2010-2012年、MIT Sloan MBAプログラムに留学していました。アカデミックな話題から、ボストン生活、趣味まで、日々感じることを書いています。

December 20, 2010

ペルーにて思うこと

期末試験が終わり冬休み。で、ペルーへの旅行ですが、そこで考えたこと。

この数ヶ月、気持ちの浮き沈みはありながらも、なんとか自分を外に開こうと活動してきた。毎週の学芸会に顔を出し、授業でも1日1回は発言するように心がけ、プロジェクトものも取り組んだ。テニスを使って友達の輪を広げた。言葉のハンディキャップを超えるのは食べ物と考えて、Japan Mixerと称したパーティを開催し、広くクラスメイトを招待した。もちろん万事快調というわけではなくて、時に疲れたりフラストレーションがたまったりして家に滞まるという日もあったけれど、自分なりに納得できるくらいの活動はしてきたつもりです。

ところが、一緒に旅行した同級生とも話をしたのですが、この時点で周りを見てみると、そうはいってもやはり友人はインターナショナル学生が多い。Sloanは60%がアメリカ人学生ですが、いまだその本丸には入り込めていないとの感覚があります。もちろん彼らと話ができないわけでは全然なくて、ナイスな奴らであることは間違いない。だが、コホートごとに同じスケジュールで動くコア学期にあって、クラス移動や休み時間の過ごし方をみると、自分はインターナショナル学生と一緒にいることが多かったということです。それはやはり彼らといるのが無意識にカンファタブルで、彼らもそう思っているからなのでしょう。

しかしながら、そんなことではいかん、と思う自分がいるわけで、本丸に食い込み、彼らといることもカンファタブルになりたい。もっともっと自分を開いていかねばならない、せっかくのこの環境、そこにチャレンジしなければきっと後悔する。ということで、来年はもっとアメリカ人と、特に目立って活発な奴らの中に入り込もう、と決めたのでした。

December 13, 2010

モラトリアムの過ごし方

モラトリアムについて、友人と話していた。そもそもMBAに来ようと思ったのが、そのモラトリアムの最たるもの。実際こちらでは要は2年間仕事を離れて遊んでいるわけで、それが本当に今の時期にやるべきことなのかはわかりません。もちろん留学で得られるものはあるけれど、冷静に考えてこの2年間仕事をしないことは損失だとも思います。ともあれ、他の可能性を捨てて留学してしまった以上、ここでの生活を最大化するより他はないですが。

先日忘年会で2年生と話をしたら、1年終わった時点でもう学びが少ないから帰りたいと思った、と言う人がいました。やはり仕事するから成長できることもあるわけで、学生は責任もないし、コミットもしません。給料頂くからこそ見えてくるものもある、というのは大学出て社会人になったあとに感じたことだけど、今それを強く感じる。自分にはハンディキャップがあると認識せねば。

2年間を意義あるものにするか、それともただの足踏みにしてしまうかは、だから毎日をどう生きるかによる。ビジネスのことを考えたら、留学中には経営学の知識を増したり、卒業後にすぐに使えるコネクションを作ったり、起業のための金を貯めたり、ということをやるべきなのかもしれません。それが、自分の場合ただ遊んでるだけ。一応目的と意思を持って遊びにフォーカスしているつもりではあるけれど、それでもこの恐怖、そこはかとなく、しかし自分を苛みます。

本当に人生の中では、こんなとこ来なけりゃよかった、とは思わないけど、少なくとも仕事の上では手放しでプラスになるもんでもない、というのが目下の感想です。日々失い続けているものの重さを感じます。この宙ぶらりんさ、何者でもない感じ、うら恐ろしく懐かしい。まあ学校もアメリカも、幸いなことにまだまったく飽きないし、仕事抜きにしたら1mmも帰りたいと思わないので、そこだけは大丈夫ですが。

ボストンは先日マイナス7℃を観測しました。またちょっとよくなったけど、上がり下がりを繰り返しながら、本当の冬になっていくのでしょう。

December 12, 2010

無駄と幅

パーティがつらいので、早めに出て来た帰り道です。アウェイな雰囲気がつらかったのか、英語がつらかったのかよくわかりません。たぶんその両方だと思います。たまに神が降りてきてパーティがものすごく楽しくなったりするのですが、そういう時は例外なくアルコールの力を借りています。まあ、長時間いられなくても回数顔を出すことに意味があると割り切り、家路につきます。

突然ながら、かのノルウェイの森、英語では東京ブルースというようです。村上春樹は本当に海外でも人気があり、文学好きのスペイン人の同級生いわくバルガスリョサと同列で語るべき作家とのことです。赤と緑の表紙、あとは、緑ちゃんがとても切ない役柄だったことを覚えてる。ベランダから火事を見る。あと、「そのしわ好きですよ。」ああ、それはれいこさんだっけ。

こちらに来て感じることは、むかし小説よく読んでたとか、テニスしてたとか、そういうなんの役にもたたなそうなことが効いてくるということです。仕事の話ばっかしてもおもしろくないし。なんだろう、人間の幅はいかに無駄なことをしてきたか。そういわれると、自分は大して無駄なこともしてないし、何が取り柄なんだろう、と余計思うわけです。

が、それでも、瑣末なことに神は宿ります。こないだもNYから来た同級生の彼女が、アウトサイダー・アートというジャンルのギャラリーに勤めてると言うので、日本でヘンリーダーガー見たよ、っていったら、ああ、それ私も一枚噛んでたの、なんて答えが返ってくる。で、会話が妙に盛り上がる。会計や経済学の勉強とはまったく関係ないことのほうが、むしろ効いてくるんじゃないか、というのが正直な感想です。

いろんなことは無駄ではなく、どこかでつながってくる。だから今までやったことは全て無駄ではないと考える。それを意味あるように使えるかどうかがより重要。スティーブジョブスが言ってたように、点はいつか線で結ばれる、それを信念に、あるいは言い訳に、Stay hungry, stay foolish、年取ろうとも常にしょうもない感じでありたいですね。

December 6, 2010

非合理的な行動

冬のセールに負けて、2年間服買わないって決めたのに、つい買ってしまった。生活に非効率を、心に非合理を、人生に無駄を!といってみる。

こちらに住んでいて、ふと中国語の勉強を始めようと思い立ちました。次の学期からかな。

あとは音楽をやろうと。ギター買うかもしれない。試験前、現実逃避に明け暮れ妄想は進む。

昨日日曜の21時から、クラスメイトの出るアイスホッケーのゲームを見てきました。とゆうことでボストン、激寒です。

November 25, 2010

リーダーシップの源泉

たまには授業の話。こちらではコミュニケーションの授業があり、クラスメイトの前でプレゼンをし、それがビデオに撮られて復習するという、なんか企業研修みたいなのをやってます。この歳になっていまさらそんなので駄目だしされたくないと思うんだけど、やっぱいろいろ自分が思った以上にできてないことを思い知らされます。これは英語云々の話ではなく、できてないです。日本のプレゼンテーションスタイルとは明らかに違うものがアメリカにはあります。のっけから観衆を掴むネタを投げ、アイコンタクトとジェスチャーをふんだんに使い、ステージを歩き回り、頭に残るメッセージを伝える。冷や汗の連続だけど、ここから学ぶことは本当に多い。

そつなく、誠実に仕事をするってのは今まで大切にしてやってきたことだけど、そこから飛び越えるためのヒントがこのプレゼンテーションのトレーニングに隠されているのではないかと感じています。1対1から1対1000まで、ビジネスも生活もコミュニケーションの連続であるわけで、リーダーシップとかいうわけわかんないものも、ともかくも力強いコミュニケーションに裏付けられるものであろうということはわかってきた。仕事はきっちりでしゃばらず、ではなく、そこから更に一つ前に進める行動を加えるとすると、それがプレゼンテーション。クライアントとの会話も上司報告も、要は全部プレゼンテーション。エネルギーレベルを高く、それをうまく伝えるのはほんと重要。

先日、Japan Trekなる在校生の修学旅行の主催者として、100人の学生の前でプレゼンテーションをしました。渡米前だったら考えられもしなかったことですが、やればできるようになるもんです。こうしたことの積み重ねが将来のリーダーシップを増してくれるものと勝手に期待して、引き続き逃げずにいきたいと思います。

November 19, 2010

食べもの、酒、冗談、下ネタ

最近の雑感。整理できてないけど書きなぐってみます。

はっきりいって、英語は全く上達しないし、周りは若くして天才、毎日自分の効率の悪さを感じる日々です。いくらやっても追いつかないのに、それでも追いつく努力をさぼる、というのは怠惰な人間の性ですかね。レコード屋を見ると必ず入るとかいう時間はあるくせに、勉強にはなかなか気持ちが向かない。たぶんこれが最後の勉強する時間だし、この時間を有効に使わねばとは思うのだけれど、やりたくないものは仕方ない。

それをうまい言葉でいえば、24時間を優先順位付けをしているということにもなるらしいです。外国で大学院で2年間過ごす、というとやりたいことは多すぎて、とても全部はできない。学問か、海外経験か、まずはそこで大きく2つの分岐点があって、自分は海外経験を取ってると思うのだけれど、例えば外国人との会話をとっても、もともとそんなに社交が得意なわけでもないし、そのへんも人格改造している最中です。

昨日今日と別の外国人と食事をし、そのまま彼らをマンツーマンで自宅に招きました。彼ら(特にアメリカ人)のコミュニケーションスタイルは、表面的にはナイスガイでもなかなか懐に入ることが難しいことがわかってきていますが、そしてそれはアメリカ人同士の際でも同様で、彼らにとっても悩みの種らしいですが、個人ベースで家に招きいれたことは今週の成果じゃないかと思っています。つたないコミュニケーションを支えるのは、いつでも食べもの、酒と冗談、下ネタですね。これだけは国境を越えることがわかりました。

そうやってひとつひとつ目の前のことを壊してやろうと思って努力していますが、ふと周りを見回すと学校内でも同じ人種で固まっているのが見えたりします。私ももちろん日本人の同級生といるのは日本語も使えるし機微もわかるしあまりに快適なんだけど、それと同じことが各所で起きているというのが現状です。

じゃあそれでいいのかというと、やっぱりそんなことはなくて、それを個人レベルでぶっ壊そうというのが今の気持ちです。なるべく落ち着かないところに体を置き、なんとかブレークスルーしようと思ってる。ネイティブの英語は早すぎて聞こえないからとりわけつらいんだけど、それでもそこに攻めていって、すでに出来上がりつつあるコミュニティの中で話の通じない東洋人が紛れ込んできたみたいな冷たい空気を感じながら、なんとか居場所を確保しようとしています。そこでも役立つのは、やはりジョークです。すげえおかしなことを言えば、それで認めてもらえる。不思議なものです。今最注力しているのはそういうわけでアメリカンジョークです。いいネタがあったら教えてください。

先日は同級生が集まるバーで、チリ人と、僕らはもっと(アメリカ人に対して)アグレッシブにならなければいけないという話をしました。実際の話、この2年間はとても貴重な期間で、学校という環境を借りなければアメリカ人とこんなにコミュニケーションできる機会はないと、そのチリ人は言います。それなのに、周りのチリ人はみんな仲間内で固まり外に出ようとしない。恥ずかしながら自分もその傾向は否定できない。現実として、その誰でも来れるバーに、外国人はあまり来ない。まあ毎日課題もあって死ぬほど忙しいし、来たって言葉もあるしつらい思いするだけだから、それもそうなんだけど、でもそのチリ人はそんな中で確実にアメリカ人の中での居場所を確立してる。

自分の性質上、別に今までの学校生活の中で目立ったことなんて一度もないし、みんなの人気者ってのとも違うし、そんな奴がいきなりアメリカ人の学校の中でスタンドアウトしようと思ってもできることには限りがあるわけです。そんな現状を認識した上で、それでもなんとか多数派であるアメリカ人集団の中に食い込まなければならない。この辺を今のモチベーションにしています。ここまで来るとMBAでもなんでもないですね。ただの個人的な落とし前をつけたいだけかもしれない。外人コンプレックス。でも、これを克服することがもし将来海外の相手と仕事をするときには、一番役に立つ自信につながるのではないかと感じています。

November 17, 2010

挑戦を賞賛する文化

MITのカルチャーについて、実際に身を置くようになって感じること。

まず、よく言われるとおりInnovativeであることはとても感じます。考えるより「とりあえずやる」という姿勢をとても評価してくれます。行動することで具体的な結果が出ますし、フィードバックループを繰り返していくことで成長できます。私もEntrepreneurship & Innovation Trackという選択科目を履修しクラスメイトの前でビジネスプランを発表したり、Sloan Entrepreneurship for International DevelopmentというStudent clubに入りTanzaniaにInnovation Centerというインキュベーション組織を立ち上げたりしています。Boston Areaは、エスタブリッシュトな企業があるだけでなく、シリコンバレーに次いで全米第2の起業集積地帯でもあり、そうした環境で起業家、ベンチャーキャピタル、エンジェルの話が聞けたり一緒に働けたりすることは他校にないメリットと思います。

またこれも教科書的なことですが、Minds and Hands(なんか正式なラテン語があった気がしますが)の精神があることはとてもファンダメンタルな部分で効いてきます。MITは少し年齢層が高いので、実務経験に基づいた議論ができることはメリットと感じました。また各校理論と実践の両方をやると謳ってはいますが、実践の機会の程度には実は大きな差があります。例えば海外のコンサルプロジェクトは他校ではかなり競争率が激しいと聞きますが、MITは学生の半分以上が登録します(特に行きたくないという人はそもそも申し込まないので、実際は希望すればほぼ行けるようです)。

加えて、Data-drivenなカルチャーだということをある教授が言ってました。定量的、あるいは定性的でもよいのですが、事実に基づいた意思決定、それがカリキュラムにも息づいていると感じます。DMDという科目が1年生のコアに入っているのですが、一般的なStatisticsの授業に比べ、はるかに経営マターに直結する形でデータを扱うやり方を学んでいると感じました。「とりあえずやる」の縁の下を支える“ノリ”でない意思決定、これは大事だと思います。

最後に、人はとてもWarmでさらにHumbleだと感じます。アメリカ人になかなか入り込めない、とはキャリアフォーラムで再会したときに各校の人が言っていたことですが、MITはこちらが突っ込んでいけばアメリカ人が聞く耳を持ちます。こちらが英語ができなかろうと、熱い話を持ちかけてきて盛り上がります。第2言語で戦っているのはすごいことだ、とRespectを示してくれます。各人がHumbleであるからこそ、他人をRespectする文化が生まれるのだと思います。

何かに取り組もうとする姿勢を個人レベルで賞賛すること、それがInnovationを生むMITのカルチャーなのだと思います。

October 11, 2010

つらさの質

月曜がコロンブス記念日で3連休の週末。

が、怒涛のような課題量でまったく寝れず、しかも溺れるくらいやってやろうと課外活動もいろんなものに手を出した結果、完全に回らなくなってきてます。。明日からいよいよ中間試験です。ともあれ命が取られるわけではないと考え、できる範囲で臨もう。ちなみに今日の夜は実地課題で現地の起業家に話を聞いてきます。

そんな中無理やりに土曜日はホームパーティを開催。クラスメイトをたくさん呼んで、寿司食わせて、日本酒飲ませて。ほっておくとつらいとこから逃げてComfort zoneから出ないから、むりやりにでも外部と接触する機会を作る。

何に慣れたかわかりませんが、つらさの質は変わってきたような気はします。もちろん相変わらず会話はつらいです。日本語に比べるといつまでたっても表現力や読解力は追いつかないのでそういうつらさと思います。あとは端々に出る文化の違いも戸惑うことが多いです。とはいえ人間対人間の付き合いなので、何とか食い込んでいる(気でいます)。

日本食も調達し、栄養も摂るように心がけていますが、唯一の問題は料理をする時間が取りにくいことで、ついつい学校のピザやサンドイッチになってしまいます。

万事周囲の仲間と助け合いながらなんとかこなしている状況ですが、チームワークという意味では、本の勉強以外にも学びは多く、貴重な時間を過ごせています。

September 9, 2010

本科開始

先週1週間はオリエンテーションでクラスメイトを知るのがメインでしたが、ついにふつうにクラスが始まり、大学入学時のような、怒涛の日々が帰ってきました。Harvardのサマー時と違うのは、とにかく夜の予定がほぼ毎日入っていること。勉強の時間がないから、朝早く起きる。なんとか生きてます。


ちなみに先週は金曜から今日まで4連休だったのですが、学生証の交付、ナンバープレートの登録、アメリカ人を日本食レストランに招待、学芸会的なものの準備、と連日いっぱいいっぱいで、なかなか自分の時間が持てないでいます。本科は死ぬほど忙しいと聞いていますが、でもまあなんとか大丈夫な気がします。健康良好。



August 28, 2010

インターナショナルとは

今週からアメリカ人が合流してきて、またムードが変わってきました。夜はバーに行き、つまらない話でアメリカ人に逃げられてます。今日は近所でBBQでまた英語。パーティったって戦場で、楽しいばかりじゃないけど、もう毎日無料の英会話教室に通ってると割り切って何とか生きてます。

そのBBQパーティが終わり、みんなはこれからバーに行くそうですが、英語のシャワーの限界が到達したのでそれはやめて家に帰ってきました。とはいえ2ヶ月半たって、ようやく少し英語が慣れてきた気がします。一般的に言うと2ヶ月らしいので、25%遅いということですね。歳か才能か・・・
しかしながらパーティがつらいのは日本にいたときから変わらずでつまり人がたくさんいる中で話し相手を見つけることがつらいのか、それとも英語で話すことがつらいのか、よくわかりません。まあ寄る辺ない気持ちになるのは間違いなく、それが日本なら一人パーティで取り残されてもまだプライドを保てますが、こちらでは本当にだめな烙印を押されるようで怖く、(うざがられるのを承知で)ひたすら人に話しかけに行ってます。みんな大人な顔してるし英語できるから引け目感じるけど、ほとんど年下。ああそういえば、こちらではほとんど歳は関係ない。

加えて、人種の壁を越えるのは思った以上に難しい。何を言っているかというと、「いんたーなしょなる」な人たちが集まるといったって、皆コンフォートゾーンは出ていない。アジア人はアジア人で固まると言われるけど、そして事実これまでのところそのとおりな傾向があるけど、それはヨーロッパ人、ラテンアメリカ人も全く変わらずで、今日のパーティも結局行ってみたらスペイン語圏のメンツ(スペイン、ベネズエラ、チリ、、、)がほとんどでした。そして実際に会話をしていると、言語以上に共通で持っているものの多さが関係の心地よさを決定するということを実感する。仮に英語が通じないレベルが同じだとしたら、アジア人と話しているほうが格段に気楽に話せる。遠い異国の地においては、韓国人と日本人の差異なんてほとんどないも同様です。隣の国の人どうし、いちばん友達になれる。それがなんなのかまだわからないけれど、そういうこと。一人ひとりは人種地域の別なくみな同様に魅力的な人物なことは間違いないですが

だから、今は「非アジア人」と一人でも多く友達になれるように努力しています。たとえば数学を高一で切り上げたのがここに来て効いてきて、さっぱりわからずで休み時間にイスラエル人に微分をマンツーマンで教えてもらっていたりとか、そういう機会をなるべく積極的に持つようにしてます。これも劇的な進歩はない。一度に多くの人たちと友達になるなんて不可能だから、一人ひとりとちょっとずつ話を積み重ねるという行為を積み重ねていかなくてはならない。最近は日々遊んでいるようで、とても多くを学んでいます。エネルギーを使うけれど、なるべくそこから逃げないようにしてます。別に違う人種がアジア人よりえらいわけでもなんでもないけれど、アジア人のほうがComfortableだから、今じゃないとできないことをする、外に出て行くことがここにいることの意義かなと思っています。

改めて文字に起こすと恥ずかしい話ですが、日本代表というのは大げさながら、誰かのおかげでここにいることができてることは間違いなく、それに恥じないような毎日を送りたいと思います。いろいろぶっ壊すぞ。

August 7, 2010

躊躇したら飛べ

躊躇したら飛べ。躊躇するとういうことはマイナスの思いがあるわけだけど、実はそれと同じくらいプラスの思いもあるということ。そのプラスの思いに目を向ける。怖いのは、真剣に考えてるから。と捉えると、前に進もうという気になる。

と言ってますが、これはやはり環境設定によるところもあり、アメリカに来てかなり気張っているので、周りから見るとイタイ人になっている可能性はありますが。MBAではとにかく"Get out of your comfort zone"と言われ、それが宗教のようになっているので、馬鹿だから真正面からそういうのを受け止めてしまっているのかもしれません。なので、今回クラス内でチームを組成することになった際に、こんなプロジェクトがやりたいと提案をしメンバーを集めました。これは留学生だけのクラスだったからできたけど、アメリカ人がいたら難しいかもしれない。ともあれ、5人のチームが作れなければ、将来(やりたいかどうかは別として)1,000人のチームも作れないし動かせない。毎日小さなことをやっていくしかありません。

民主的リーダーシップ。で、インターナショナルチーム5名のリーダーを務めるわけですが、ここで自分のリーダーシップスタイルを思い知らされる。僕も含めて多くの日本人は、合意形成に重きをおくわけで、そのようにメンバーの意見を聞いていい形にしていこうと思ったのですが、そのやり方は彼らにとってはリーダーシップがないと捉えられるようでした。「これはお前のプロジェクトだ。お前は何がしたいんだ?われわれはそれに従う」と言われました。

そこで強烈に意識するのが、自分の意見と、周りを巻き込んで物事を前に進めていく力の大切さ。合意型で前に進むのは比較的簡単なのですが、自分の想いで周りを引っ張っていくのは生半可なことではない。ましてや主張の強い外国人、「お前に従う」なんていったところでちっとも従いやしない。常に自分の考えをメンバーに売り込み、動機付けていかなければならない。しかも彼らはやると言ったことをやらない、ことが多く、思ったようにプロジェクトが進捗しないこともストレス。

だからもう細かいところは全部自分でやっておくよ、といいたくなるところですが、それもチームにとってよくない。やはりそれぞれのメンバーが責任を持って臨むことが重要。1人のメンバーが自分の割り当てをやってこないので、何度か柔らかく言っていたのですが、最後に「It's your task.  You should be responsible.」と言いました。なかなか日本では言わないことです。

それに対する彼の回答は、未だに心に残っています。彼は「将来もっとよいリーダーになるために、お前は”You”ではなく”I”を主語にした話し方を身に着けるとよいと、俺は思うよ」と言いました。そういうことです。それらのことはコミュニケーションの教科書には当たり前のように書いてあることですが、実際に異なるバックグラウンドの仲間と物事に取り組む中で多くを学んでいます。

August 1, 2010

誰に迷惑をかけていますか?

ボストンは連日35度を超える日差しだったけど、もう落ち着いてきて、朝晩は早くも寒くなってきました。

こちら独立と自由の国で、とにかく徹底して言われることは、インディペンデントであれということ。人から何か言われたら「私は誰に迷惑をかけていますか?」と問い返すこと。たとえば黒人が色が黒いことで差別されるのはおかしい、誰にも迷惑かけてない、とそういうことを真剣に語る人がいる。もちろん課題も多いけれどそういう価値観がこの国にはあると感じる。そして、インディペンデントとは、自由の裏側にある責任と他人との関わり方も含めてなんだろね。

それにしても、2年間は短い。生物学的に言うと、人間は細胞レベルでは半年で別人になる。それなのに実際の体はなかなかついてこない。そして、それへの答としては、われわれは皆日々を大切に生きることしかできない。がんばることもさぼることも自堕落になることも、みな同じく大切だし必要なこと。だからできるだけ振り子を大きく振り、馬鹿らしく生きる。

ハーバードは最後の1週間で総仕上げ。一番英語のできない日本人は、5人の小さなグループワークのリーダーをやっています。躊躇したら飛べ。このへんはまた今度書きます。

July 3, 2010

意見を持て

アメリカに渡って3週間、本日ようやく我が家にインターネットが敷かれました。これでだいぶ生活が楽になります。

ハーバードの語学学校が6/19から始まっています。全部で2ヶ月弱のプログラムで、仕事上英語が必要な非英語圏の人たちが集まってきています。メキシコ人、オーストリア人、ベルギー人、グルジア人、スロベニア人、中国人、韓国人とバラエティに富んでいますが、確実に英語が一番話せないのは自分でした。あとリスニングも各人癖があって想像以上に難しい。

で、そこでひたすら英語で話させられるわけですが、英語の頭にして集中するのに加え、何事にも意見を持ってなんかしゃべれ、と言われるのがきつくて、多大なカロリーを消費します。あと宿題も多い。

そんなこんなで急に無理やり英語に浸る生活をしているせいか、やたらと眠くなる。もう時差ボケはとっくに治っているはずなのですが、金曜日の午後の授業が終わった後の昨日は、6時にはソファで寝てしまっていました。

明日は独立記念日ということで、花火が上がるそうです。月曜日は振替休日です。なんかアメリカっぽい。

April 19, 2010

売れるのは全てではないか?

売れるのが全てではないか、という話。

あの福山雅治という俳優が、「売れてないときには売れてない人が周りに集まってくるんですよ。そして売れるのがすべてではない、というんですよ。それはおかしい」と話していた。頂点を見るからこそ、そうでない人の気持ちが理解できる。類は友を呼ぶ。そして、登らないと見えない景色がある。

これを「MBAなんて役に立たない」と言っている人にも当てはめてみる。その人にとって、MBAは意味がないかもしれない。でも、それを人に押し付けるのが正しいかというと、そんなことはない。自分にとって意味があると思えたら、まっすぐ進めばいい。そして、そんなことを言ってくる人には真っ向から言い返せるだけの強い言葉と強い気持ちを持ってほしい。どこの類に入るか、それは個人の自由であり、行動である。別にMBAが上だとか唯一だとかそういうことを言っているわけではなくて、自分にとって登りたい山があるならば、登らない人に惑わされず、言い訳せずに全力で登れ、ということだ。そこに想いをともにし、似たようなアプローチで世の中に向かおうとしている仲間を見つけることができるはずだ。

誰が何と言おうと、言い訳をしないで済むために、我々は、成功しなければならない。価値観は自分で決めていい。

April 13, 2010

MBAなんて役に立たないと言われたら

「MBAなんて役に立たない」これもMBAを目指すことになってから、何度も何度も言われたことである。

そんなままごとをしている暇があったら、海外の会社で働くほうがよっぽどためになるとか、そもそもコンサル実務でやることと大差ない(新しいものはない)、とか、今更この歳で取っても無駄、とか、まあとにかく世間のMBAに対する物言いは手厳しい。

私自身繰り返しそんなことを言われ、自分にとってはMBAはとても魅力的なオプションであるにもかかわらず、他人からの問いに対してうまいカウンターパンチを持っていないことにフラストレーションを覚えた。それと同時に、その問いかけ自体に何とも言えない違和感を感じてもいた。そして、その違和感がどこから来るのか、受験が終わった今ようやくわかってきた気がしている。

それは、私は理屈じゃなくて行きたかった、ということである。キャリア上絶対必要だとか、そんな風には思わなかった。そうではなく、単純に楽しそうだから、自分にとって未知のものだから、刺激の多い人生を送りたいと思ったから、だから日本を出てMBAに行こうと思った。キャリア云々より、人生のこの時点での、生活全部ひっくるめての想いだった。もし仕事のためだけにMBAを志す人がいるとしたら、それはすごいことだと思うが、私はそうではなかった。

私にとっては、MBAでの生活はとても魅力的で、何より楽しそうだった。世界各国から、自分とは違う人生を送ってきた人が集まって来る場で、新しい経験ができると思った。そこで人間として成長できると思った。実際にMBAの2年間を過ごした卒業生にたくさん会って、学校も見に行って在校生と話して、その確信を強めた。

他の誰から何を言われようが、行くのは自分であって、何かを言う人たちには一切関係ない。人に必要だからって言われたらやるのか?人に止めろって言われるとやめるのか?投資対効果とか機会損失とか、それも人並みに考えたけど、あまり意味がないことに気付いた。2年間の大学院生活が、ビジネス上で(他の何かよりも)役に立つとか立たないとか、考えてもよくわからなかった。ただ、それでもMBAに行きたいという気持ちは消えなかった。自分が人生の中でどんな体験をしたいか、結局はそれだった。

身も蓋もない言い方であるが、結局のところ、MBAを持っていない人がMBAについて言及する場合、究極的には議論のしようがない、と今は思っている。 MBAは意味がないと言ってくる(たいていの)相手にはMBAの経験がないのだから、それがいかに役に立たないかを教えてくれることはない。一方で、これから目指そうとする受験生側は当然MBAがどんなものかまだ体験していないから、意義について正確に捉え切り返すことはできない。すなわち、双方ともMBAについての実体験を持たないのであるから、その人たちがいかにMBAの意味について考えたとしても、深みのある議論にはなりえない。

少なくともこれから学ぼうとする時点で、MBAは「私にとっては」意味があると思えている。この、私にとっては、というところが重要なのだと思う。それが真実かどうかは、これから2年間かけて確かめればいい。もしMBAが、私の想像と違ったものであったとしても、それは私の決断の結果であるのだから、後悔することはないと思う。でも、MBAに行かずに「やっぱり行きたかったなあ」と思って生きていくとしたら、それは私はものすごい後悔するだろうから。

だから、もしあなたがMBAを目指すことを既に決断していて、そんな居心地の悪い質問に出くわしたならば、その時は元気に、「自分にとっては意味があると考えたのです」と答えればよい。人がどう思おうが、一切関係ない。1千万円以上の大金を払うのも、2年間という時間を投資するのもあなた自身だ。決してあなたに「MBAなんて意味ない」と言ってくる人ではない。その人はあなたの人生に責任を取ってはくれない。自分の人生は、自分の信じるように生きてよいはずだ。

楽しいと思えるほうへ、心の底から思うとおりに。

March 19, 2010

自己紹介としてのWhy MBA?

「なんでMBAなの?」文字と会話では、若干コツが異なるため、今回は会話にフォーカスする。

シーンとしては、卒業生や在校生に話を聞く際の自己紹介として、キャリアデベロップメントと共に伝えることが多いと思う。私の場合は、次のように話していた。

「M&Aを活用した事業拡大を推進する中で、今後は海外企業との資本提携・マネジメントが必須と考えるようになり、それを得る手段としてMBAを目指すことを決意した。具体的には以下の3つ。」
  • クロスボーダーM&A実現のための戦略策定・ファイナンス知識の習得
  • 買収企業に出向し、マネジメントするための経験・能力の向上
  • 保有技術を活かした新規事業開発のための経験・能力の向上
イメージは、キャリアデベロップメントの延長に、そのままWhy MBA?を置くという形である。それに、インターナショナルビジネスの推進、程度の柔らかさでキャリアゴールを加えていた。

会話導入時に、この自己紹介用のWhy MBA?があるとないとでは、その後の会話の質が劇的に変わる。自分は何者か、どこのどいつで、どんなことをやってきて、どんな興味を持っているか。会社名と部署だけでは伝わらないディテールを持ってくることで、聞き手の関心や共通点もわかってくる。MBAでは何が得られるのか、また何は得られないのか、についてもイメージが湧いてくる。これはぜひ早い段階で第1版を作り上げることをお勧めする(完成度は問わない)。むしろ、何度も話すことによって、どこが興味を引いたとか、逆にどこは伝わりにくかったとか、修正ポイントがわかり、次第に洗練されてくる種類のものと位置づけるのがよい。

理屈っぽくならず、直観的に一言でわかってもらえるメッセージを作るためには必須の活動。取って食われるわけではない。怖気づかず、面倒がらずにやる。

March 18, 2010

Why MBA?のつくりかた

「それで、なんでMBAなの」究極の直球、Why MBA?。今回はエッセイ編。

最初は戸惑う。極端な話どうとでも答えられるので、どこに焦点を置いたらよいのかよくわからない。Whyに「~であるから」と理由で答えるとすると、「今の○○に限界を感じているから」でも、「将来○○がしたいから」でもいい気がする。ただ、それらはMBA受験の世界では、それぞれキャリアデベロップメントとキャリアゴールと位置付けられる。狭義のWhy MBA?は、「MBAプログラムで何を得たいか」について書くことになる(広義のWhy MBA?はキャリアゴールまでを含む)。

とはいえどう書けば説得力を持たせられるのかと不安になるが、恐れることは何もない。堅固なキャリアゴールが完成すれば、そのゴールを達成するために必要な具体的スキルが自然と特定できる。この将来のゴールとの関連の強さが、Why MBA?で求められるものの全てである。

ちなみに考えてみれば当然のことだが、キャリアゴールに至るための手段はMBAの他にも無数にある。インターナショナルビジネスがやりたいのならば、自社の海外オフィスに異動してもよいし、外資系企業に転職してもよい。コンサルタントになるための知識を体系化したいのならば、戦略やらマーケティングやら、一式本を読めばいい、ということになる。こうした想定される反論を、一つずつつぶしていくのが、Why MBA?構築のプロセスである。

もちろん現実問題としては、どんなケースでも、MBAが絶対に必要、ということはないだろう。2年間現場から離れる、というデメリットもある。しかし、何かを成し遂げるために、その手段を比較検討した結果、「自分にとって」ベストのオプションであると結論するに至った、という結果とその理由、思考の深さをアドミッションは聞きたがっている。なぜMBA?か、問いと反問の繰り返しは、自分自身が、実はロジカルではないところで、何をMBAに求めているかを再認識するのにも、きっと役立つ。そしてそれは、往々にして理屈を超えたところにあるものであるが故に、突出した強さを持つ(対学校ではロジカルさ、リーズナブルさを求められるので、直接使える機会は少ないかもしれないが)。

繰り返しになるが、Why MBA?は、過去の積上げの延長にあることはもちろんだが、むしろ将来からの逆引きと強く結び付いていることが大切である。明確なキャリアゴールを示し、幾多あるオプションの中で、MBAでなければならない理由は何かについて整理する。そして、○○をやりたいから、○○を学ぶ、を述べていく。その理由が具体的であればあるほど、手触り感を持って必要性が伝わる。

そしてそれに、その学校ならではの要素を入れることが、Why this school?になる。ここは個別リサーチとカスタマイズにより、特に取りたい授業とか、環境とか立地、出会った卒業生・在校生から学んだことを盛り込むといい。一見すると、どこの学校も同じことを言っているように見える。MBAというパッケージを販売しているのだから、当然と言えば当然だ。ただ、本当に大切なことはHPやブローシャーに載っているとは限らない。公知情報を調べ倒した後は、人に会って生の情報を取る。この作業には思いのほか時間がかかるが、その分得られるものも大きい。

しかしながら、学校の独自性が理解できただけでは、他の受験生と何の差異化にもならないことには注意が必要である。例えば、ある学校のコミュニティがどれほどダイバースで、あなたがそれをいかによく知っていても、それは学校がすごいだけであって、あなたを入学させる理由にはなりえない(し、あなたにエッセイで書いてもらわなくとも、学校は自校の強みを知っている)。したがって、学校をリサーチして強み・魅力を見つけたならば、なぜそれが自分にとって意味があるのかを書かねばならない。そうすると、やはり、最も重要なのはキャリアゴールであることがわかるはずだ。キャリアゴールと学校の強みの関連性が伝われば、説得力が大幅に増す。
  • IT企業での事業開発とM&Aの経験から、将来は自社のグローバルビジネスを、クリーンテック分野でM&Aをてこにして推進したい
  • 業務上必要なファイナンス分野では、Sloanは超一流の教授陣が揃っており、事業開発を学ぶためのアントレ・イノベーション分野でも全米屈指
  • 加えて自分の将来の活動フィールドを踏まえた際に、ITとエネルギーを結び付けた研究領域ではMITは随一の存在
  • それらを理論と実践の両輪を回しながら、価値観を共有できる仲間と学べるのは自分にとって理想的な環境である
これは、IT企業でM&Aをやってきた自分だからこそのWhy MBA?およびWhy this school?であり、バックグラウンドが異なる誰かがそのままコピーしようと思っても機能しないステートメントだと思う。また、金融だけなら東海岸のほかのいくつかの学校でもいいだろうが、それにアントレ、IT、エネルギーと加わることで、他の学校ではなくMITだと説得できる強度を持った内容になる。

「なぜ、”あなた”はMBAを目指すのか」、最後は、自分だけにしか答えられない、他の誰とも交換不能な理由になっている、それが完成度の目安。

March 17, 2010

キャリアゴールのつくりかた

「MBA取って何がやりたいの?」これも周囲にMBAを目指しています、と言い始めるとよく聞かれるようになることである。

MBA受験では一般にキャリアゴール、と呼ばれるこの質問、具体的には卒業後、5年後10年後に、どこでどんな仕事をしていると思うか、ということだが、それを突き詰めていくと、つまり自分が将来どうなっていたら幸せなのか、ということに行き着く。

この「幸せ」というのが曲者で、自分だけがよければそれでよいか、というとそうでもない。皆自分は大切だし、でも他人から感謝されるとうれしいし、更に社会で生きるSocial Beingとして果たすべき良心もあるように感じる。そうしたものをすべてひっくるめた時、初めて幸せになると、私は考えている(し、恐らく他の多くの人もそうだろうと思う)。それをクリアにするための作業として、例えば、次の3つが釣り合う地点を探る。
  1. やりたいこと(自分の興味・満足の領域)
  2. できること(過去の蓄積によって得られた能力・技能)
  3. やるべきこと(社会からの要請、翻って社会への貢献・インパクト)

好きなこと、やりたいこと、がはっきりしている人は、1から言語化していけばいいかもしれないが、私の場合は自分で自分のことがよくわからなかった。なので、他人から見て客観的に捉えられる形で示すことができる、比較的主観の入る余地の少ない(すなわち誰からも同じように評価される)2からスタートした。キャリアゴールの前提になる、「キャリアデベロップメント」である。

IT 業界で営業、コンサルティング、M&Aをやってきた。まずはこの9年間を認識し、更に具体的に各業務でどんなことを身につけたのか、その成果と得られたスキルセットを棚卸する。スキルについては比較的簡単に言語化できるので、次にそれを他人に説得力をもって伝えられるように具体的な業務経験を紐づけていく。個別にやってきたことを見る限りでは、他の誰でもない、特筆すべき自分ならではの経験などそうそうあるものではないように感じるかもしれないが、そうした一見ふつうの経験の組み合わせは、必ず人をユニークにする。

ただし、単に「○○をやったから、○○ができます」では、言葉は伝わるものの、聞き手はスキルセットのカタログを見せられているような気になるだけで手触り感がない。だから、それを人に興味をもち、更には共感してもらうには、「何をやったか」だけではなく、「なぜそれをやってきた(選んできた)か」までわかるようにすることが必要になる。

従って、できること(すなわちそれをアチーブメントと呼んでもよい)の特定・それを得た個別経験の紐づけ(これが後にお題別エッセイのネタになっていく)と並行で、キャリアデベロップメント全体を、紙芝居的にシンプルに明快に研ぎ澄ましていく。もちろん単純なステージの切り分け、すなわち「営業→コンサル→M&A」という紙芝居のページはすぐにできるのだが、それを物語にすべく、節目と節目をつなぐための理由を振り返っていく。つまり、絵に合わせて語る部分を作り込むのである。

人はそれぞれの節目において、 何らかの決断(もしくは予期せぬ流れ)によってある場所から別の場所へと移る。就職、部署異動、転職、引越、結婚、その他公私問わず多くの転機が訪れる。それらは皆それぞれがオリジナルな物語であり、2つとして同じものはない。その転機において、一体自分はどんなことを思っていたか。何に衝き動かされ、何を恐れていたか、決断にあたって重視したことは何か。

実際にやってみるとわかるが、難しいのは、自分のこれまでの行動に一貫性を持たせることである。つまり、1つ1つの決断と段階移行については論理をもって説明しやすいのだが、それが連なってみた時には、節目節目でちぐはぐな決断をしてきたように見えてしまうことである(そして事実はそのとおりかもしれない)。しかし、それでは聞き手の共感を得ることはできない。過去の決断の連続を通じて、自分という人間の芯が浮かび上がって見えるか。紙芝居の話で言うと、1枚1 枚の紙芝居を流しで聞いた後で、読後感というか、「要はこれってこういう話」という記憶に残る物語になっているかどうか。これが大事であり、物語全体に筋が通るように、通底するメッセージの構築を意識して、個々のステージでいろいろ感じたことのリストの中から、強調すべき点の取捨選択を繰り返していく。

私は、キャリアデベロップメントの整理のため、まずは「自分が悔しかったこと」を徹底的に振り返った。それによって、自分が大切にしているものが危機に晒された時、やりたいことに対し能力が及んでいないと感じた時、の場面が浮かび上がってきた。技術要素を無視した熾烈な価格競争、政治家やOBの暗躍、新規ジョイント事業の断念、グローバルEコマース案件の失注。その悔しい思いの数々が、私を前へと駆り立て、いくつかの決断を経て今の位置まで運んできた。何よりも誠実さを持って、何度も失敗しながら、新たな価値を生み出すために日々できることをやってきたら、ここにいた。

そして、その後キャリアゴールを考える作業は、「自分がわくわくすること」を掘り下げ、仕事と結び付けた(前述の1に当たる部分)。海外で生活したい、や、グローバル環境にまみれることで外国コンプレックスを焼き尽くしたい、という本音(エッセイには書かない部分)。じゃあ、一言でいえば自社のインターナショナルビジネス推進だ、そのためには、今の業務がM&Aなので、海外の企業を買収してそこに出向してマネジメントすると言えば、合理性と具体性を持たせられるだろうか、という具合である。

それを深め、どこの国で、どんな事業をやるのが有効なのか綿密に調査検討し、実現のための取組みステップを詳細化した。社会IT基盤市場で現在外資に最も寛容なのは欧州で、今後はアジアパシフィックが大きなマーケットになることが分かった。

更にその取組みは金儲けだけでなく、世界にどんなポジティブなインパクトを与えられるのか、社会課題との関連性を考えた(前述の3に当たる部分)。何がグローバル・イシューとなっているかを知り、それが自身のビジネスとどうつながっているかを認識した。環境問題、エネルギー問題がそれぞれグリーンIT・クリーンITというキーワードとして扱われており、それらを深く調査して自分の将来のビジネス案の中に盛り込んだ。

自分という存在は大変な恥ずかしがり屋で、一度本心を聞いたくらいでは到底答などくれはしない。丁寧に、丁寧に、解きほぐしていく。

March 16, 2010

ゲームへの参加資格(その3)

TOEFLのその後。更に英語力、特に耳を維持するためには、Podcastに当たるのが有効だろう。
  • Just Vocabulary(無料):南アフリカに住むヨーロッパ人が第二外国語として英語を勉強しているもの。ちょうど いいレベルだし、楽しい。
  • Business Week(無料):Behind the Cover Storyなど、会話形式になっている。アメリカ人が普通に話しているため、TOEFLの殺菌された英語に慣れた耳には刺激が強い。慣れてくると、やり取りの中での突っ込み方やずらし方、ジョークの入れ方など、アメリカ人の会話方法が掴めてきて参考になる。
  • Wall Street Journal(無料):上記のBusiness Weekと同様、米誌のポッドキャストで時事ネタが多いので単純に流して聞いているだけでもためになる。
  • NPR News(無料):アメリカのノンプロフィット放送局のコンテンツ。内容はビジネスからアカデミックなものまで。ホームページからは数分のリスニング(ちょうどTOEFLと同じくらい)と、その原稿が確認できるため最強のツールではないか。

TOEFLだけでなく、その先のGMAT、エッセイ、インタビューと、以降連なるものへの対策としても大変効果的である。

March 13, 2010

ゲームへの参加資格(その2)

TOEFL受験者にとっての最初のハードルは、画面で英語を読むのに慣れていない、食事なしで長時間の拘束、加えて他の受験生の声が気になる(!)の3つではないだろうか。これは回数をこなすうちに神経が図太くなって慣れてくるので、割り切って臨むしかない。

自分の場合は、約3ヶ月の準備の後、最初に受けた時が80点台後半であった。
  • リーディングは、画面で解くというのに集中できず、時間が足りなかった
  • リスニングは、途中でトイレが我慢できなくなり、1パッセージまるまる逃した
  • スピーキングは、人に聞かれながらマイクに向かってしゃべるのが怖かった(誰も聞いていない)
  • ライティングは、もう英語に疲れて集中力切らしながら書いた

翌月の試験で90点台後半まで向上したものの、100点の壁を超すまでには、そこから実に半年以上かかっている。これからTOEFLに取組まれる方のために、参考までに、私の取組みを紹介したい。

1. 最初の受験まで
各人でどこが弱いかにもよるが、ウォームアップとしては、リーディングとリスニングから取り組むことをお勧めしたい。この2つはインプット系なので、とりあえずとっつきやすいはずだ。そして英語に慣れてきたら次第にアウトプットのスピーキングとライティングを始める(実はその2つの上達に時間がかかるのだが、いずれにせよ地力がないとアウトプットもできない)。

リーディング
トフルゼミナールの市販問題集を使用。量が多い、メソッドが日本人向けなので、比較的アレルギーを感じることなくスタートできる。前から順番に解いていけば次第に力がついてくる。これは大学受験の受験勉強と同じなので、特に迷うこともないだろう。

リスニング
こちらもトフルゼミナールの市販問題集を使用。その後、Compass Publishing社のMastering skill for TOEFL iBT Listening Advancedに移行(日本のものより、本番に近い。新宿高島屋側の紀伊国屋で購入可)。最初は全然理解できなかったが、あまり気にしないでいい。一度解いた後も、何度も何度もiPodで聴き倒す(1問あたりのパッセージが5分くらいという長さに慣れる)。自分の場合は、一度解くことよりも、何度も覚えるまで聞き倒すことが重要であった。あまり深く考えず、毎日通勤時に、辛抱強くiPodを聞いていたところ、ある日突然ブレイクスルーできた。

スピーキング
『基礎からはじめるTOEFLテストワークブック スピーキング編』という市販本が役立った。最初は通しでやってみて、その後はテンプレートを体に染み込ませ、応用が利くようにひたすらシャドーイングする。

ライティング
トフルゼミナールの市販問題集を使用。最初はIndependentからスタートするのがよい。まずは単文から英作文することで、日本語を英語に翻訳する感覚をつける。慣れてきたら、ショック療法的に問題を解き始める。最初は時間制限なしで、どれだけ書けるか試してみる。結果を解答と見比べたり、これを英語で言いたかった、というのを和英辞書を使って調べたりする。数回やってみたら、以降はどれだけ字数が積み上がらなくとも、30分という時間を厳守し、作文を繰り返す。何度も書くうちに、次第に文字数が書けるようになる。ここまで来たら、Integratedも始める。こちらは問題集の最初から順に取組んでいけばよい。

共通
各セクションに通底するトレーニングが、とにかくボキャブラリー。これがスポーツで言うところの体力に当たるため、実は最重要。知らない単語がたくさん出てくる長文では集中力がすぐに途切れてしまうし、リスニングではそもそも知らない単語は聞くことができない。スピーキング・ライティングでも、自分のトータル英単語数の20%程度がアウトプットできる範囲だと言われるので、分母を増やさないことには上達も難しい。そこで具体的には、
・旺文社のTOEFL英単語3800
をひたすら覚えていく。
また、smart. fmというサイトで、ボキャブラリービルディングを毎日1セクション(5~10分程度)でも、例えば朝早めに出勤してやっていくと、単語力(おまけにヘッドフォンをつけるとリスニング力も)が格段に上がる。
http://smart.fm/lists/browse?keyword=toefl

2.  2回目以降
TOEFLは本試験を受けるようになってからがスタートとも言える。決して安いとはいえない受験料なので、一発で目標点が出ればそれに越したことはないが、多くの方は複数回受験することになると思われる。

テストの枠組みも理解し、英語にも徐々に抵抗感がなくなってきているはずなので、もうとにかくETSの問題集をやる。全くのオリジナルのため、(洋書に当たることの抵抗感さえなくなれば)一番役立つ。採点基準を理解すること、問題に慣れること、これがTOEFL攻略に求められるほとんど全てのことである。特にスピーキングとライティングでは、満点の回答と減点されている回答の違いを肌で覚え、ツボを押さえて得点を上げる工夫をすることになる。

不思議と何度受けても同じような点数が出る、自分の英語の実力を正確に測定されてしまうテストと感じる。ある点からは劇的な進歩は難しいが、結局はストレートな語学の試験なので、継続しているとやればやっただけの結果がついてくるはずである。TOEFLは受験回数の制限がないため、最後は各セクションで、自分にとってのベストパフォーマンスが揃うのを待つという、スロットマシンのような感じになるかもしれない。

私も含めた日本育ちの留学志望者にとって、語学はいくらやってもやりすぎということはない。留学後にダイレクトに効いてくるスキルと捉えて地道に取組み、それが良いスコアにつながることをお祈りします。

ゲームへの参加資格(その1)

iBT移行後、日本人にとってハードルが上がったと言われるTOEFL。

要求点を示さない学校も多いものの、100点を明示的に足切りとしている学校がいくつかあり、ビジネススクール受験ではそれが非英語圏の留学生にとっての一応の目安点となっている。もちろん100点に満たずに合格しているケースもあるものの、原則としては、各校そこで始めてゲームへの参加資格が得られると考えるのが安全だろう。更にトップスクールから合格を勝ち取るためには、近年は実質105点が最低ラインとも言われている(なお、HBSは109点を要求)。

100点とかんたんに言うが、日本の英語教育しか受けたことのない人にとっては、この点数を取るのは容易なことではない。リーディングはまだ大学受験で経験があるため、形式に慣れてくれば点数が出るようになるだろうが、リスニング、スピーキング、ライティングの各セクションは、過去の蓄積が少ない分、結果が出るようになるまでにある程度の時間を要する。

ゴールとしては、基本的には各セクション25点で、差し当たっての目標点である100点となる計算。それが難しいと思ったら、セクション間で多少のリバイスをしていくことになる。例えば、次のように設定する。
ベース  補正  補正後
R:25   +3   28
L:25   +2   27
S:25   -5   20
W:25        25

点数が上がっていく過程は、足し算(=1問正答するごとに点が上がる)なので気持ちが乗る。いつからか、それが引き算に変わる瞬間(=この点を取るためには、これだけしか間違えられない)があって、そこからが本当の勝負である。

セクションごとの対策は次回に。

March 12, 2010

見える景色が変わる時

MBA受験において、苦労せずに済むならそれに越したことはないが、これでもかというくらい苦しむ人もいるもの、GMAT。

自分の手応えと、スコアが必ずしも一致せず、しかもやればやるほどスコアが上がるというものでもない。ある意味いい加減な試験である。しかし、これだけははっきり言えるのは、本当は実力がある人が点が出ないことはあっても、その逆はない、ということ。ラッキーショットが極めて効きにくい設計になっている。

問題は、受験中それが一般的な事実としては受け止められるものの、果たして自分はどちらなのか、に確信が持てないことである。すなわち、たまたまスコアが出なかった、のか、実力不足だから出なかったのか、がわからない。自分のことはなかなか客観視できないから、尚更である。

自分自身、なかなかスコアが出なかった。というか、最後まで満足いくスコアは出せなかった。ただ、この試験で付与される3桁の数字の重要性は理解していた。一般にトップスクールに求められる最低目安スコアは、全受験生の上位 10%である680点と聞く。スコアが全てではない、と多くの人が言う。学校の平均点はもちろん、Mid 80%レンジを下回る合格者の話も聞く。そうしたサクセスストーリーは、受験生に希望を与えてくれる。それでもしかし、結果をあくまで客観的に見ると、大部分の日本人合格者は学校の平均点周辺、低くともMid 80%レンジに収まっていることがほとんどだ。

その厳しい現実を前に、私は1回目に出した600点台前半のスコアにいた。勉強すればするほど、受ければ受けるほど本試験のスコアは落ちていった。理解力もテストスキルも上がっているはずなのに、それが結果に反映されないことに、最初は苛立ち、次第に自信を失っていった。低スコアでも合格するという他人のフェアリーテイルに想いを馳せたが、自分に当てはまると心の底では信じられなかった。スコアが出なければ、出るまでやるしかないのだと言い聞かせた。Official Guideを文字どおり丸暗記するまで繰り返し、連日Prepを回した。

4回目のテスト当日、心がけていたことは2つ。
  • 余計なことを考えず、目の前の問題だけに集中すること
  • QuantitativeとVerbalの75分の試験中、それぞれ2回は必ず集中力が切れる。切れた瞬間を自覚し、もう一度入れ直すこと
出題はアダプティブなので、特に簡単な問題が出たりすると、つい直前の問題が合っていたかどうかを気にしてしまう。また同様に、このペースで逃げ切れるだろうか、と先のことを考えてしまう。どちらも目の前の問題の正答率を低めるだけで、何の効用もない。とにかく頭を真っ白にして、画面上の問題だけに集中した。更に、人間の性質上、75分集中力が続くことはあり得ない。そしてそれは、私の場合には難問が出た時に襲ってくる傾向があった。あきらめたくなる気持ち、楽になりたくなる気持ち、その弱さと向き合い、目をつぶり深呼吸してから問題に取り組み直した。全てが終了し、スクリーン上に映された3桁の数字を見ると、過去の自分を越えたことがわかった。

それによって得られた変化はとても大きかった。いわゆるトップスクールから合格を勝ち取る、ということへの現実感と覚悟が増した瞬間であった。テストスコアはあくまで多数の出願者の中で減点されないためのものであって、合格への加点要素にはなり得ない。スタートラインに立つことと、目標を達成することの間には恐ろしく大きな隔たりがあることは承知した上で、それでも一歩前に進めたと感じた。

どんなにスコアが出なくとも、自分を信じてあげられるのは他でもない自分自身しかいない。全力を尽くしているのに、全く結果がついてこない。GMATの袋小路に入ると、既存の問題は全て見尽くし、変な既視感を持ってしか解ける問題がなくなってしまう。敵は出題も採点も得体が知れないブラックボックスであるが故に、余計に恐怖感が増す。時には、もういくらやってもこれ以上は駄目なのではないか、と考えたくなる。でも、それでも、自分の可能性を見限る必要など、どこにもない。自分を信じて、とにかく愚直に取り組めばいい。

GMATと格闘する全ての方が、それを乗り越えられることを、心よりお祈りします。

March 4, 2010

全ての始まり

「なんでMBAなの?」受験を志してから、様々な人から無造作に、幾度となく問われるこの問いに明快に答えることは、とても難しい。

MBA受験のお作法的には、2年間の勉学を通じて学びたいこと、がこれに当たるのだが、ここではその遥か前段にある、そもそものところを考えることの重要性について書いてみたい。いわゆる、建前のWhy MBA?とは全く別の、本音のWhy MBA?である。というのも、自分の本音を知らないと、建前もくそもない。

長い長い受験準備は、正直に言ってとても苦しい。さぼりたくなったり、気持ちが折れそうになることも多い。そんな時、この心の一番根っこにある熱い思いを確認することは、とても大切になる。いつやめてしまってもいいのに、一体何が自分をそこまでMBAに駆り立てているのか、そのエゴや執念、弱さや脆さを丸ごと直視し受け入れること。それはすなわち自分自身をよりよく知ることにつながるはずである。実際に私が出会った卒業生、在校生、受験生の方々も、その多くが、ロジカルに研ぎ澄まされたWhy MBA?の他に、(言語化されているかどうかは別として)実に生々しい「だって行きたい(/行きたかった)んだもん!」のレベルの想いを持っていた。そしてそれは、その方の言動や人となりを通じて、たしかに伝わるのである。

自分のことを思い出すと、ある日友人から届いた「マンハッタンレコード閉店」というメールに対して、「決めた、MBA取る」と返したのがそもそもの始まりだ。なぜそこで急に決断したのか、その時にはたしかに頭でカチッと音がした記憶がある。ただ、これそのままでは、1軒のレコード屋が閉店したからMBA、という意味不明な回答になってしまう。

もちろんその前に考えていたことがある。
  1. 出向先から本社に戻る時期が近づいていたが、そのことに対してリアリティを感じられなかった。将来のキャリアが見通せるが故に魅力を感じられず、むしろ先の見えない世界へ飛びたいと思っていた
  2. 極めてパーソナルではあるが、例えば人生80年と考えた際に、その全てを日本で過ごすのではなく、少しくらいは海外で生活してみたいという思いがあった
  3. そんなことを漠然と感じながらも、目の前の生活に大きな不満があるわけではなく、そこそこ積み重ねたものもある。そんな小さな山にしがみつき、安定を捨てて挑戦する変化に対して躊躇している。何かをやらない言い訳のためにパワーを使っている自分に気付いた。それをどうせなら、何かをやるために使ったほうが生産的だと思い始めていた
レコードを買い漁っていた学生時代には、マンハッタンがつぶれるなんて考えもしなかった。しかし自分はその後就職しマンハッタンでレコードは買わなくなったし、他のいろんな世代の人も何らかの理由で以前よりレコードを買わなくなったのだろう。自分が変わり、またマーケットも変わったと気付かされた。少し大きく捉えると、レコード輸入販売(実店舗型)という業態が、eコマースが発達した日本市場ではもはやその役割を終えつつあるということだ。そこから、自分が好むと好まざるとに関わらず、世界は変化する。 その中で自分が変わらないことは、それ自体がリスクとなり得る。そんなことを思った。同時に、今の自分を眺めると、あの時からずいぶん遠くに来たのだな、とも感じた。

そしてマンハッタンレコード、という名称が自分にアメリカ、NYCの映像を想起させた。メールを眺めていると、マンハッタン閉店というニュースは、なんだか他人事ではない気がしてきた。いつか自分にも閉店が訪れる、それもある日突然。恐ろしくなった。そうしたら、自分の人生において手遅れにならないうちに、海外で生活したいという想いの針が振り切れた。将来のプロフェッショナル・パーソナルな生活双方の充実、そしてそのために挑戦する毎日の開始、どう生きようと同じ人生、どうせなら全力でやっちゃったほうがいいじゃないか。漠然と考えていたMBAというアルファベット3文字が、ぴったりとジグソーパズルに収まった瞬間だった。

お作法としてのWhy MBA?やCareer Goalをつくるのは最後でいい。その前にやるべきことは、自分の本音を知ること、そしてそれを可能な限り言語化することである。それは必ずや、自分が前に進むための力をくれる。