2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

June 4, 2011

折り返し地点

先日春学期が終了し、夏休みになりました。アメリカに渡ってはや1年が過ぎようとしてます。病気も怪我もなく過ごせたことを、まずはありがたく思っています。

振り返ってみると、最初つらくて金曜の授業後に自宅ソファで落ちていた頃からすると、だいぶ順応してきたのではないかと思う。ただ、そういう強烈にストレッチする時期を過ぎると、今はなんか間延びした時間のようにも思える。

いったいこの1年で自分は何を学んだだろう。1年前に想像していた地点まで来れているか。折り返し地点を過ぎようとしている今、あせりが出てきています。思ったよりも進歩してないな、というのが正直な感想。それは目標が高いからだ、と言う人もいますが、やはり現状を客観的に見るとまだまだ満足できない。振り返ってみて、勉強はちっともしてないし、英語はちっともできるようにならないし、機会からは逃げてしまうし、コンフォートゾーンにとどまり貪欲さがないな、と思うわけです。そもそもちゃんと努力したか。このありえない環境にいてすら、1年たつとそれが当然のように思えてきて、慣れてしまう。改めて幸せな状況にいることに感謝し、日々を大切に生きようと思う。

春学期の終わりからは、かなりスランプだった。パワーが湧いてこない。1年がたとうとしているのに何も「これ」といえるものを得ていない。震災も追い討ちをかける。そんな話を友人にすると、返ってきたのは、みなそうだ、でもやったことに自信を持て、という言葉。だからその自信が持てなくて困ってるんだろう、と言いたいところだが、彼らの発言そのものがアメリカ的なものの考え方の表れなのかもしれない。

かなり長いスランプを過ごして出てきた割とシンプルな答。高い目標を掲げるのは勝手。ただ、どんなに遠くへ行こうと思ったって、自分の足で一歩一歩進んでいくほかない。どこでもドアはない。明日朝起きたら全てが劇的に変わってるといいなー、と真剣に思うけど、そんなこと起きるはずもないから、しかたなく地道に目の前のことに向かう。そして、いろいろ嫌になってるときは、その根源に正直に向かい合わないとダメ。今回の自分の場合は、いろいろモヤモヤはあったけど、結局は英語が未だにできなくて、コミュニケーションの一つ一つがカンファタブルじゃないことだった。この根っこをそぎとらないことには、いつまでたっても気持ちよくなれない。テレビをつけっぱなしにして、英会話の本を音読する。ベネズエラ人の友達曰く、言語の習得はスローだ、成長は見えにくいが、だからといってやらないといつまでもできないまま。折れずにやるしかない。いつか差がつくはず。そういえば、こないだとてもいい言葉を見つけた。"You will face many defeats in your life, but never let yourself be defeated." Maya Angelou。

そしてさしあたっての問題は、次の1年をどう踏み出していくか。良くも悪くもこの環境には慣れてきてしまっているから、今度はストレッチをかける機会を、外からの刺激によるのではなくて、自分から作り出していかねばならないのがつらいところ。うだうだ考えながら、インターン前、少し充電の夏。

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