2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

March 4, 2010

全ての始まり

「なんでMBAなの?」受験を志してから、様々な人から無造作に、幾度となく問われるこの問いに明快に答えることは、とても難しい。

MBA受験のお作法的には、2年間の勉学を通じて学びたいこと、がこれに当たるのだが、ここではその遥か前段にある、そもそものところを考えることの重要性について書いてみたい。いわゆる、建前のWhy MBA?とは全く別の、本音のWhy MBA?である。というのも、自分の本音を知らないと、建前もくそもない。

長い長い受験準備は、正直に言ってとても苦しい。さぼりたくなったり、気持ちが折れそうになることも多い。そんな時、この心の一番根っこにある熱い思いを確認することは、とても大切になる。いつやめてしまってもいいのに、一体何が自分をそこまでMBAに駆り立てているのか、そのエゴや執念、弱さや脆さを丸ごと直視し受け入れること。それはすなわち自分自身をよりよく知ることにつながるはずである。実際に私が出会った卒業生、在校生、受験生の方々も、その多くが、ロジカルに研ぎ澄まされたWhy MBA?の他に、(言語化されているかどうかは別として)実に生々しい「だって行きたい(/行きたかった)んだもん!」のレベルの想いを持っていた。そしてそれは、その方の言動や人となりを通じて、たしかに伝わるのである。

自分のことを思い出すと、ある日友人から届いた「マンハッタンレコード閉店」というメールに対して、「決めた、MBA取る」と返したのがそもそもの始まりだ。なぜそこで急に決断したのか、その時にはたしかに頭でカチッと音がした記憶がある。ただ、これそのままでは、1軒のレコード屋が閉店したからMBA、という意味不明な回答になってしまう。

もちろんその前に考えていたことがある。
  1. 出向先から本社に戻る時期が近づいていたが、そのことに対してリアリティを感じられなかった。将来のキャリアが見通せるが故に魅力を感じられず、むしろ先の見えない世界へ飛びたいと思っていた
  2. 極めてパーソナルではあるが、例えば人生80年と考えた際に、その全てを日本で過ごすのではなく、少しくらいは海外で生活してみたいという思いがあった
  3. そんなことを漠然と感じながらも、目の前の生活に大きな不満があるわけではなく、そこそこ積み重ねたものもある。そんな小さな山にしがみつき、安定を捨てて挑戦する変化に対して躊躇している。何かをやらない言い訳のためにパワーを使っている自分に気付いた。それをどうせなら、何かをやるために使ったほうが生産的だと思い始めていた
レコードを買い漁っていた学生時代には、マンハッタンがつぶれるなんて考えもしなかった。しかし自分はその後就職しマンハッタンでレコードは買わなくなったし、他のいろんな世代の人も何らかの理由で以前よりレコードを買わなくなったのだろう。自分が変わり、またマーケットも変わったと気付かされた。少し大きく捉えると、レコード輸入販売(実店舗型)という業態が、eコマースが発達した日本市場ではもはやその役割を終えつつあるということだ。そこから、自分が好むと好まざるとに関わらず、世界は変化する。 その中で自分が変わらないことは、それ自体がリスクとなり得る。そんなことを思った。同時に、今の自分を眺めると、あの時からずいぶん遠くに来たのだな、とも感じた。

そしてマンハッタンレコード、という名称が自分にアメリカ、NYCの映像を想起させた。メールを眺めていると、マンハッタン閉店というニュースは、なんだか他人事ではない気がしてきた。いつか自分にも閉店が訪れる、それもある日突然。恐ろしくなった。そうしたら、自分の人生において手遅れにならないうちに、海外で生活したいという想いの針が振り切れた。将来のプロフェッショナル・パーソナルな生活双方の充実、そしてそのために挑戦する毎日の開始、どう生きようと同じ人生、どうせなら全力でやっちゃったほうがいいじゃないか。漠然と考えていたMBAというアルファベット3文字が、ぴったりとジグソーパズルに収まった瞬間だった。

お作法としてのWhy MBA?やCareer Goalをつくるのは最後でいい。その前にやるべきことは、自分の本音を知ること、そしてそれを可能な限り言語化することである。それは必ずや、自分が前に進むための力をくれる。

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