2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

February 24, 2013

MBAの価値再考(その1)

まだ1年は経っていないけれど、少し離れて感じるMBAの価値、自分が得られたものと人に伝えるメリットの再考。2回に分けて書く。

まず今回はMBAで得たもの、個人的な学びというよりは、武器という観点で。Bスクール使用前使用後で、何ができるようになったか、周りからは何が変わったように見えるか。

1. グローバルチームで働く力

まずこれを一番に挙げたい。留学前は機会もなかったし、能力としてもできなかったこと、それがMBAの2年間を通じ死ぬほどチームワークを繰り返したせいで、地力が上がってきていると感じる。思えば留学直後のチームワークなんて悲劇だったわけで、チームに対して何のバリューも出せなかった。そこから考えると、確実な進歩が見られる。コミュニケーションのベースとなる英語力。チームとしてのゴール設定と共有、期限の明確化。明文化するか否かはケースバイケースだが、チームチャーターの設定、すなわちチームとして何を大切にするか、働き方や大切にすることの確認。日々の議論のファシリテーション。チームのモチベーションの維持とコンフリクトの解決、予期せぬ出来事への対処とそれに伴う計画の修正。息抜き、無駄話。

こう書いてみると、ほとんどは当たり前のことで、グローバルチームうんぬんに限らないユニバーサルなチームスキルのようにも思える。しかし、実際に経験してみて、学校でこれをグローバルチームでやることは本当に難しかったし、だいぶ苦労してコツを体に叩き込んできた気がする。例えば在学中、Japan Clubの活動で日本人が集まり物事を進めるときは、共有しているものが多いから本当に効率が高かった。アメリカのスポーツカンファレンス企画で、アングロサクソンがほとんどのチーム運営も、我々が1年生の秋学期にコアチームとして割り当てられたグローバルチームに比べるとはるかに効率的だったと聞いた。つまり、グローバルチーム運営は日本人だけの課題ではなく、ほかの人種にとっても、英語が苦にならなくとも、ついて回る課題なのだ。そもそもの常識が違う中で、立場上の権力を行使せず、お互いに納得できる点を見つけ前に進めていくこと。これは本当に難しく、もちろん授業ではそうした際のセオリーを学んだりするのだが、それを得たうえで体を使って、時間をかけて学ぶしかないと感じる。

その意味で、G-labはそれだけでもMBAの価値があったというほどに有意義な経験だった。今のイタリアでの仕事も、結局全く同じ。多国籍チームでの期限切りプロジェクト。いかにコアチームの経験があると言っても、今振り返ればまだそれは入り口に過ぎなかった。もしG-labやってなかったら、どれだけアメリカで学んでも日本に戻ったらただの日本人のままで、今はなかったなと心から思う。チームメイトと24時間一緒にいて、さんざんプロジェクトのことを考え、毎夜街に繰り出し、週末は旅行する。たくさん飲み、キャリアのこともプライベートのこともたくさん話し、たくさん喧嘩し、たくさん分かり合う。それだけ濃い経験だったし、それぞれの強みを活かすべく、メンバーを尊敬し支えあう、ということの意味とやり方を体に覚え込ませられたと思う。


2. 経営に関する広く浅い机上の知識

これはどちらかと言うと自分の実感というよりは周りの目ということなのかもしれないが、MBAは経営一般について学ぶわけで、それを得てきたものとみなされる。例えコーポレートファイナンスにフォーカスを定めてオペレーションやHRの授業をまったく取らなかったとしても、周囲の人は、「えむびーえー」なら経営に関すること一渡りのことは全部わかっていて当然、という目で見て、接してくる。もちろん実務レベルには及ばなくとも、教科書上の基本は押さえているはず、と。一方、業界のことは網羅していることは求められない。鉄鋼業界もエネルギー業界もIT業界も全部わかっているはず、とは思われない。だから基本的には、MBA出てきたならコンジョイント分析なんて説明しなくてもわかるよな、とは言われても、新薬開発の最前線のことわかるだろ、とは言われない(はず)。

そして現場業務でもそうした前提に基づいた期待がある。私の場合も「MBAならこういうの得意でしょ」と海外グループ会社の財務資料一式渡されて、フリーハンドで分析をさせられる。世界でどの地域が魅力的かのマーケット調査を命じられる。M&Aの案件に横から突っ込まれる。インド人連れてイタリア行ってよろずよろしくやってきて、ということを当然のように期待される。その分野は門外漢、とは言えないから、はったりでやる。

ちなみに経営知識というのは、視点も含む。経営者がどのように考えるか、ということだ。何をしたら会社の利益が上がる、とか、何をしなかったら会社が傾く、とか、そういうこと。自分がやっていることは、会社の利益につながっているか。そうでなければ給料泥棒だし、泥棒の額が稼ぐ人の額を超えたら会社はつぶれる。例えばスタッフ部署にいたとして、周りの人は皆そのことを意識しているか。幸いなことに、MBAでは、お前は社長として何をする?と問われ続けたり、一流経営者が山ほど来て話を聞く機会があったり、というのがボディブローのように効いている。ただ、MBAで経営視点が身に付きました、というと感じが悪いのでそうは言わないほうがいい。あくまで、経営に関する広く浅い机上の知識。


3. ソーシャルアセット

○○大学のMBAです、ということの社会的意味は大きい。その効果は社会に戻って実感している。肩書から、アクセスできるネットワーク、世界中にいる直接の友人まで。周りに対して発するサインというか、属するコミュニティが増えたということと言ってもいいかもしれない。お前○○中か、から始まり、え、あのアーティストライブ行くほど好きなんだけど、とか、あなたもゴルフやられるんですか、でもなんでもいい。それと同じようなものが、留学とかMITとかMBAとかそういう括りで増える。その共通項を得ること、コミュニティに属するようになったことは、単純だが留学前と後の明確な違いだ。

まず肩書だが、特にアメリカで仕事をすることになると、大学名や学位が有効になってくる局面がある。WASPのエスタブリッシュトなサークルに玄関を開いてもらうために、アメリカの高等教育機関の共通点を出せることは大きい。そもそもアメリカのマネジメント層はMBAを持っていることが多いから、肩書の恩恵を受ける場面はミーティングやカクテルパーティなど、想像以上に多いだろう。そしてこの肩書は、背が低く胸板が薄く言葉が完璧でない日本人がアメリカ人一般になめられないためにも役に立つ。アメリカ外でも、MBAは効果を発揮する。例えばインドでは、大学卒は日本のように十分な学位としては認められないらしい。卒業後アドバンストエデュケーション(必ずしもMBAである必要はない)を受けることで初めてまともな職に就けるようになるとのこと。Master Degreeを保有していることは、十分に教育されたビジネスパーソンであることの証左になる。その他、いまヨーロッパで仕事していても、お前どこで勉強したとか、大学名は何だとか、ことあるごとに聞かれる。自分がすごいわけでもなんでもなくて大学がすごいというだけのことなのだが、その時に簡単に信用を得られる肩書は便利だ。

ネットワークも、直接間接で役に立つ。在学中、アメリカでインターンシップをさせてもらったのははるか昔のSloan MBAの卒業生だし、インドネシアで車上荒らしにあった際も、在インドネシアアメリカ大使館のSloan卒業生がいろいろと助けてくれた。日常的にも、何か助けを得たいと思ったら、MITの卒業生データベースInfinite Connectionにアクセスしてふさわしそうな人にアプローチすればよい。技術や理論のことで知りたいことがあれば、お世話になった教授でも知らない教授でもなんでもメールなり電話なりすればよい。例えばSloan外でも、Media Labに行けばどんどん人をつないでくれる。この世界レベルのコミュニティは、関係者の特権だ。

直接の友人。これは日本人外国人を問わず、また自校他校を問わず、MBAを通じて知り合い仲良くなった友人たち全て。何かあった時に連絡をくれ、こちらからも気軽に連絡ができる仲間。自分の晴れの日にわざわざ海外から駆けつけてくれた盟友。悩んだりした時にもすぐに相談でき、支え合える同志。損得勘定で付き合うのではなく、単純に一緒にいて居心地のいい、心の許せる友人たち。自分にはそういう仲間が世界中にいるんだということは、例え頻繁に連絡を取り合わなくとも、日々の心の支えになる。これは武器という性質のものではないかもしれないが、それ以上に大切な資産だ。

最後に、「えむびーえー」という肩書への周りの目に対し、恥ずかしくないよう日々精進していくこと。これはもうその学位を取ってしまった以上生涯逃げられないことで、自信を持ち、謙虚さを忘れずに、手を抜かずやっていかねばならない。そうした心構えは、使用前使用後の変化。


留学前と比べて別人になれているか、というと全然そんなことはないけれど、やはりMBAのおかげで内にも外にも変化は起きている。日本に戻った際はそこまでは感じなかったけれど、イタリアで働いてみて、変化を再認識した。

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