2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

December 20, 2010

ペルーにて思うこと

期末試験が終わり冬休み。で、ペルーへの旅行ですが、そこで考えたこと。

この数ヶ月、気持ちの浮き沈みはありながらも、なんとか自分を外に開こうと活動してきた。毎週の学芸会に顔を出し、授業でも1日1回は発言するように心がけ、プロジェクトものも取り組んだ。テニスを使って友達の輪を広げた。言葉のハンディキャップを超えるのは食べ物と考えて、Japan Mixerと称したパーティを開催し、広くクラスメイトを招待した。もちろん万事快調というわけではなくて、時に疲れたりフラストレーションがたまったりして家に滞まるという日もあったけれど、自分なりに納得できるくらいの活動はしてきたつもりです。

ところが、一緒に旅行した同級生とも話をしたのですが、この時点で周りを見てみると、そうはいってもやはり友人はインターナショナル学生が多い。Sloanは60%がアメリカ人学生ですが、いまだその本丸には入り込めていないとの感覚があります。もちろん彼らと話ができないわけでは全然なくて、ナイスな奴らであることは間違いない。だが、コホートごとに同じスケジュールで動くコア学期にあって、クラス移動や休み時間の過ごし方をみると、自分はインターナショナル学生と一緒にいることが多かったということです。それはやはり彼らといるのが無意識にカンファタブルで、彼らもそう思っているからなのでしょう。

しかしながら、そんなことではいかん、と思う自分がいるわけで、本丸に食い込み、彼らといることもカンファタブルになりたい。もっともっと自分を開いていかねばならない、せっかくのこの環境、そこにチャレンジしなければきっと後悔する。ということで、来年はもっとアメリカ人と、特に目立って活発な奴らの中に入り込もう、と決めたのでした。

December 13, 2010

モラトリアムの過ごし方

モラトリアムについて、友人と話していた。そもそもMBAに来ようと思ったのが、そのモラトリアムの最たるもの。実際こちらでは要は2年間仕事を離れて遊んでいるわけで、それが本当に今の時期にやるべきことなのかはわかりません。もちろん留学で得られるものはあるけれど、冷静に考えてこの2年間仕事をしないことは損失だとも思います。ともあれ、他の可能性を捨てて留学してしまった以上、ここでの生活を最大化するより他はないですが。

先日忘年会で2年生と話をしたら、1年終わった時点でもう学びが少ないから帰りたいと思った、と言う人がいました。やはり仕事するから成長できることもあるわけで、学生は責任もないし、コミットもしません。給料頂くからこそ見えてくるものもある、というのは大学出て社会人になったあとに感じたことだけど、今それを強く感じる。自分にはハンディキャップがあると認識せねば。

2年間を意義あるものにするか、それともただの足踏みにしてしまうかは、だから毎日をどう生きるかによる。ビジネスのことを考えたら、留学中には経営学の知識を増したり、卒業後にすぐに使えるコネクションを作ったり、起業のための金を貯めたり、ということをやるべきなのかもしれません。それが、自分の場合ただ遊んでるだけ。一応目的と意思を持って遊びにフォーカスしているつもりではあるけれど、それでもこの恐怖、そこはかとなく、しかし自分を苛みます。

本当に人生の中では、こんなとこ来なけりゃよかった、とは思わないけど、少なくとも仕事の上では手放しでプラスになるもんでもない、というのが目下の感想です。日々失い続けているものの重さを感じます。この宙ぶらりんさ、何者でもない感じ、うら恐ろしく懐かしい。まあ学校もアメリカも、幸いなことにまだまったく飽きないし、仕事抜きにしたら1mmも帰りたいと思わないので、そこだけは大丈夫ですが。

ボストンは先日マイナス7℃を観測しました。またちょっとよくなったけど、上がり下がりを繰り返しながら、本当の冬になっていくのでしょう。

December 12, 2010

無駄と幅

パーティがつらいので、早めに出て来た帰り道です。アウェイな雰囲気がつらかったのか、英語がつらかったのかよくわかりません。たぶんその両方だと思います。たまに神が降りてきてパーティがものすごく楽しくなったりするのですが、そういう時は例外なくアルコールの力を借りています。まあ、長時間いられなくても回数顔を出すことに意味があると割り切り、家路につきます。

突然ながら、かのノルウェイの森、英語では東京ブルースというようです。村上春樹は本当に海外でも人気があり、文学好きのスペイン人の同級生いわくバルガスリョサと同列で語るべき作家とのことです。赤と緑の表紙、あとは、緑ちゃんがとても切ない役柄だったことを覚えてる。ベランダから火事を見る。あと、「そのしわ好きですよ。」ああ、それはれいこさんだっけ。

こちらに来て感じることは、むかし小説よく読んでたとか、テニスしてたとか、そういうなんの役にもたたなそうなことが効いてくるということです。仕事の話ばっかしてもおもしろくないし。なんだろう、人間の幅はいかに無駄なことをしてきたか。そういわれると、自分は大して無駄なこともしてないし、何が取り柄なんだろう、と余計思うわけです。

が、それでも、瑣末なことに神は宿ります。こないだもNYから来た同級生の彼女が、アウトサイダー・アートというジャンルのギャラリーに勤めてると言うので、日本でヘンリーダーガー見たよ、っていったら、ああ、それ私も一枚噛んでたの、なんて答えが返ってくる。で、会話が妙に盛り上がる。会計や経済学の勉強とはまったく関係ないことのほうが、むしろ効いてくるんじゃないか、というのが正直な感想です。

いろんなことは無駄ではなく、どこかでつながってくる。だから今までやったことは全て無駄ではないと考える。それを意味あるように使えるかどうかがより重要。スティーブジョブスが言ってたように、点はいつか線で結ばれる、それを信念に、あるいは言い訳に、Stay hungry, stay foolish、年取ろうとも常にしょうもない感じでありたいですね。

December 6, 2010

非合理的な行動

冬のセールに負けて、2年間服買わないって決めたのに、つい買ってしまった。生活に非効率を、心に非合理を、人生に無駄を!といってみる。

こちらに住んでいて、ふと中国語の勉強を始めようと思い立ちました。次の学期からかな。

あとは音楽をやろうと。ギター買うかもしれない。試験前、現実逃避に明け暮れ妄想は進む。

昨日日曜の21時から、クラスメイトの出るアイスホッケーのゲームを見てきました。とゆうことでボストン、激寒です。