2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

March 12, 2010

見える景色が変わる時

MBA受験において、苦労せずに済むならそれに越したことはないが、これでもかというくらい苦しむ人もいるもの、GMAT。

自分の手応えと、スコアが必ずしも一致せず、しかもやればやるほどスコアが上がるというものでもない。ある意味いい加減な試験である。しかし、これだけははっきり言えるのは、本当は実力がある人が点が出ないことはあっても、その逆はない、ということ。ラッキーショットが極めて効きにくい設計になっている。

問題は、受験中それが一般的な事実としては受け止められるものの、果たして自分はどちらなのか、に確信が持てないことである。すなわち、たまたまスコアが出なかった、のか、実力不足だから出なかったのか、がわからない。自分のことはなかなか客観視できないから、尚更である。

自分自身、なかなかスコアが出なかった。というか、最後まで満足いくスコアは出せなかった。ただ、この試験で付与される3桁の数字の重要性は理解していた。一般にトップスクールに求められる最低目安スコアは、全受験生の上位 10%である680点と聞く。スコアが全てではない、と多くの人が言う。学校の平均点はもちろん、Mid 80%レンジを下回る合格者の話も聞く。そうしたサクセスストーリーは、受験生に希望を与えてくれる。それでもしかし、結果をあくまで客観的に見ると、大部分の日本人合格者は学校の平均点周辺、低くともMid 80%レンジに収まっていることがほとんどだ。

その厳しい現実を前に、私は1回目に出した600点台前半のスコアにいた。勉強すればするほど、受ければ受けるほど本試験のスコアは落ちていった。理解力もテストスキルも上がっているはずなのに、それが結果に反映されないことに、最初は苛立ち、次第に自信を失っていった。低スコアでも合格するという他人のフェアリーテイルに想いを馳せたが、自分に当てはまると心の底では信じられなかった。スコアが出なければ、出るまでやるしかないのだと言い聞かせた。Official Guideを文字どおり丸暗記するまで繰り返し、連日Prepを回した。

4回目のテスト当日、心がけていたことは2つ。
  • 余計なことを考えず、目の前の問題だけに集中すること
  • QuantitativeとVerbalの75分の試験中、それぞれ2回は必ず集中力が切れる。切れた瞬間を自覚し、もう一度入れ直すこと
出題はアダプティブなので、特に簡単な問題が出たりすると、つい直前の問題が合っていたかどうかを気にしてしまう。また同様に、このペースで逃げ切れるだろうか、と先のことを考えてしまう。どちらも目の前の問題の正答率を低めるだけで、何の効用もない。とにかく頭を真っ白にして、画面上の問題だけに集中した。更に、人間の性質上、75分集中力が続くことはあり得ない。そしてそれは、私の場合には難問が出た時に襲ってくる傾向があった。あきらめたくなる気持ち、楽になりたくなる気持ち、その弱さと向き合い、目をつぶり深呼吸してから問題に取り組み直した。全てが終了し、スクリーン上に映された3桁の数字を見ると、過去の自分を越えたことがわかった。

それによって得られた変化はとても大きかった。いわゆるトップスクールから合格を勝ち取る、ということへの現実感と覚悟が増した瞬間であった。テストスコアはあくまで多数の出願者の中で減点されないためのものであって、合格への加点要素にはなり得ない。スタートラインに立つことと、目標を達成することの間には恐ろしく大きな隔たりがあることは承知した上で、それでも一歩前に進めたと感じた。

どんなにスコアが出なくとも、自分を信じてあげられるのは他でもない自分自身しかいない。全力を尽くしているのに、全く結果がついてこない。GMATの袋小路に入ると、既存の問題は全て見尽くし、変な既視感を持ってしか解ける問題がなくなってしまう。敵は出題も採点も得体が知れないブラックボックスであるが故に、余計に恐怖感が増す。時には、もういくらやってもこれ以上は駄目なのではないか、と考えたくなる。でも、それでも、自分の可能性を見限る必要など、どこにもない。自分を信じて、とにかく愚直に取り組めばいい。

GMATと格闘する全ての方が、それを乗り越えられることを、心よりお祈りします。

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