。多国籍チームでの期限切りプロジェクト。いかにコアチームの経験があると言っても、今振り返ればまだそれは入り口に過ぎなかった。もしG-labやってなかったら、どれだけアメリカで学んでも日本に戻ったらただの日本人のままで、今はなかったなと心から思う。チームメイトと24時間一緒にいて、さんざんプロジェクトのことを考え、毎夜街に繰り出し、週末は旅行する。たくさん飲み、キャリアのこともプライベートのこともたくさん話し、たくさん喧嘩し、たくさん分かり合う。それだけ濃い経験だったし、それぞれの強みを活かすべく、メンバーを尊敬し支えあう、ということの意味とやり方を体に覚え込ませられたと思う。


2. 経営に関する広く浅い机上の知識

これはどちらかと言うと自分の実感というよりは周りの目ということなのかもしれないが、MBAは経営一般について学ぶわけで、それを得てきたものとみなされる。例えコーポレートファイナンスにフォーカスを定めてオペレーションやHRの授業をまったく取らなかったとしても、周囲の人は、「えむびーえー」なら経営に関すること一渡りのことは全部わかっていて当然、という目で見て、接してくる。もちろん実務レベルには及ばなくとも、教科書上の基本は押さえているはず、と。一方、業界のことは網羅していることは求められない。鉄鋼業界もエネルギー業界もIT業界も全部わかっているはず、とは思われない。だから基本的には、MBA出てきたならコンジョイント分析なんて説明しなくてもわかるよな、とは言われても、新薬開発の最前線のことわかるだろ、とは言われない(はず)。

そして現場業務でもそうした前提に基づいた期待がある。私の場合も「MBAならこういうの得意でしょ」と海外グループ会社の財務資料一式渡されて、フリーハンドで分析をさせられる。世界でどの地域が魅力的かのマーケット調査を命じられる。M&Aの案件に横から突っ込まれる。インド人連れてイタリア行ってよろずよろしくやってきて、ということを当然のように期待される。その分野は門外漢、とは言えないから、はったりでやる。

ちなみに経営知識というのは、視点も含む。経営者がどのように考えるか、ということだ。何をしたら会社の利益が上がる、とか、何をしなかったら会社が傾く、とか、そういうこと。自分がやっていることは、会社の利益につながっているか。そうでなければ給料泥棒だし、泥棒の額が稼ぐ人の額を超えたら会社はつぶれる。例えばスタッフ部署にいたとして、周りの人は皆そのことを意識しているか。幸いなことに、MBAでは、お前は社長として何をする?と問われ続けたり、一流経営者が山ほど来て話を聞く機会があったり、というのがボディブローのように効いている。ただ、MBAで経営視点が身に付きました、というと感じが悪いのでそうは言わないほうがいい。あくまで、経営に関する広く浅い机上の知識。


3. ソーシャルアセット

○○大学のMBAです、ということの社会的意味は大きい。その効果は社会に戻って実感している。肩書から、アクセスできるネットワーク、世界中にいる直接の友人まで。周りに対して発するサインというか、属するコミュニティが増えたということと言ってもいいかもしれない。お前○○中か、から始まり、え、あのアーティストライブ行くほど好きなんだけど、とか、あなたもゴルフやられるんですか、でもなんでもいい。それと同じようなものが、留学とかMITとかMBAとかそういう括りで増える。その共通項を得ること、コミュニティに属するようになったことは、単純だが留学前と後の明確な違いだ。

まず肩書だが、特にアメリカで仕事をすることになると、大学名や学位が有効になってくる局面がある。WASPのエスタブリッシュトなサークルに玄関を開いてもらうために、アメリカの高等教育機関の共通点を出せることは大きい。そもそもアメリカのマネジメント層はMBAを持っていることが多いから、肩書の恩恵を受ける場面はミーティングやカクテルパーティなど、想像以上に多いだろう。そしてこの肩書は、背が低く胸板が薄く言葉が完璧でない日本人がアメリカ人一般になめられないためにも役に立つ。アメリカ外でも、MBAは効果を発揮する。例えばインドでは、大学卒は日本のように十分な学位としては認められないらしい。卒業後アドバンストエデュケーション(必ずしもMBAである必要はない)を受けることで初めてまともな職に就けるようになるとのこと。Master Degreeを保有していることは、十分に教育されたビジネスパーソンであることの証左になる。その他、いまヨーロッパで仕事していても、お前どこで勉強したとか、大学名は何だとか、ことあるごとに聞かれる。自分がすごいわけでもなんでもなくて大学がすごいというだけのことなのだが、その時に簡単に信用を得られる肩書は便利だ。

ネットワークも、直接間接で役に立つ。在学中、アメリカでインターンシップをさせてもらったのははるか昔のSloan MBAの卒業生だし、インドネシアで車上荒らしにあった際も、在インドネシアアメリカ大使館のSloan卒業生がいろいろと助けてくれた。日常的にも、何か助けを得たいと思ったら、MITの卒業生データベースInfinite Connectionにアクセスしてふさわしそうな人にアプローチすればよい。技術や理論のことで知りたいことがあれば、お世話になった教授でも知らない教授でもなんでもメールなり電話なりすればよい。例えばSloan外でも、Media Labに行けばどんどん人をつないでくれる。この世界レベルのコミュニティは、関係者の特権だ。

直接の友人。これは日本人外国人を問わず、また自校他校を問わず、MBAを通じて知り合い仲良くなった友人たち全て。何かあった時に連絡をくれ、こちらからも気軽に連絡ができる仲間。自分の晴れの日にわざわざ海外から駆けつけてくれた盟友。悩んだりした時にもすぐに相談でき、支え合える同志。損得勘定で付き合うのではなく、単純に一緒にいて居心地のいい、心の許せる友人たち。自分にはそういう仲間が世界中にいるんだということは、例え頻繁に連絡を取り合わなくとも、日々の心の支えになる。これは武器という性質のものではないかもしれないが、それ以上に大切な資産だ。

最後に、「えむびーえー」という肩書への周りの目に対し、恥ずかしくないよう日々精進していくこと。これはもうその学位を取ってしまった以上生涯逃げられないことで、自信を持ち、謙虚さを忘れずに、手を抜かずやっていかねばならない。そうした心構えは、使用前使用後の変化。


留学前と比べて別人になれているか、というと全然そんなことはないけれど、やはりMBAのおかげで内にも外にも変化は起きている。日本に戻った際はそこまでは感じなかったけれど、イタリアで働いてみて、変化を再認識した。

February 20, 2013

10年後の人材価値

今日時点で、日本の外で、日本語を使わなくともビジネスの世界で何かできる、というのは徐々に自信になってきてる。本当に日々のことで言えば足らないところは痛感するし、日本語に比べて全てにおいて効率が悪いからもっともっとできなければいけないのだけれど、それでも一言でいうと、まあなんとかなってる。

一方で、「一生メシ食っていけるか」ということは手ごたえ半分、不安半分。

こちらヨーロッパで働いても実感するけれど、英語は本当に武器になる。特に日本のジョブマーケットではまだまだいける。企業がグローバルに市場展開しようと思ったら、どんなに内部オペレーションを英語で統一しても、ローカルのGo-to-market部分でインタープレターとしての役割は残る。それは外資が日本マーケットを統括するケースでも、日系企業が海外現地オフィスを統括するケースでも、いずれの場合でも当てはまる。したがって、英語ができる日本人の需要は(面白い仕事かどうかを置けば)10年経っても引き続きある。上意を伝達し、確実に遂行する。その意味では、まあ極端な話、ある程度の英語さえできればどこかでは食っていける気がする。需要と供給のバランスが悪いというだけのことだが、そうした高級通訳人材は求め続けられる。今の自分の役割もそんなもの。

一方で、英語が当たり前に使えることが前提の仕事環境では、真の意味でのビジネス能力だけが差異化要因になる。本当にグローバルでの人材競争。国籍肌の色なんか関係なく、要は1円でも多く持ってこれるのは誰かという競争。天下一武道会。そこで生き抜き、スタンドアウトするための能力とは何か。前回も書いたように、飛び抜けた何か、例えば市場の臭いをかげるトレーダー、クロスボーダーディールに長けたFA、国際連結決算ができる会計士、グローバルでのインダストリーエキスパート、あるいは現地マーケットで太い人脈を持った人。そうした国を超えて評価される専門性か、あるいはCOO・CFOパスに乗る組織運営能力か。それはまだ何も持てていない。

かなり乱暴に言うと、企業から見たMBA卒業生のセールスポイントは、1)若くて(Juniorレベル)、2)アスピレーションが高く(よく働く)、3)英語ができて、4)モビリティが高い(中途採用できる)、の4点だと思う。そのうち、早晩1は失われ、2もただ単体で長時間労働すれば価値が出るものでもなくなってくる。その時残るのは3と4だけ。それでも雇ってくれる会社はあるのか。例えば卒業後10年たっても、引き続き引く手がある人材になるためには、どのようにキャリアを積んでいけばよいのか。

使い減りしない優秀な人材、から、財務的なインパクトを生み出せるマネジメントに変容していかねばならない。しかもその能力をポータブルにする必要がある。特定組織内の政治に長けているとかでなく、この人は、どの会社でもマネジメントとして成果を上げることができる、という中身のある(したがってジョブマーケットでも評価されるような)人材になるために、今日何をすべきか。自分は正しい道を行っているか。成長のスピードは十分か。そんなことを自分に問う。正直自信がないけれど、それでも夢想せずないものねだりせず、目の前のことに向かうしかない。